選挙とカトリック、司教行幸の暑い島

上記エントリでも述べた通り、鹿児島はなんと言っても保守が強い。
以前、カトリック新聞の方々が新聞購買不振で我が鹿児島教区まで「もっとこうてや〜」と行商にやってきたらしいのだが「政治色が強過ぎで買わん!」とにべも無く言われる土地である。因みにカトリック新聞側は「社会問題は教会の重要課題。もっと社会に目を向けてや」と返答したらしいのだが、鹿児島人民は「おはんらの政治傾向が偏ってるのをまったく気付かないのが痛いでごわす」と言いたかったんだと思いますです。まぁ社会問題を考えるにしても、その考え方には色々な結論があるわけで。
この辺り、コメント欄で迷える大羊さんが書いて下さったこういう問題がある。

迷える大羊 『 またまた、失礼します。今日、元カトリック信徒の方とお会いしてお話しましたけど、彼女の離教理由の一つに、聖職者、一部信徒の政治好き、左翼かぶれがあったみたいです。

 個人的にやるのは勝手だが、無関係の信徒を巻き込んでやるな、と憤ってましたね・・・。まあ、私は当事者ではないんで、詳細なところまではわかりませんけど。』

大阪教区の某信徒さんも悩んでおられたが、とにかく大阪などではこれがあからさまらしい。ミサのあとの連絡会で、社会活動委員会の人々が、憲法9条改憲反対についてとか、政府批判、国旗や国歌への反対などを熱く語るらしい。これってあきらかに政治活動だ。嫌気がさしてミサに行かなくなる人多くなると思う。わたしも行かないと思う。これが自民マンセーとか別の党の擁護であっても、同じ考えを抱くと思う。社会問題に興味があるのは市民として当然なのだが、政教分離言うその口で政治に密着し過ぎってのはどうよ?それに社会問題の回答は一つではない。
イタリアなどでは特定政党擁護する神父がいるらしいが、信徒側に字が読めないなどで新聞読めないのがいるなど、政治そのものを理解していない率も高そうとか、あとカトリックの党があるらしいし。とにかく事情も違うだろう。
とにかく「信徒は馬鹿だから啓蒙してやらねば」と思ってるのか知らんが、寧ろそういう政治司教神父信徒が、馬鹿としか思えん。本来の仕事そっちのけで、政治活動にかまけていたら、反発招いてカトリックそのものがじり貧になると思うけどね。ただでさえマイノリティなのに。まぁいずれ日本管区はベトナム管区か韓国管区に包括されるかもしれませんでしょう。

