典礼の美

いやぁ、今朝はいきなりニュースで能登地震マグニチュード7.1、半島の先っちょで震度6。なんてやっていたんでびっくりした。新潟在住のネット友人madrigallさん大丈夫かっ?!と心配したら、流石中越地震を乗り越えただけあって平然としておられた。しかし能登半島の方々は心配ではありますね。亡くなられた方や怪我をなさった方がいるとのこと、皆様、不安の中におられるとは思います。
で、時々、覗きにいく新潟の司教様のブログへ見舞い的に見に行ったら、新潟教区の教会で古いラテン語ミサの遺産展示をしているという紹介が出ていた。最近、師匠のところで、過去ミサへのノスタルジーというか、第二バチカン前のミサへの憧憬を感じておられる人と話していたのでタイムリー。(司教様のそういう方達への配慮かも)わたくしはそんな昔のミサなんぞ知らんのでそれにこだわる気持自体がさっぱり分らない「40年の聖伝承」で生きている朴念仁ではありますが、あの貼られたラテン語ミサ典書の美麗さは、つまりエディトリアルそのものも美しく造られている様に、確かに昔の人は「美」は神に在ることをよくしっていたのだなと感心。こういう辺りに、現代の(特に日本の)教会でないがしろにされてしまったものの在りかってのが知れてくるとはいえます。そういえば教皇ヨハネ・パウロ2世のエクソシズムの為のラテン語ミサ典書ってのを何故か所持しているんですが、(ラテン語をあまりよく知らないときに買ったのでエクレシアとエクソシズムを読み間違えた為)その典書のエディトリアルも美しかった。
美を前にすると人は緊張します。心に美しいものは人を戦慄させる時がありますね。「美しい音楽を聴いたときに鳥肌が立つ」なんてのがその一例ですが、ミサに臨むに当たってその緊張感というのは実は神との出会いによってもたらされるものだという、神秘性の大切な要素ではあると思います。
美しいものに出会うというのは、例えば自然の圧倒的な美を前に声を失うとか、なにか打ちのめされると同時に心が満たされることがあります。それは神の神秘による満たし、つまり聖なる恩寵であると我々のぎょーかいの人は考えるのですが、そういう感動をミサで体験したいという願いを持っている方は多いんだとは思います。(一言言い添えておきますが、ピオxさん達のように特定のセクトで孤立して固まらず、今在る中で少しずつそれを取り戻していくやり方を考えていくことも大切だとは思いますけれど。)

カトギョーカイ外に目を転じても、例えば聖霊派などは形は違いますが、やはり神の聖なる恩寵を感覚的に受けてみたいと、それによって自分自身が刷新され、日常に派遣されていこうという方法論をとっているのでしょうし。或いは世俗的ではありますがブームになっている「癒し」というのも一種のそれなんでしょうね。人はパンのみに生きるにあらず。美(神・・・つまり神の神秘の技)を必要ともする生き物ではあるなと。
島の自然は圧倒的で、それこそ神の側に在るものが剥き出しでごろんとそこに在る。ここにいると日常生きることへの元気を貰えると感じます。しかし自然は時には過酷で、島なら台風、本土では地震などといった災害をももたらしますが、神という存在も我々をちっぽけなものにもさせてしまう面もありますね。我々にはどうにもならず、恵みをもたらすと共に、悲劇的なものへと追いやることもある存在としての神の美というのは人知を超えたとこにあるなぁと。そういえば旧約の神ってのはそういう神だよな。なんか一貫していなくて無茶苦茶で慈愛があるかと思えば、嫉む神であり、finalventさんがこんな風↓に評する神であり、
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070324/1174713192
とにかくこちらの常識ではよく判らん神ではある。
こちらの常識ではよく判らん神の神秘なる美の窓口であるミサの典礼って、深遠なものだとは思う。簡単に片づけちゃいけないとは思います。

閑話休題
新潟教区でああいう展示やってるってのはいいことだ。美術やっていると、歴史的にどうだったかなんてのを調べなきゃいけない時もあるのだけど、今の日本のカトリック教会はあたかもファシズム的に昔の遺産を消去してしまったので困ることがある。時代考証が出来ない。神父がナニも知らないので全然役に立たない。文筆関連の人に訊ねられても、調べようが無いことも多く、まことに済みません状態になる時も多い。古代とか中世ならいざ知らず、現代の数十年前に行われたことが、ソビエトの記憶省よろしく消去されている現状には、何度泣かされたか判らない。伝統がなくなったと嘆く人が陰謀論をぶつぶつ唱えたくもなるだろうなと思うぐらいの惨状ではあるな。
そういう遺産の見直しや文化保存もしていった方がいいとは思うので、ああいう展示ってのは有り難いことですね。新津教会の神父は偉い。いいなぁ。新潟教区。
司教による新潟の典礼展示と地震の報告は以下
○司教の日記
http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/03/post_cb77.html
新津教会でミサ