『チェーザレ』惣領冬実 権力者の肖像

仕事が重なっていてなんだかもうわけが判らない。佐藤センセの雑誌のイラスト締め切りが今日で、これ以降、その雑誌連載が単行本になるのでそれのイラストの修正、その特集の締め切りがあって、更に単行本三巻目のゲラ読みがあり、別の小説の文庫本の締め切りがあって、それ関連の雑誌の挿画の締め切りもあって、献堂式に間に合わせないとあかん教会の仕事(彫刻)があって・・・・と、頭が激しく混乱中である。
こういう私の脳内暦は締切日によって区切られていて、それ以外の日時がさっぱりわからなくなっている。ついに本日重要な仕事があったのをすっかり忘れて、ねちねちと絵を描いていたら電話があった。「皆さんもうお集まりなんですが・・・」「今から出てももう間に合いませんよね・・・」と情けない声で言われてしまいました。
イラストの締め切りという仕事以外の仕事が脳内からすっぽ抜けてしまっていたのだ。もうダメポである。

40にしてボケか?!と落ち込んでいた所にS社から資料が届いた。
漫画である。このお陰で落ち込みが緩和された。やなこと忘れるには漫画読むのが一番だよなー。

チェーザレ 破壊の創造者(1) (KCデラックス)

チェーザレ 破壊の創造者(1) (KCデラックス)

タイトルだけ本屋で見ていて[いつか読む]と脳内ブクマしていたのだが、仕事でどうしても馬の資料が欲しくて、編集さんに「なんかないすかね?」と聞いたら編集さんの手元にあったこれを送ってくれたんだな。
馬の資料は正直あんまり役に立ちそうにないが、ルネサンス期の建築内装に資料になりそうな漫画である。昨今の歴史漫画は時代考証の専門家がついているのか酷いものがない。この漫画も専門の学者が相談役についているようで巻末に資料紹介がずらりと並んでいた。
ルネサンス期については色々突っ込みいれたくもなる私であるので、「レオナルドの代表作を受胎告知にしてるあたりが気になる」とか「「チェーザレ」を「ユリウス・カエサルの名前だ」とかこいつはいっとるが、「皇帝」という意味を言ったほうがこの場面では良いんではないか?」と、まぁ色々読みながら突っ込んでいた。内容自体は真新しい感じではなく、オーソドックスな歴史絵巻。さしずめ藤本ひとみ小説が漫画になったという印象。つまり小説に匹敵するような物語のつくり込みといい、丁寧に書き込まれた絵面といい、しっかりしていて安心感があるし、誠実さを感じるので好感が持てる。

にしてもチェーザレカエサルなら、敵対するローヴェレ家の教皇ユリウス二世とのちに手を結んだ経緯ってのも面白そうだなと妄想した。ローマヲタ馬鹿の協力体制とかな。

まだ2巻までしか読んでないんでどうなるんですかね?

しかしチェーザレ・ボルジアほど悪名高いものはないというか、ボルジア家そのものが悪評で、我がギョーカイの出版している『カトリック大辞典』でもあまりよいことを書いていない。しかしマキャベリの『君主論』などでの高い評価とか、当時の人々の評判とは相反する。著者曰く、その辺りについての疑念がこれを書かせたそうで、これからの展開が楽しみであるが、チェーザレの悪評は、妹と同衾してた・・つまり近親相姦者とか、聖職者の癖に女関係がすごいとか、派手だとか、堕落してるとか、散々なことは確かである。

権力者というのは常に敵対勢力があり、敵がネガティブキャンペーンを行うのは現代でも同じである。日本でも政治家がらみのネガティブキャンペーンをよく目にする。うちのブログ検索では「麻生太郎 カトリック」という単語でグーグルとか、gooとかヤフーなどからやってくる人がいる。最近ググルトップが何故か私のページになってしまったが、ちょい前まで阿修羅のダヴィンチコード的な陰謀論ページがトップで、閉口した。
カトリック教会日本陰謀論がトップにあるってなぁ・・・。間に受けた人がブログとか書いていて笑えるんですが、カルト扱いに困ったものだ。それ以外にも、何故か統一さんであるなどというのもあがっていたが流石に消えた。だがBBSやブログでは相変わらずそういうのを書いてるのがいるんでこれを期に見解を正して欲しいもんだ。

出生を貶めることや、倫理観の欠如、あるいは背後関係にカルト集団を持ってくるとか、そういうネガキャンは現代だけではなく、寧ろ過去の方がもっとすごかったに違いない。チェーザレにまつわる伝承もそういうものに彩られていると思われる。

ただ、この漫画でのチェーザレが教会の堕落を言うくせに教会を世俗の政治権力の場として見ている矛盾はどうしたものか?と、少し首をかしげた。先の巻を読んでないんでまだ判らないですが、チェーザレ君が万民の平和を願うのは教会の目的ではあるが、しかチェーザレ君の見解は教会での方法論ではないよ。それ。と少し説教したくなったな。結局世俗的な思考しか出来ない辺りでのちの世に聖域にふさわしくないレッテルを貼られたのは仕方がないであろう。
いくら先人達がおんなじことしてたからって、世俗の政治、施政のために教会利用したらあかんよ。「教会の堕落」とはまさしくそれを指すわけである。教会には教会の文法がある。