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今日は一日中寝てた。
夜になって仕事してます。仕事の合間に長崎浩の『叛乱論』をぼちぼちとつまみ読みしてますが、69年の時点で、左翼マスメディアや高見の見物しとるような知識人にむかついているようだ。構造的になんにも変わってないんかね?唐牛はほとんど書き物を残さなかった。言葉を信用してなかったのかこういう知識人というか言論人達にうんざりしていたのかね?
しかし長崎の言及するアジテーション効果について、毛沢東はそういうのがうまかったよな。そう言えば。あと、文化大革命は知識人を狙い撃ちした。この手のソフト面というか知や技術すら平等に底上げ・・・ってのはどうかね?無理があると思う。向き不向ってあると思うし。そもそも大衆をすべからく知識人や技術屋にしようというのは思い上がりというか、知識人や技術屋がなんだというのだ?それ以外の分野も含めそれぞれに才能が違う。知識がないからと言って馬鹿にするな〜〜〜〜とか、まぁ言いたくもなるじょ。この東大の全学連な方の本を読んでると。だって「ヘゲモニー」ってなに?へげモニ?・・・・ってレベルだもん。σ(`・ω・´)ああ。長崎はそんな事言ってないみたいだけど、ムズいよ。この本。
- 作者: 長崎浩
- 出版社/メーカー: 彩流社
- 発売日: 1991/05
- メディア: 単行本
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おお。「へげもに」ははてなさんで誰かがキーワード化してるよ。偉いね。はてな。
しかし、「主導権」をいちいち横文字にすんなよ。
それともそれが喚起するなんらかの意味合いが附加されるのか?
あと、この手ので「メルクマール」とか言うのもむかつく。こういう言葉を連発するやつにこそ「造反有理」とか言いながらグーで殴って文化大革命をしたくなるが、まぁわたくしは己の分際をわきまえているのでしないよ。