盲目的なのはどっちなのか?孤立する世界の中国人/政治家司教で批判されたくない

一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet

本日のちべヲチはこれだ↓
○Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜
http://meinesache.seesaa.net/article/92335886.html
■洗脳されたドイツ人

今回は、ドイツに留学して働いている若い中国人の手記、「洗脳されたドイツ人と悪魔視される中国」を紹介します。

この手記は、海外で暮らす中国人たちが情報をよせる中国語の掲示板に寄せられたものです。ここには「中国人の悪口を言う小日本野郎に恥をかかせてやった!」などという投稿もあるので、基本的に愛国的な性格が強い掲示板だと思います。

チベット騒乱と前後して、中国人である「私」と、同じ部署で働くドイツ人女性Kのやり取りを中心に展開するこの投稿は、もちろん「私」のバイアスが強くかかっているはずで、中国の同胞たちに、いかに外国人の見方がゆがんでいるかをわからせるために書かれたはずです。

しかし外国人であるぼくの眼から見ると、「私」の意図とは外れて、中国人のメンタリティを何よりも雄弁に物語る極めて興味深い内容になっています。

「私」の言葉は、ある部分日本人を含むあらゆる国民に自らの姿を見せてくれる鏡でもあり、しかしある部分は根本的に違います。

それでは以下、かなり長いので覚悟してお読みください。

ドイツにいる中国人の手記の紹介。
リンク先を読んでいただきたいが、今回のチベット騒動で中国人は世界中でかなり肩身の狭い思いをしているようだ。こういう状況では自国の政治の性で善良な市民までもが批判を受ける。国家共同体というのはそういう宿命がある。嫌でも自国に責任を負わねばならない。それなりに愛国的な気持ちがある人は誰だって自分の国がけなされたら悲しい。自分の国の政治に過ちがある場合、それをどう客観視してみるか、実は難しくもある。自己批判的な能力が必要となる。

で、このブログで紹介された中国人の記述は、ブログ主さんが指摘するようにかなり興味深いというか、中国以外の国々のマスメディア情報対中共メディアという情報合戦の状態の中で、中国政府側の声明こそ正しいと信じて疑わない中国人の姿はけなげでもある、我々からすると愚かに洗脳された、新興宗教の信者のごとき中国人の姿に映るのだが・・・・・彼らから見るならば全世界が結託して中国封じ込めをしていると映っているのではあろう。

これは我々に果たして我々の入手している情報は本当に正しいのか?という問題をも突きつけられるのではあるが。情報化されネットで諸外国の報道を知ることが出来るようになって世界はその真実の姿を現しはじめたかというと、むしろ逆に受け取り手の判断がどんどんと偏っていっているようにも思えたりする。チベット問題を巡る記事を読むとかなり単純化されすぎた構造になりつつある。善と悪、白と黒というように。こういう構造になるのは実は危険だななどと危惧はする。ダライ・ラマの声明などを読むと中庸を訴えかけているが、世界はチベット問題に関して中庸な光景とはなっていない。あたかもチベットリトマス試験紙にした善悪の位置関係が出来つつあるというか。
これ以外でも多くの社会倫理的な場面でこういう白黒的なものが増えつつある気がする。

にしても。世界中に散らばっている中国人があちこちでこんな思いをしていると思うといささか気の毒ではある。そしてこのように反論する、中共政府に対し批判的でなくなっていった中国人の数が増えているのを感じるのは、この事件だけではない。天安門事件の前の中国人は中国政府に対する批判も自由にしていた。あの時代の留学生は他の国の人と変わらず、今の中国人に感じるような、こういう不思議な感じはなかった。しかし最近の留学生は中共のプロパカンダを鵜呑にしたようなのが多いというのは、ガッコなどでもよく聞く話である。勿論すべての中国人がこうとは限らず、政府の政策に一定の距離を置きつつ、中国という国を愛しているような人もいるとは思う。更にいうなれば、確かに他国の中国批判も一方的な部分はあると思うし、個別に見ていくならば内容によっては中国側の言い分にも理ありと思うものはあるだろうが。

ただ、、とにかく、この中国人の手記に見るような孤立性というのは、気の毒ではある。

◆◆

つっても中共政府のダライラマ批判のエスカレートっぷりを見てると、どっちが嘘吐きか?という判断では中共様にはどうにも同意出来かねるようなシロモノが多すぎてなぁ。
親ナチだったとか、オウムの麻原と会ってたとか、解放前の奴隷制がうんたらとか、『噂の真相』的、ワイドショー的批判、劣悪印象レッテル貼り行為に、どーもその品性のない方法論がイマイチ信用置きたくなくなるのである。

