昨日は洗礼者ヨハネな日だったのだが

洗礼者ヨハネ夏至の祭ってのは縁が深くて、というか冬至の祭がイエスの誕生日にスライドされて、夏至の祭は洗礼者ヨハネの祭にスライドされたってだけなんだけど、まぁこの日、欧州では火の祭を行うらしいよ。大文字さんみたいなあれを6月の24日にやる。


島ではこの辺りの時期ってのはもう梅雨明けてるもんで、火なんかたかなくてもクソ暑い。死ぬ。
現在、島温度は27度と熱帯の名に恥じぬ熱帯夜状態。聖書によく「焼きつくす捧げ物」というのが出てきてあれはなんじゃかよくわからんのだが、自分自身が「焼き尽くす捧げ物」になるかのような凶悪な陽光の昼と夜。そんな島夏の日曜日。24日は友人連れて島観光。


友人はアウトドアとは対極にある存在。自然環境とは無縁の人間なので、島では当たり前に存在する自然であるところのクモの巣にいちいち驚き、砂浜がまっすぐ歩けず、ヤモリに叫び声をあげ、草陰にいるかもしれない蛇の存在を何度も「ヘビいない?蛇いるんじゃない?いないって嘘付いてない?」などと訊ねまくり、蚊に刺されまくって足のすねが無残なことになり果て、とにかく「どこの深窓の令嬢か?をい?」と思うが、ただのむくつけき50過ぎのおっさんである。軟弱な都会人め。

そんなガラスの都会人親父が島んちゅですらばてて死ぬような太陽のもと、島観光するもんだから、まぁ死ぬ罠。

とはいえ、親父本来の仕事的興味「歴史」のジャンル、島の伝統物件が見たいってんで、島神社三軒と、島の伝統紹介施設二件、私が島中でもっとも神聖だと思う霊所を回りましたよ。クモの巣をかき分け蚊に刺されながら。

島には島の産土神がいるのだが、そこに明治にやって来た別の神様が威張って存在する琴平神社。同じく明治辺りにやって来た島で一番高いトコを睥睨する高千穂神社。島の英雄の按司を祀る神社と、三つある。神社の神様の有りようみるだけで島の神様攻防史を見るようだ。伝統神様世界も大変そうだ。

友人はなんせローマで古い遺跡ばっかり見てきたもんで、城跡の防塁の造りにいたく感動していた。歴史学者ってぇのは目のつけ所が普通じゃないのが面白いっす。集落が形成されていった歴史が面白いんだな。当時の支配者階級の古い廟墓の向きなどについても気になったようである。わたしには判らんよ。


んで、城(グスク)の向かいに知人が住んでいるので訊ねる。なんせ太陽が南中してる時間。どっかに行きたくなんかないもんよ。双方共にイタリア生活体験者なので話も合うだろうし。んで、しばしそこでお話してから一緒に島一番の霊場で神聖な風葬あとにお出かけた。切り立った崖の外海と接する、島ではめずらしい厳しい表情のある場所で。そこは島んちゅにとっては御先祖様が眠る大切な場でもある。拝所にも通じる張りつめた空気があって、聖堂などに足を踏み入れる時と同じように、精神がピンとなる場でもあるのでなんとなく好きなんだけど。こういう霊的な場というのは大切にしたほうがいいよね。霊的な空間というのは壊れる時は容易く壊れてしまう。守る人の精神が作り上げていくものだけに難しい。聖職者からしてそういう存在を大切にしないのが増えてきたカトリック教会なんかもうぐだぐだ状態なので、ちょいと寂しいであるよ。

午後、島の歴史と伝統知るなら、それを現代の島んちゅの子供たちに伝承させたいと頑張っている、菊さん一家がやっている「民俗村」が一番である。生きた島んちゅの生活を知ることが出来る。友人は早速、菊さんに言語の成り立ちについてレクチャーされていたよ。言語についてかなり興味があるようで、民俗村に来る前から、「与論言葉における母音の約束事などがどうだこうだ」とわたしには判らんことをぶつぶつ呟いていたので、菊さんの話を聞けてよかったようだ。与論言葉の教科書買って帰っていった。勉強してくれ。

まぁ、このように頭脳をちょいと使うには向かない陽気の日に、頭脳を使ったので夕刻、ばてまくってだらんと飯食って、親父と別れ、家帰って、寝た。

で、けふは、空港まで送りにいったよ。
友人が泊まっているホテルまで行って、時間までホテルの庭の木陰でだらだらしていたが、リゾートホテルなもんで、島にいる気分がしない。あそこは別空間だな。わたくしも休暇してる気分になったよ。