『オウエンのために祈りを』非コミュ青年の暴発@ヴァージニア
テレビを点ける習慣がなかったわたしはあの痛ましい二つの銃による殺人事件をネット上でようやく知った。三十余名の命が失われたヴァージニア工科大学で起きた惨劇はアメリカ史上最悪の数だということで、いったいなにが起きたのかしばらく追っていた。
ネット上では、案の定、韓国人批判が多かったり、銃規制の話になっていたりしているが、その辺りは興味がない、或いはすでに多く語られているかで、思いは行かない。
徐々に浮かびあがって来る犯人像は、移民家族に生まれ、典型的な韓国移民の仕事を営む家庭のもとで、おそらく東洋的な価値、息子への期待の中で育ったであろう青年。非コミュな性格、内向的であった彼は、どこかでナニゴトかがねじれてしまった人格的な問題を抱えていて、その発散場を知らず蓄積されていったであろう、世界への憎しみを暴発させた。
なんだか、かつて2チャンネル上で犯行宣言をしてのちバスジャックをしたハンドル名「ネオ麦茶」を思い出した。
犯人像を知る以下の資料
○ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070418
■2007-04-18 ヴァージニア工科大学銃撃犯が書いた戯曲
町山氏が犯人の戯曲を紹介
http://newsbloggers.aol.com/2007/04/17/cho-seung-huis-plays/
戯曲は『リチャード・マクビーフ』と『ミスター・ブラウンストーン』の二本。
『マクビーフ』は継父を憎む継子、『ブラウンストーン』はブラウンストーンという名の教師を憎む高校生の話。
(『ミスター・ブラウンストーン』とはガンズ&ローゼスの歌で、ヘロインの暗喩)。
『マクビーフ』はだいたいこんな内容。
『リチャード・マクビーフ』
登場人物
リチャード・マクビーフ(40歳)継父
スー(40歳)母
ジョン(13歳)
舞台
居間、地下室、車内
リチャード(笑顔で)「はい、ジョン」
ジョン「なんだよ、ディック(リチャードの短縮形)」
リチャード「父さんって呼んでくれないのか」
ジョン「お前なんか父さんじゃない」
リチャード「ジョン、男同士で話し合おうじゃないか」
ジョン「男同士? ケツに入れてやるぜ!」
リチャード「私はお前の生みの親じゃないけど、一つ屋根の下に住む同士だ。うまくやっていかなきゃならない。チャンスをおくれよ」(そう言ってジョンの腿に手を載せる)
ジョン「何しやがる! カソリックの神父みたいなマネしやがって! 僕はハゲでデブの継父なんかにイタズラされたくないぞ! 手をどけろ! マイケル・ジャクソンめ! てめえはネヴァーランドにディック(男根)って名前のペットを飼ってるから、僕にそれを撫でさせようっていうんだろ!」
リチャード「いったいどうしてそんなに私を憎むんだ?」
ジョン「僕の父さんを殺してママをモノにしたからだ!」
リチャード「あれはボートの転覆事故だったんだ。私は君の父さんを救うために出来る限りのことをした」
ジョン「ウソをつけ! あんたは父さんを殺してそれを隠したんだ! まるで政府がジョン・レノンやマリリン・モンローを殺してそれを隠したように! あんたは政府で働いてたろ。掃除夫としてな。母さんを見て、父さんには綺麗過ぎるから、父さんを亡き者にして、母さんを奪ったんだ!」
リチャード「やめ……」
ジョン「このTVのリモコンをケツにブチ込んで欲しいのか? あんたにはそんな価値も無いぜ。このリモコンは5ドルもするからな!」
リチャード「もう我慢できん!」(ジョンを殴ろうとする)
スー「あらまあ、どうしたの?」
以下、延々と継父リチャードに対する息子ジョンの悪口雑言が続く。
▼キリストになぞらえ正当化=映画や音楽からも影響か−米乱射容疑者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070419-00000074-jij-int4月19日13時0分配信 時事通信
