『足跡』『ガラスの家』オランダ統治下のインドネシアと中国統治下のチベット

チベットのニュースが刻々と入って来る間、以前から紹介していたプラムディア・アナン・タトゥールの本を読み続けていた。シンクロしていく民族自決と民族圧殺の問題。片や植民地下での民族の覚醒と社会主義共産主義的な解放の物語であり、片や共産主義国家下での文化的虐殺の同時代的問題である。なんとも不可思議な対称性というか。シンクロ状態で読書し続けていたので、夢にまで見てうなされてしまいますよ。

足跡 (プラムディヤ選集)

足跡 (プラムディヤ選集)

↑読み終わった。
ガラスの家 (プラムディヤ選集)

ガラスの家 (プラムディヤ選集)

 
↑今ココ。あと4分の1ページぐらい。

ようやく最終が見えてきたロングランの読書。
プラムディアの『人間の大地』シリーズは、『人間の大地』上下『すべての民族の子』上下『足跡』『ガラスの家』という全6巻にわたる超大作である。物語はオランダ統治下で民族の自立に目覚めていくインドネシアの近代史である。『ガラスの家』以外は、植民地政府に立ち向かっていくミンケという植民地政府に抵抗していく徒手空拳の青年の成長の物語でもあり、アジアの植民地事情の証言でもある。そしてプラムディア自身は、共産主義者としてインドネシアスハルト政権によって勾留されブル島に流刑となっている間にこの物語を囚人仲間に語って聞かせていたという。それゆえに、政治的に拘束されるミンケという人物を通じた体験的要素も反映されている。

最終巻『ガラスの家』はミンケを流刑に処した警察長官の視点で書かれていて、他の作品とは異質ではある。民族自立運動の創世記に植民地政府を脅かす存在となるものの芽を摘む仕事についたこのもと警察長官はオランダ人ではなくヨーロッパの教育を受けた原住民「プリブム」である。ゆえに愛郷精神と、ヨーロッパの啓蒙主義に反する植民地政府の為す悪を憎悪し、ミンケという英雄に魅かれながらも、同時に植民地政府の意向を汲む自らの仕事への忠実との間で揺れ動き苦悩している。

この物語において、オランダに対抗する為に目覚めはじめた人々は、自分自身がナニを拠所にしていったらいいのか、手探りのまま動き始める。ミンケは新聞社を創設し、それを通じて大衆を啓蒙していくのだが、彼自身軸となるものをなんとするかと揺れ動いている。ジャワ島という単位で考える民族主義者と、東インド諸島全部の民という考えを持つミンケとの食い違い。イスラムという宗教でまとめようとする人物。しかしそこでは独自のバリヒンドゥーを持つバリの民族は排除される。オランダとインドネシア人との混血の存在、華僑達、アラブの商人達。こうした異なる文化は異形の民族を全部まとめる手段はないか。しかし未だそこまで成熟しきっていないインドネシアの創生前夜。互いのコミュニティが対立し、また一方的に抑圧される関係が生じたり。とまぁ複雑である。

この物語ではミンケがその創設に携わるイスラム同盟、サレカット・イスラームが中心となる。のちにこのイスラム同盟から派生することになるイスラム共産党に関わったオランダ人共産主義者スネーフリートは片鱗が見え隠れする程度である。

日本がいち早く近代化し、ヨーロッパを打ち負かすまでになることや、中国で起きた共和国の誕生、そして共産党の創生はこの時代を生きるミンケを刺激し励ますことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・という小説なんである。

この小説では、アジアの解放者としての共産主義とか、民族主義とかが、希望と自由を約束しているわけなのだが、時代変わって現代。ミンケが羨望と共感を持って眺めただろう中国共産党は自らがこの物語のオランダのごとき振る舞いをしている。これに歴史の皮肉を感じるのは当然だと思いませんですか?そうですか。わたくしは思っちゃいますが。


にしても、中国はなんか変だ。
チベットについて、平行して色々勉強していた。近代ではどうであったのかについてはあちこちで書かれていてもうメモ取らないけど、中共による「チベット解放」っていう光景は、インドネシアとは光景とは異にする。チベットはもともと独立した存在だった。清代に庇護下に入ったとはいえ、なんというかローマ・カトリック教皇庁がフランスのアヴィニヨンに移ったよりは対等な存在である。

