『癒しの島、沖縄の真実』琉球日報のないちゃーの記者か・・・なるほど。な本。

飛行機の中で読む本としてこんなのを購入。

癒しの島、沖縄の真実 [ソフトバンク新書]

癒しの島、沖縄の真実 [ソフトバンク新書]

フランスよ、どこへ行く

フランスよ、どこへ行く

前者は琉球新報の記者、後者は産経新聞の特派員。対照的な二人である。左と右の新聞の中の人。
案の定それぞれの新聞社のスタンスがそこはかとなく漏れでた内容だったのには笑えたが、おフランスは所詮よく知らないのでなんともいえないけど、沖縄本については色々思うとこ有りな一冊だった。

書評など見ると、癒しの島、沖縄ブームで作られている沖縄のイメージとは違う沖縄を知れて面白いというのをよくみるけど、私にとっては別にま新しくもなく、むしろ本土の人がそれほど沖縄に疎いのかと驚いたぐらいであった。戦後の酷い時期の話から、現状の沖縄の基地問題等、文化的な差違等々、確かに住んでないと見えないものは多いかもしれない。というわけで、この本に書かれた内容はそのほとんどが周知な話でもあり、寧ろ内地から来た、しかも法政大学出の「いかにも」という絵にかいたような左がかったような琉球新報の記者の目線には寧ろ苦笑せざるを得ないという感想を持った。

うちの島は、鹿児島県で、しかしわが家からは沖縄本島伊平屋島が見えるというほとんど沖縄な、自分の所属県の県庁より、沖縄の方が近いし、文化も沖縄だし、言葉も沖縄に近いし、つまりかつての琉球版図ではあるのだが、常に沖縄ではないことを思い知らされる。観光に力を入れている沖縄とは違う。沖縄はブームで人口が増えているがうちの島は毎年どんどん減っている。観光人口も減っている。鹿児島県はお荷物だとしか思ってないかもしれない。薩摩は支配者の藩であって、鹿児島の古いひとは未だに島の人をどこか見下しているという話もタマに聞く(若い人はそーでもない)。・・・というかそもそもここが鹿児島という感覚が未だに持てない。鹿児島って実はまだ降りたことがないのだ。トランジットで空港通り過ぎるだけ。それも沖縄経由の方が安いので滅多に使うことがない路線だ。未だにナンで沖縄じゃないんだ?不便だ。という思いしか持てない。

沖縄についてはブームもあり、なおかつこういう政治問題でもよく取り上げられる。しかし奄美は沖縄よりはやく返還されたせいもあって語られる事は少ない。戦時下と戦後の悲惨な話もよく聞くうえに、沖縄で差別された奄美の人の話も聞く。そもそも琉球王朝からして島にとっては侵略者であり征服者でもあるわけで、沖縄が自らを主張する度に、なんとなくしらけてしまう事も多い。

しかし、それでも沖縄の人が舐めてきた辛酸は悲惨だと思う。沖縄のおばぁの嘆き、本土の、ないちゃーへの見捨てられた恨みが何故そうだったのか。子供の頃、友達が米軍の演習で使われた爆弾に接触して死んだとか、傍若無人な質の悪い兵隊の暴力に悩まされている日常とかはよく聞く。米軍の基地内と住民達の住環境の差違。本土復帰後もそれはあまり変わらない。沖縄の人は未だアメリカさんの被支配下にあるように感じられて仕方がない光景はよく目にする。そういう光景の積み重ねが、おばぁの嘆きにはあるんだとは思う。基地があるってのはそれぐらい辛い。

野里氏の著書にはそういう沖縄が描かれている。左派的な著者の主張(ことに巻末の独立運動絡みの記述とか)はともかく、やはり基地がある光景の真実は知っておいた方がいい。沖縄よりはやく本土に復帰した奄美と沖縄との島んちゅ達の意識格差が何故生じたのか、改めて知る事となった。

