天命を知る

宮城谷昌光の本なんか読んでるととにかく国同士で仲悪く、他国の顔色を窺い、覇権を争い、相手を攻め滅ぼすこと厭わず、衛の人は性が悪いとか、晋人は信用できんとか、秦はなんかやなやつだとか、楚のひとは性が粗暴にして礼を知らずとか、お互いに言っている。しかし覇者たるもの仁を失うなかれという、そんな感じで国家間や施政の「礼」などが語られたりするんだが、チベット問題などが念頭にあって読んだりすると、春秋時代から互いの落とし所をつけるってのはやっぱり難しいようだとか、考えてしまいますね。今にはじまったことではない、互いに相いれない郷土愛というかパトリオティズムっつーか。まぁ中華人民共和国王朝は始皇帝の秦朝になんとなく似てる気がするけどね。
で、この手の中国の史書など読んでると異変があると天変地異がどかんと起きたりして目が覚めましたみたいなこともある。あと滅亡の兆候としての天変地異とか。ダライラマ自伝でも、赤気を見たという記述があった。ターニングポインツで起きる天変地異ってのは、天変地異が正気を取り戻させるのか、或いは何かの決断へと人を向かわせることになるのか判らないが、とにかくアジアの歴史ではこの天変地異的な現象が歴史の中に組み込まれて語られることが多いなぁと。
ミャンマーのサイクロン。暴動で揺れ動いたミャンマーのサイクロン被害に続き、今度はチベット問題で揺れ動いていた中国である。チベット自治区と四川との重なりというか微妙なポイントが震源地で被害は相当に大きい。都言っても中国というのは度重なる地震被害というのは今回に限らず起きていて同じ規模の地震は過去にも結構ある。だからこれを以てナニかってのはないんだが、変にヒートした中国人達の脳みそがクールダウンしたかもしれない。漢人だろうが、蔵人だろうが天は等しく災をもたらす。協力して事に当たるべき事態となる。そこには「被災者」という弱者しかいない。諸外国も手を差し伸べるべき場面である。

この地は羌の地である。春秋時代には「西戎」の地とされた。羌という民族は古く、殷周時代にも出てくる。羌人で有名なのは太公望である。文王に拾われ周の宰相となった太公望呂尚は羌の人であったと言われている。一応そういう伝承である。のち羌族陝西省から離れ後年西夏と言う王国をつくった。宗教は伝統的にチベット仏教。ゆえにチベットとも深い関わりがある。故に「チベット系の民族」とされたりしている。

被害は相当大きい。心配である。四川は陝西省との境の方しか行った事がないが、なんつーかとにかく国の規模がでかく、でか過ぎて大変そうだというか、山村というとほんとに世から隔絶したような山間部にあったり、道が崩れたらこの村は壺中天状態だぞみたいな。日本の比ではないとんでも孤立があちこちで起きていそうだ。被災地への援助というのは困難を極めるだろうなと想像出来る。

一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet

直接関係はないが内田樹センセがチベット問題に関して面白い考察を。

内田樹研究室
http://blog.tatsuru.com/2008/05/13_1156.php
■被害者の呪い

具体的な事柄から一歩引いた視点で「被害者」という権利を踏みにじられた人々の心理というか、被害者意識スパイラルについて書いている。不幸スパイラルというか。この手のスパイラルはあちこちで散見出来るが、瀬尾教授舌禍事件で彼女を弾劾している人々の心理にも散見出来るなというか、特別なことでもなく日常での夫婦げんかとか親子喧嘩とかそういうのにも起きることだとおもわれなのです。
「自分は不当に扱われている」
という思い込みが呪いをかけるというか。
その思い込みのスパイラルを建ち切るのが「解脱する」ということかもですよ。フランシスコ会的にいうなれば「執着しない」という発想か。

先の宮城谷昌光の小説などでも、宮城谷が鮮やかな人物として描くのはそういう人物であったりする。権利をいたづらに主張しないというか、どこかで謙遜、謙譲の徳を持っているような人物が天によって表舞台に躍り出ることがあるというようなそんな物語が多い。受動的に世を眺め、自己鍛練を怠らないようなそんな静けさを持った人物である。
そうありたいものだが世辞に翻弄されがちである。