15年ぶりに再会した清志郎に反省した

いやぁ、我が家で埃かぶっていたRCサクセション忌野清志郎のCD群を全部聞いています。よくまぁこんなに出してたもんだ。まだ全部聞き終えられていませんよ。

一昨日書いたような事情で封印していた為に実に15年ぶりに聞くアルバムがほとんどである。若かりし頃の思い出がフィードバックされてきますな。

だから訃報を聞いたはずなのに、お別れを言うようなシチュエーションであるはずなのに、どっちかというと、懐かしい人に再会している状態になっている。
音楽というのはすごい。時間が冷凍保存される。この曲を聴いたあの時、考えていた事、見ていた光景、悲しいこと、嬉しい事、そういうのが全て蘇ってくる。これは絵にはない力だ。この力を持つ音楽には絵は到底かなわない。
キヨシローがこの世で不在であるはずにも関わらず、彼の声は、その時の時間のままである。
近親者でもない、たかが一リスナーに過ぎない私にとっては、忌野清志郎という人はこのCDに刻印された声であり、詩である。彼は今もここにいる。その存在は、忌野清志郎という一人のブルースマンの死と切り離され、そして15年の年月を越えて再会した。

つーわけで、15年前のロケンロール魂をすっかり忘れていた私は、今、再び「ちゃんとロケンロールに生きないとなぁ」などと反省していたのである。

で、本日、島に住む、元祖ロケンロールな生き様を貫いていた、つまり60年代安保に国会突入した初代学生運動家であり、京大の大学院に行ったがもういいやってんでアングラな劇団にいたあと、イタリアに行って石叩いていた彫刻家で、帰国してしばらくして北海道でイタ飯屋をはじめ、すでに老境に入ったからと、その店を人に譲り、小さな軽自動車に家財道具と亀のダンテを積んで日本を縦断して島にやって来てイタ飯屋をはじめたというもう全然安住しない生き様を貫いているNさん夫婦が我が家に遊びに来たので、清志郎のライブを聞かせた。
おお!と感動して何枚か借りていった。

歳さんも清志郎同様フォークが嫌いであった。RCサクセションが頭角を顕したころはイタリアにいて、結局、接点がなくその存在を知らずにここまで来てしまった。歳さんライブを聞きながら「なんで知らずにいたんだろう」と悔やむ事しきりだった。

夕刻、島のお祭りで、魚屋さんが朝釣れたという200キロもあるマグロを解体していたので、背にあるトロを貰い、Nさん達と、RCサクセションの曲を聴きながら清志郎に乾杯した。

トロはマジに旨かった。

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ところで島の凶悪な湿気のせいで、ライブ『最強』に黴が生え、更には塩ビ部分が侵食されたらしく、針飛びしてしまうのである。15年放置の罰か?

最強

最強

ジャケットの写真すらない廃盤ライブ。ガーン。