独立運動絡みの記述に関して、著者は沖縄では独立論が盛んで・・と記している。まぁもともと琉球王国であるわけで、そういう思いはあるのかもしれないが、少なくともうちの島の人はそんな事考えもしないし、島だけで完結しているんで、その外側の政府が琉球だろうが日本だろうが関係ないというか、琉球王朝なんて上にも書いたがただの支配者王朝。琉球独立なんていうのは沖縄本島の人だけだろうなぁ〜とかは思う。

著者の書くところの沖縄独立論は、どうやら基地問題アメリカさんの沖縄でのレイプ事件を発端に出てきたとある。しかも言い出しっぺがあの筑紫哲也だと・・・_| ̄|○

で、著者いわく「沖縄戦の後、本土から分断され、沖縄の運命がこの崎どうなるか分らない状況に置かれたとき、本土復帰や国連の信託統治下に置かれることを求める声などとともに、独立の主張もなされた」とあるが、これ、以前も紹介したが、アメリカが「琉球独立」構想を住民に問うた時、ほとんどの島民は本土復帰を求めたことを伝えないと。しかもそれでアメリカがつむじ曲げて琉球独立政府が達消えになったって話。↓これね。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/japan/amami.html
奄美諸島は鹿児島県だが、もともと沖縄の文化圏で言葉は琉球方言だし、かつて琉球王朝の統治下に置かれた歴史もある。17世紀初めに薩摩藩琉球を征服した時に薩摩の直轄領に移された。アメリカは沖縄上陸の前から「琉球人は日本人によって虐げられていた少数民族である」と分析し、米軍の占領が終わっても沖縄は日本へ返さず、韓国のように独立させることも検討していた。そこで奄美諸島も「もともとは琉球の領土」とみなし、日本から切り離して沖縄の一部に加えるのが当然と考えたようだ。

アメリカは軍政府の下に琉球人による民政府を作り、限定的な自治を行わせることにした。しかし沖縄本島は激しい地上戦で破壊され交通・通信は壊滅状態だったので、沖縄、宮古八重山奄美の4つの「群島」に分け、それぞれに自治政府を作った。

こうして奄美では46年3月に本土出身の「日本人」が公職から追放されて鹿児島へ強制送還され、10月に「奄美人」による臨時北部南西諸島政庁が発足、50年11月には奄美群島政府に昇格し、ちょっとしたミニ国家のようになった。米軍の指令によって、本土企業の支店や営業所は接収されて公営企業となり、大島中央銀行も誕生した。群島政府知事や群島議会の選挙に先駆けて、協和党や社会民主党などの独自政党が生まれ、地下組織として結成された奄美共産党は当初「奄美民共和国の独立」を掲げた。

しかし、4つの群島知事選の結果はいずれも「日本復帰の実現」を公約にした候補が勝利したため、不愉快になったアメリカは51年4月、新たに琉球臨時中央政府を設立し、群島政府は廃止することを決定。翌52年4月に琉球政府を発足させた。琉球政府のトップである主席は公選ではなく米軍からの任命で選ばれ、親米派の元英語教師を主席に据えた。こうして奄美の行政は沖縄と一体化することになった。

1951年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約では、琉球列島(日本式に言うと南西諸島)は正式に日本から切り離されてアメリカの施政権下に置かれた。平和条約の調印を前にして本土復帰運動が急速に盛り上がったが、なかでも激烈だったのが奄美。復帰要求の署名運動では、14歳以上の住民のうち99・8%もの署名が集まり(沖縄本島では72%)、数千人規模で村ぐるみの断食祈願(つまりハンガーストライキ)が繰り返された。

