イタリアからの来訪者 父徘徊

けふは神父様が午後来るんじゃが仕事してる。締切迫ってるんだよね。
ところで、昨日、島レストラン「アマン」に行った。買い物、途中に寄ったのだな。閉店時間に行ったので、お慶さんは買いだし中でおらず、歳さんとバイトの女の子がいた。だべっていたら、外に外人さんが。島にはよく隣の島の那覇の米軍キャンプの兵隊さんが遊びに来る。またアメリカのアーミーさんか?と思ったら、イタリア人だった。
アマンの入り口にあるtrattoriaの字を見て寄りたくなったらしい。
歳さんがイタリア語で話しかけたらハトが鉄砲玉を喰らったような顔をしていた。こんな辺境の小さな島にイタリア語を話す人がいるなんて??何故?と驚いたらしい。わたくしもイタリア語で挨拶したらおどろいていた。のちにお慶さんが帰ってきてこれまたイタリア語で挨拶するんで、彼はかなり混乱したらしい。
そりゃまぁプーリア州の田舎あたりに旅していきなりそこの地元の店の人に日本語で話しかけられたらそりゃびっくりするだろうし、しかも店の中の人がみんな日本語を理解してくれているってな状況だったらナニが起きたかと悩むかも。
そのイタリア人。何故か成田から、日光、修禅寺、指宿、と旅し、次に徳之島に来て、与論島。明日は沖縄に行くとのこと。なんかマニアックな旅である。文学でもやってる人なのかと思ったら、ヴェネチアの船乗りだそうだ。日本語も話せずよくまぁここまで辿り着いたな。ヴェネチア人ってのは昔っから果敢な国際人だが今も同じだなぁ。
彼は、飯が食いたかったらしいのだが、営業時間ではないので、歳さんが、私がたまたま「味見して〜」と持って行ったレバーペーストにパンを出し、お慶さんが帰ってきてから、まかない飯のおじやを「ジャパニーズ・リゾット」として出した。当然、営業外なシロモノなので金は取らない。イタリアの彼はたいそう喜んでいた。
夜はどっかの飲屋のフェスタに行くといっていた。かりゆしかと思ったら、かりゆしは昨日行ったので今日は違うらしい。ちなみにカトリックだけど葬式仏教的に教会には縁がないと言っていた。ゆえにまぁクリスマスは飲んだくれる日ということで、日本人と変わりないのでありました。

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夜中、仕事をして寝ようと思ったら母から電話。
父がいなくなったらしい。徘徊しに出たらしい。しばらくそれは無くなっていたのだが再発したのか?
母は「警察に電話してみる」などと言って電話を切った。連絡待ち体勢でいたがいっこうに電話が来ない。仕事のこともあるし、電話をかけても誰も出ないし、もう寝たほうがいいか悩みはじめた頃、電話が来た。
結局、探しがてら家を出て、警察のある駅前まで向ったら、坂下のパチンコ屋前をふらふらと歩いている父を見つけたらしい。部屋着でうろついていたようだ。
急に私がいなくなったのがいけなかったのか。老人にとって家庭内の日常の変化というのは思ったよりも混乱を招くのかもしれない。困ったものである。

クリスマスイブの夜、父のこと、母のことを祈って寝た。