中国側からするならば、まず第一に印度から睨みを利かせている英国のえじきからの解放。という理屈があるかも知れないが、しかしこれは日本が朝鮮半島満州、中国をロシアやもろもろの国が狙ってるんだが、李朝は全然役立たずっぽいし、清も駄目駄目。などと、庇護しているつもりが植民地化して皇民教育してる光景と同じだ。或いは迷信や因習からの解放という、つまりチベットという宗教者を最高権力として持つ形態の国家の国民を仏教というアヘン-宗教から解放し、共産主義に目覚めさせないと。な、余計なお世話的発想。これはアレだ。無知蒙昧な土民に神の福音を伝え世の救いに預からせるのだとかいってるキリスト教宣教師と同じだな。

つまり、中国は自分がしてやられたことを人様にもしている光景ではある。現に諸外国から批判され」お前らだってやったじゃねーか。どの口がそれをいう?」的に開き直っているようである。ま、同じ悪いことをあとからはじめた場合、非難が集中するのは日本が経験済みである。ま。とにかく近代を振り返って反省しなきゃいけない現象を、中国が繰り返してしまっているようで。

で、その中国。五輪を控え、優等生的に振る舞っといた方がいいよなこの時期に、なんちゅう体たらくな。という按配で。
しかし常なら小ずるくぬけぬけとした大人風体の中国様が、外交的にこんなにアホさらしているのはかなり劣化したのか?と首をかしげたくもなる。常にあちこちで暴動がデフォルトにある中国で、チベットの僧侶が49年だぁとかデモしようが、今年は我慢強ーく見送って、五輪が済んだ来年に、どんなに国外から批判を浴びようともどかんと50周年記念弾圧とかしそうな思考の中国がだ。どういうことだ?と、謎であった。

同じく謎に思っていたのか。「極東ブログ」のfinalventさんが『「陰謀論的な話の展開」をするつもりじゃないけど、ブクマで[陰謀論]タグつけられちゃったよ、泣)な、中国様の事情はどうなってるの?と想像してみた』エントリを挙げておられた。結構成程と思ったりした個所もある。

極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_c143.html
チベット暴動で気になること

正直、最近あった「台湾に攻め込みたい」軍のクーデターとか、謎のテロ報道とか、中国の中の人の動きが怪しい。軍と政府が仲悪くなっとるんでは?とか、胡錦濤を引きずり下ろしたい勢力と内部抗争してるとか、それで怪しげな怪しからんことが起きてるんじゃあるまいか?とか、わたくしのように中国のことがよく判らない政治的に無知人間でも妄想したくなるってもんだが。その辺りを色々シュミレートしてくださったという按配。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_c143.html ←ブクマ
まぁブクマで見るとなにが気に入らなかったのか人格まで激しく否定するような人まで登場して一部に不評なようですが。わたくしは面白かったんだけどなぁ。確かに「デモが煽られた謀略」だったというのは、確証がない限りは陰謀論に入るわけなんだが、そこんトコはともかくも、中国のお家事情がなかなかに複雑で困難な状況にあるかもとは思うのだな。

ま、中国様のお家事情はおいておいてもチベットは心配。
ダライ・ラマ14世がそんな状況を懸念しメッセージを。

ダライ・ラマ法王のメッセージ
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/080318_release.html

なんかかなり辛そうな状況が透けて見えます。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所からのアピール/日本の皆さまへ
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080319_release.html

日本にも事務局からメッセージ。
うーん偉いなぁ。組織をあげて危機に対応し、一致し、迅速に動いている。しかも配慮を忘れない。
カトリックのように烏合の衆で、バチカンに反抗したり、文句たれたりする輩までいる組織とは違うな。まぁ反抗する人々が内部にあるってのもそれはそれでいいんだが、こういうの見るとなんとなくちゃんとしてるなぁとか思ったりもしますよ。しょせんローマ・カトリックはイタリアっぽいいい加減さで勝手連である。それに比してチベット仏教はなんとなく背筋が伸びてて毅然としてる感じ。もっとも危機に相対すると一致するっていう人間本性かもですが、とにかく危機の為に祈りますよ。

暴力に暴力はよくない。双方が冷静になって欲しい。北京五輪は平和裏に行われて欲しい。けして独立を望んでいるわけではない。チベット仏教という伝統の固有性を認めてほしい。というダライラマのメッセージが聞き遂げられて欲しいもんです。