なぜかというと、日本と切り離された打撃は沖縄より奄美の方が大きかったから。アメリカ統治が始まってから本土との往来は禁止され、後に緩和されはしたものの本土へ行くにはパスポートが必要になったし、渡航許可は那覇を経由して申請したので手続きに数週間かかる。本土への商品出荷は「外国製品」として関税がかけられたため売れなくなり、日本政府や鹿児島県からの補助金はストップしたうえ、アメリカからの援助は沖縄本島の復興が優先されたので奄美にはほとんどまわってこなかった。このため奄美住民の生活は困窮し、沖縄のように基地産業で潤うこともなく、人口20万人のうち3万人が仕事を求めて沖縄本島へ移っていった。

実情はこんなだったわけだ↑著者は「(独立論)は少数意見でしかなかった」と書いているがこういう事情だったようだ。現代における独立論は、筑紫哲也(ill ´Д`)が言い出しっぺなんて有り様でその支持者は本土の共産党社民党であり、沖縄県民がほんとにどう思っているのか、上記の著者の書からはあまりよく分らない。彼の視点には既に立場にバイアスがあるが故に。

沖縄が独立したとしてもおそらくアメリカは前線である沖縄をより一層手放さない事になるのではあるまいか。寧ろ本土の日本人の理解を求め、基地の分散を計る方がまだ遙かに現状の沖縄を救う方向に行くと思うし、とりあえず現実的だ。(まぁ支持者に独立沖縄が共産党国で中国様とラブラブってシナリオが頭にあるなら御花畑だ。たぶん中国様が基地造るんじゃないか?などと思うんだけどどうなんだろ?なんせ「琉球は中国」なんて事をいう中国の学者がいる始末だしなぁ・・・)いずれにしても台湾まで含めた海洋文化圏は大国の思惑に翻弄させられているなぁとは思うけれど。ちょうどうちの島の過去が琉球や薩摩に翻弄されたみたいな。

あと、上記サイトの続きだが、奄美復帰でこんなこともあった事も紹介しておく。

奄美の人たちは本土復帰が決まって万事メデタシかと言えば、新たな問題も生まれた。沖縄で働いていた3万人の奄美人は、奄美復帰とともに琉球人から日本人、つまり法的には「外国人」になってしまった。沖縄で仕事を続けるためには居住許可が必要となり、政治的権利は剥奪され、公務員にもなれなくなり、また土地所有権の取得が認められないなど、沖縄に住む奄美人は様々な差別を受けることになったのだ。こうした「民族分断」がもたらす矛盾が解消されたのは、72年に沖縄が日本へ復帰して、本土人も沖縄人も奄美人もみんな同じ「日本国民」になってからのこと。

「癒しの島〜」の著者も本土からきた「外国人」扱いで色々困惑したようだが、沖縄の残った奄美の人は困惑どころか悲惨であったようだ。

『癒しの島〜』は、琉球新報の思想性がよく判ったなという一冊であった。ほんとのうちなーんちゅの声はまた違うかもしれないし、その辺りを寧ろ知りたいものではあるが、少なくとも基地問題は沖縄の人にとっては辛い事であるなというのは沖縄の人と話す機会を得た中でも感じたことだし、その現状や歴史的な推移などの片鱗を知るのにはやはり好著であるなぁとは思う。

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そういえばこの著作のなかで、沖縄に移住する人の話がでて来る。沖縄にいる本土の人は「沖縄フリーク」か「沖縄をどうしても好きになれない人」か「好きともいえなきゃ嫌いでもない」中間派だそうだ。嫌いという人がフリークを上回っているのがちょっと面白い。中間層が沖縄移住を考える時はしっかり計画たてないと大変だよとアドバイスをしている。
私は実はフリークではないし、うちの島もあざみ野(横浜市青葉区)も浜田山(東京都杉並区)も京都(上京区)もどこ住んでもたいして変わりない。大変と思った事もない。どこも似たようなもんだと思ったりする。不便の部分が違うだけとか。そんな程度。島は都会的な便利はないけど人がいなくて息がしやすいし余分な買い物しないで済む。都会は息が詰まるけど便利なもんにかこまれてるよね。京都は親戚関係がうざいかも知れないけど、あれは慣れだから。