今日はお悔やみが多い

はてなキーワードで「マイケル・クライトン」が一位になっていて、なにそれ?と思ったら亡くなられていたらしい。『シャングリ・ラ』の書評で言及したので、お悔やみの言葉を述べるブログに混じって、わたしのブログタイトルがあったのだが異質。
んで今度は、筑紫哲也さんが死去ニュース。
うーん。テレビでお姿を見られなくなって久しかったんだが・・・お悔やみ申し上げます。

筑紫さんは2ちゃんねらーとかネトウヨさんの攻撃対象によくなっていたけど、ああいう個性を持ったキャスターさんが少なくなってきているので、寂しい感じも致しますね。

というか昔はそうでもなかったのに、最近は訃報ニュースを聞くたびになにかどきりと心の中で壊れるような感じがします。知っている人でもないのだけど、どこかでその人なりに触れたことがある人の死は、つまり例えばマイケルクライトンとか筑紫哲也という人たちは、ファンというわけでもなく、テレビで見ていたとか本を読んだとか、そういう関係性なだけで私の人生にとってはそんなに意味がない、ちょっと点景的な、一期一会的な位置にある方だったりするわけですが、それでもこうして訃報を聞くと、どきりとして胸の中に穴が開くような寒さが入り込んでくる。

年齢かな?と思わなくもないです。