唐牛健太郎という人の事、ネットという対抗文化

おらが仕事の棟梁、歳さんの奥さんは、お慶さんという。
けふはトンでも人生な歳さんではなく、その彼を支えた女房お慶さんから色んな話を聞いたよ。
お慶さんはどうやら歳さんがイタリアはカラーラで石叩いていた頃、日本に残り、青山の仁丹ビルで店を開き、その後、渋谷で店をやっていた。「ろくでなし」というその店は、どうやら当時の文化人のたまり場だったらしい。
その客の一人に唐牛健太郎という人がいた。
歳さんがイタリアに行ってしまったんで、「女房をおいて行くとはなんたる酷い男だ。別れろ」などと、文句をいっていたらしい。
この男、なんと歳さんの兄貴同様、全学連の活動家で、しかもカリスマ的な存在だったという。60年安保の立役者であり、1960年以降の年譜を見るとしょっちゅう逮捕されている。歳さんも参加したという、樺美智子が死んだあの国会突入のころに委員長などをやっていたという、企画はずれのどえらく鼻息荒い革命活動家である。
この人の面白いのはその後の人生である。
安保の活動費に右翼の大物から資金援助を引き出したことが原因か(つーかその経緯からしてすごいけど)、とにかく多くの批判を浴びたりしたようだ。それが契機だったかは判らないが、なんとなくこの手の活動から距離をおき、なぜか四国のお遍路に行ってしまい、70年安保の時は与論島にいたという。しかも沖縄問題とか関係なく、島で土方やっていたらしいよ。トタン屋根のボロ長屋に住んで、コンクリかき回していたらしい。しかし有名な活動家と言うんで、未だ彼を担ぎたいというような左翼な輩に面が割れてしまい、今度はオホーツクに行ってしまった。それも紋別。そこで漁師をしていたらしい。
なんとまぁ、歳さんお慶さん夫婦が辿った道とは逆コースである。
歳さんに聞いたら、全然知らなかったらしく、島に来て彼が与論島にいた事を知ったらしい。偶然で彼も驚いている。ほぼ同年代の彼らはどーも「辺境に行く」系の思考をするのかもしれない。
歳さんの兄貴は長崎浩という活動家で「叛乱論」などはじめ、様々な思想書いたりしていて、まぁどっちかというと頭を働かせるタイプだが、歳さんは言葉や理論より行動するタイプで、そういうところが唐牛と似ているとも言えるが、そういう人は辺境で労働するのが好きなのかもしれないです。オホーツクで漁師やっていた唐牛は何故かその後、コンピューターのセールスマンをやり、そののち徳州会徳田虎雄の後援をやっていたらしい。今度は奄美か。なにか辺境に縁のある人であるよ。
既にもう鬼籍にはいられたその彼の追想集をお慶さんが持って来てくれた。なんともこの時代的な暑苦しい思いが大量に詰まった本ではあったが、そこから透けて見える唐牛という男の生涯の紆余曲折はそのまま昭和史でもあったんだなと、なかなかに興味深かった。
60年安保の時代をわたくしは体験的に知らない。しかしこんな企画はずれな人がいたんだなと思うと面白い。思想についてはよく判らんけど、劣化した70年安保の頃しか知らないわたくし的には、この時代の活動家の事はそれ以上に知らなかった。しかし何故かこの時代に生きた人とは縁が深くもある。昔っから社民党共産党とその支持者が反吐が出るほど嫌いだったわたくしはどっちかというと右翼に位置していたと思っていたんだが、この時代を生きた人と話すとなんだか気が合うところがあり、そしてその後左翼が辿った道への彼らの距離のあり方や、それを子供の視点で見て批判的になっていたわたくしと、なにやら接点がある。それは唐牛が日本共産党と対立する位置にいた事や、70年安保の頃の活動を既に冷ややかな目線で見ていたのと共通するのかもしれない。しかしこの時代の彼らの活動、あるいは思想、そしてそれぞれの対立の光景などは複雑で、まぁ追想録を全部読まんと判らんですよ。

で、話を戻すが、「ろくでなし」というバーをやっていた演劇人でもあるお慶さんは大層魅力的なゆえか、とにかく顔が広い。そういう時代の様々な人を知っている。当時はいわゆる「カフェ文化」(日本じゃバーだけどね)というものがあり、様々なジャンルの文化人達がお慶さんの周りにはいたようだ。彼女が生きた演劇世界だけではなく、音楽家、ジャーナリズム、小説家、美術家、広告屋・・・確かにこの時代の文化人達はみんな繋がっている。夜な夜なバーに集まり、口角泡を徒ばして議論していたような時代である。
そういえば、現代はそういう時代じゃないな。あの時代のように煙草を吸ってりゃ、健康に悪いといわれ、酒を飲んではメタボリを気にする。よっぴいて無駄な議論などしない。異種間交流も昔ほど盛んでもない気がする。全て反社会的なモノは資本主義的な流通の中に置かれ、本当の意味でのカウンターカルチャーなど無くなりつつもあるような実存世界。
で、その代わりにネット文化があるという感じか。ネットはオフの世界とは対立にあり、その点ではカウンターカルチャー的な位置にあるようにも見える。自立する大衆からの文化といいますか。アントニオ・ネグリが言及していそうな。
現代のカフェ文化であるネット世界から新たな唐牛健太郎が出て来るかもしれないな・・・などとお慶さん達と話しながら、考えてました。