で、その選挙祭の中やって来た、我が教区のモンシニョール、ダンディなK司教。
K司教は司教本来のお仕事、任された教区を自分の足で歩き周り、徳之島のトライアスロンなど島人達が主催する地域の活動に参加したり、さまざまな活動会、研修などに顔をだし、とにかく人々の間に積極的に入っていく。その柔軟で軽いスタンスは、こうした土地には大変に重要だ。その土地土地の声を聞くと言うのは政治でも同じだけど、カトギョーカイでもそれは同じだ。そもそも司教というのは、そういうギョーカイ世界の政治的存在でもあるわけで。だから自ら赴き、話をして、人々を覚えていく。それこそ地べたをはいずるようなそういう地に足のついた活動をしておられる、
K司教のその人々に対する記憶力はすごい。ソフィアさんのことも記憶していたし、徳之島で出会ったまくちゃまのことも覚えていた。それぞれそんなに会った回数少ないと思うんだけど。この辺りは我が師匠濱ちゃんはない才能だなぁ〜。因みにわたしにはまったくない才能です。
大上段に構えた政治の話などしない。勿論、選挙速報にはかじりついていたらしいけど。笑)
カトリックとしてまずもって必要なのは聖なる職務。
祖母と私とで与ったミサでは、司教は祖母のことを気遣い気遣いミサをなさっていた。ついつい祈りに没頭して祖母が「聖書と典礼」のどこ読んでいいか戸惑っていたのにわたくしが気付かないでいたら、司教様が気付いて指示なさっていた。説教の時は祖母の反応を何度も見ながら、噛みしめるように言葉を選んで話されていた。そこにいる「人を見る」司教様である。
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ま・ここっとさんが「説教の内容なんだったの?」というリクエストくれた。
ええと、旧約でアブラハムがソドムの民の救いをしつこくしつこく頼んだことに答えた神。神とはそのように実存し話しかけるような身近な存在であり、また放蕩息子の帰還でのエピソードにあるように、忍耐強く待つ神であり、帰還を悦ぶ神であり、愛を惜しまず与えてくれる神でもあるという話。つまりその日、朗読された聖書の個所の解説という、説教の基本中の基本。でもそれが一番重要だよねというお話でもありました。神への信。神の愛というのは中核ですな。
最近そういえば神様と直接話してない。反省。
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で、けふは島案内した。
なんせ船の時間までに3時間しかない。どこ行きたいか決めといてくださいね。と宿題出しておいたのですが、選挙ネタをずっとみていた所為で、知識得ず。それで、まぁ、M神父様の指示に従って、王道コース、城と百合が浜を中心に案内。運転手は運転が大好きなM神父。
城(ぐすく)>ハミゴー(風葬跡)>百合が浜>森遥子さんの墓>ゆんぬあーどぅる焼き>ゆんぬ楽園
というコースになった。まぁ無駄がない。ほんとは民俗村を案内したかったのだが、あそこはじっくり菊さんの説明聞くのがいいので、今回は時間がないというので残念ながら諦めた。
ぐすくでは島の小ささと雄大な眺めに驚いていらした。ぐすくには地主(とこぬし)神社があり、M神父が「そういえば司教様はとこぬしですね」などと言っていた。どうもその言い回しが気に入っていたらしく。何度も言っていたです。ドイツ人的にはなにかがツボなのかもしれない。神社側の墓地の埋葬の仕方に関心。骨を入れた大きな甕に驚いていらしたが、奄美ではそういう埋葬をしないのだろうか?
風葬跡のハミゴー、シゴーの「ゴー」とは「コー」でもあり奄美では川の流れるところを指すんだよ。とおっしゃられた。与論には川はない。しかしここは湧き水のある処で、島人にとっては神聖な場所でもあっただろう。司教様はこの霊的雰囲気に満ちあふれた光景を気にいられたのか、写真をお撮りになっておられたですよ。
もっとも有名な風光明媚な百合が浜に行く途中で祖母のいる施設を通りかかったのだが、車から祝福してくださった。おおお!司教の祝福ってヤツだ!映画とか泰西名画でしか見た事無いぞ〜。正直、感動した。感謝であるよ。
百合が浜は、残念ながら潮の関係でまだ出ていなかったのでまぁ割愛。さんぴん茶をおごってもらっちゃったですよ。
与論を愛し、島に埋葬してと願ったカトリック信者だった作家森遥子さんの事は司教様は知らなかった。どんな人だったかM神父に説明されていた。教区民ではなかったから仕方ないか。
ゆんぬ焼きは途中なのでよってみた。ここは地元の土や砂、蘇鉄や海草などを用いた独特の焼きものを焼く。もう一軒ある陶器屋さんヨロン焼も有名なんだけど、あちらは土は違う土地から持って来る。イメージとしての与論を表現しているのだけど、こちらは正真正銘、与論の土と与論の自然の産物である。作家性のあるYさんが試行錯誤して造っているのでマジお勧め。司教様は品のいいゴブレットをお求めになられていた。
ゆんぬ楽園は行ったことが無かったのだけど、ここも民俗村のように島人の生活を知る事が出来る。受付になぜか誰もいない。司教様は入り口に入場料を置いて入って行かれた。呑気である。
ここは最近までずっと使っていたのをそのまま保存したらしい。楽園の名にふさわしく沢山の植物の楽園であった。司教様も植物育てがお好きなのか、じっくり見ていらしたです。「日本じゃないみたいだね」とおっしゃられていた。確かにジャワとか言ってもおかしくない南国的な圧倒的な光景であるよ。まぁうちから見える光景でも何度も「日本じゃないみたいだ」とおっしゃっておられたけど、奄美も似たようなもんだと思うんだがなぁ。

・・・とまぁだらだらだらと観光して、家まで送って下さって、別れました。
とにかく暑かったけど、お二方ともタフだったです。わたくしとミモザは午後昼寝しちゃいましたです。
島を気に入ってくださったらいいなぁ〜。
とにかく沖永良部島与論島と回られ、お疲れだったと思います。