日本列島は暑いようだ・島の力

んでも、島は涼しかったよ。夜中、月明かりの空を通り雨があったりして、幻想的な夜だった。
南のほうからさぁさぁという雨音が水面を渡ってくるのが判る。
空には月に照らされた入道雲が輝くように浮かんでいる。
んで、一夜明けた島は再び太陽に熱せられて、32度まで上がった。
本土では38度とかふざけた気温を記録していたようだけど、島はせいぜい上がって32度ぐらい。
でも、暑いので島人達は海に行く。
島友人のNさん夫婦が昼間弁当持って遊びに来たので、わたしも海に行った。
海岸はしごをして歩いたけど、結局我が家の前のビーチが一番綺麗だということに落ち着き、我が家の前で泳いでいた。

ところで、夕刻、ニュースで、「与論島、立長で海難事故」と報じられたらしい。
なんでも島んちゅのおじさんが、獲物採りに出て、水死したらしい。島人は海のエキスパートなんで、単純に溺れるということはありえないんで、たぶん心臓発作かなにか起こされたんじゃないかな?などと話していた。
立長の海というとハキビナか?
今年台風で被害に遭われたSさんちもハキビナだった。
今年は島的な風水の巡り合わせが悪いのだろうかとか、ハキビナの産土神か海神の鎮めの儀式でもしたほうがいいんじゃ?などと耶蘇にあるまじきことを考えてしまったが、なにかこう圧倒的な自然に囲まれていると超自然的なことについつい考えが及ぶゆえに、アニミズム的な感覚ってすごく判る気がする。
なにか自然から受ける理不尽な暴力に出遭うと理由付けとか欲しくなってしまうのだな。
それ以前にこの島にはなにかマブイ(魂)をがっちりと掴むようなそんな気がある感じがしてならない。土地の力を感じる。きっとカトリックの聖地、巡礼地などもそんな土地の力を感じる場なんだろう。
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そういえばSさんはもう島に戻ってこないかもしれないとメールにあった。
なんだか寂しい。お返事書かなきゃと思いつつ、どう言葉をかけていいか戸惑ってしまう。
災害に遭うというのは、当事者にとってすごくつらい事だ。やはり体験したものにしか判らないトラウマとなって残ってしまう。あの神戸の震災の時に被害に遭った親戚がその時の事だけは話したくないとつぶやいた気持も、Sさんが島を愛しながらも島には戻らないと決意したことも、それは乗り越えねばならない喪失感ではあるが、乗り越え切れないキズを残してしまうゆえの事だと思う。