こういうのとかね↓
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200803301404100

購読料払ってないから一部でよく判らんが、連載モノのようで、1,2,3と章があるのだが、「チベットはこんなに劣悪だったしダライラマは親ナチで親オウム」とか記事になってるようです。どんな批判が展開されとるんでしょうか?
にしても、ベリタって時々こういう劣悪記事が載ってるけど、どういう存在?イザ並の。前者が左に劣悪。後者が右に劣悪。

まぁカトリックも第二次大戦で親ナチだたっとか、激しく批判されとります。批判したら信者や司祭がガス室に送られたりとか、そういうわけで人質があるんでナチを批判できなかったとか、共産主義の敵がナチだったからとか、まぁ色々言い訳はありますが、とにかくファシストと組んでいたのは事実だよなぁ。イタリアじゃわりと積極的だったんじゃない?フランコ政権下のスペインとかさ。ナチスに対しては批判もしたこともあったようだが、やはりどこか及び腰であったのは事実である。その為に現代で批判されても仕方なかっただろうよ。チベットに関して言うなれば、当時のチベットを取り巻く政治地図が色々あったとは思うが、そもそもこの根拠自体がかなり希薄な馬鹿馬鹿しいものではあったようで。カトリックのように批判される理由はないと思うが。

で、ナチス日帝のようなファシストのごとく振る舞っていると批判されている国家にそこはかとなく及び腰状態の日本のカトリック教会なんかはのちの世にまたそういう批判を食らうかもしれない。「日本がしたことを思うと・・」とか言ってるまに、善良な市民が拉致されたり、虐待受けたり信教の自由が奪われたり民族弾圧受けたりしているのであるが。「それを見過ごした」事で未来の人々に裁かれたりするかも。司教が率先して、けんぽー9条とか、無防備都市宣言とか政教分離原則とは思えない活動をしているので、「政治には加担しない」という言い訳も効かない。

こういう活動してる司教な↓

▼川崎を平和無防備都市へ/条例制定に向け署名活動
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiiapr080486/
戦争になっても自治体が非協力を宣言する内容の「川崎市平和無防備都市条例」制定を目指す市民団体「平和無防備条例を実現する川崎の会」(須見正昭共同代表)が、二十六日から市に直接請求するための署名活動を始める。活動に先立ち十九日には明治大学生田校舎(同市多摩区)で集いを開催、鎌倉在住で作家の井上ひさしさんらが講演する。

 「憲法九条を守る上で、条例をつくることは大きな力になる」と須見代表。運動に参加するNPO法人「ぐらす・かわさき」理事の木村雅子さんも「イラクもアフガンも武力では解決できない。子供たちに平和な未来を手渡したい」と話している。

 講演は十九日午後一時半から、生田校舎第二校舎二号館二〇〇三教室で開催。井上ひさしさんが「九条を守れから半歩でも前へ」と題して講演。日本カトリック平和と正義協議会会長の松浦悟郎さんも講演する。学生以下は無料、大人は資料代として五百円。

個人的な政治信条の活動をカトリックの団体組織の名で行う、組織私有化司教。政教一致で頑張っています。
左に巻いた社民な方々は応援してやってください。

しかしわたくしは「無防備都市宣言」とか全然同意しないので、カトリックの組織名で活動されると困惑します。「カトリックなら無防備都市宣言応援するよね。」的なふうに思われたくないです。政治的に同意する人なら楽でしょうが、同意しない人はイチイチ説明しなくてはならないので大変です。なんせ、島で無防備都市になったら村上龍の『半島を出よ』みたいなことになったりしないかと怖いです。なんせお隣にはアメリカにハワイからこっちは中共様のものでoK?なんて持ちかけたり、まつろわぬ少数民族弾圧したりしている大変にナショナリズムな国があるので怖いですよ。

他方で、この手の活動家司教は今回のチベットの問題に見られるような信教の自由の侵害と言った事柄に関してはわりとスルー力が強い。けんぽー9条系には激しく積極的だけど、ダライ・ラマと積極的に交流したりとかしないもんな。地下教会問題とかも教会で話を聞く機会はあまりない。情報はほとんどない。同じカトリックの信徒の人権問題なのにだ。わたくしは信教の自由は己の根幹に関わる問題なので、チベット問題などは政治的というより、宗教的なものとして見ているんだが、どうもあまり興味ないのか、それとも別な理由があるのか。何故なんだろう。

こんな政治活動家は司教の座からおりて、民間に下って正々堂々政党活動して欲しいと思いますよ。同じカトリックといえど、政治という俗なことに関してはかように考えが異なるのですよ。しかし中共の政治を中国人が批判しないようなことはしないです。こういう組織を私物化するような政治家司教はどっかいなくなって欲しいと思いますが、悲しいことにカトリック直接民主制ではないので、投票して選べませんので、困りますね。

中共政府のことで責められてる中国人の気持ちが良く判ります。