【ニューヨーク18日時事】「イエス・キリストのように死ぬ」−。米バージニア工科大学乱射事件のチョ・スンヒ容疑者(23)はNBCテレビに送付したビデオの中で、社会や同級生への憎悪を語り、被害妄想をあらわにする一方、自らを十字架にはりつけられたキリストになぞらえて犯行を正当化した。
チョ容疑者はこの中で、「お前たちにはこの日を回避する1000億のチャンスがあったのに、おれを追い詰めた」と主張。「後世の弱く無力な者たちを鼓舞するため、おれはキリストのように死ぬ」と宣言し、「顔につばを吐き掛けられる気持ちが分かるか?」「お前たちは望むものすべてを持っている」などと周囲の人間への憎悪をむき出しにした。
一方、ニューヨーク・タイムズ紙は電子版のブログで、ビデオと共にチョ容疑者が送った写真のうち、右手でハンマーを振りかざしている写真について、多数の暴力描写を含む韓国映画「オールド・ボーイ」に影響を受けて撮影された可能性があると指摘した。同映画のDVDのパッケージに同様のポーズを取った登場人物が描かれているためだ。
チョ容疑者が執筆した戯曲「ミスター・ブラウンストーン」も、過激な言動で知られるロックバンド、ガンズ・アンド・ローゼズの同名曲にちなんでタイトルが付けられたとみられ、音楽や映画を通じ、チョ容疑者が暴力への傾倒を深めていった恐れもある。
丁度、だらだらとこんな本を読んでいた
オウエンのために祈りを〈上〉 (ジョン・アーヴィング・コレクション)
- 作者: ジョンアーヴィング,John Irving,中野圭二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1999/08
- メディア: 単行本
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主人公の親友オウエンは、成長しない肉体と奇妙な声の持ち主で、貧しいカトリックの両親の元に生まれ、カトリックを蛇蝎のように嫌う信仰深いアングリカン、頭が異常に切れ、常になんらかの怒りを抱え、冷笑的に世界をみている。彼は自らを神の道具と見做し、教会の生誕劇の幼子イエス役をまんまとせしめ、ディケンズの『クリスマスキャロル』の未来の幽霊役では舞台上で自らの「未来」を見たという。自分を特別な存在として認識していたが、確かに特別な人間ではあった。
大人をも翻弄するほどの高い知性と異常な自尊心を持つオウエンはあまり魅力的な人間ではないが、しかしなにか引きつけられるような魅力の持ち主ではある。だからこの小説はどこか切ない。
このオウエンの世界から知性を取り、ただ自尊心のみが肥大したとすると、この犯人の世界観に繋がっていくような、なにかそんな印象を彼の書いたものから受けた。自らをキリストとなぞらえる犯人と神の道具となぞらえるオウエン。父親への憎しみと両親への憎しみ。カトリックへの侮蔑。マリリン・モンローというモチーフ。怒りを抱えつつ、世界と距離をおく。アメリカで、生まれながらにマイノリティで、常に浮いた自分を感じつつ、強い自尊心を抱え生きることには共通項でもあるのか?
オウエンは世界から拒絶されはしなかった。この犯人と違い、目の前の相手を屈伏させることが可能な知性とコミュニケーション能力を持っていた。(だから、チビで変な声のくせに女にももてた)この犯人は、他者との関係性そのものを持つことが出来なかったのか。大人しく無口で、誰とも交わらなかった、怒りを抱えた孤独な人間。
彼にはオウエンの持つ余裕がない。
若い頃というのは概ね自尊心を持て余しがちで、庇護されている環境から大人としての振舞いを要求される過渡期では、そのバランスが崩れがちになる。それをオウエンのような「知性」で克服するものもいれば、或いは別の才覚でそれを克服していく。自尊心自体を鈍くしていくなんてのも一つの方法でもある。ま、親父化、おばさん化、或いは爺婆化させていく知恵が必要。老人力を侮ってはいけない。
「祈り」が必要だったのはこのチョ・スンヒ容疑者であった。
この惨劇の中で、亡くなられた人々、中には生徒を庇って亡くなられた教授もいると言う。
「祈り」を先ず彼等に捧げようとは思う。
しかし世界には「祈り」の必要な怒りを抱えた孤独な青年が多数いるのかもしれない。