『魔の山』トーマス・マン サナトリウムの蛸壺文学・中間報告

長いね。『魔の山』長編だね。まだ半分までしか読んでないよ。

魔の山(上) (新潮文庫)

魔の山(上) (新潮文庫)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)


今ントコ、主人公のハンブルグ出身の造船エンジニア見習いの青年ハンス・カストなんとかとかいう人がいとこの闘病しているサナトリウムに見舞いがてら養生に来たはいいが、自分も熱出してばてて、ついに療養所の中の人になっちゃった為、この蛸壺の中で延々退屈で終わりを知らぬ生活を続けているという辺り。

要は結核サナトリウム文学ですな。

閉鎖空間にほおりこまれて死と向き合い、人間とはナニか?という哲学的なことを考える文学ってのの親玉文学だという感じなんでしょうが、とにかく長く、延々と登場人物たちと様々な事象について議論しているので、入り込めないと退屈だ。

主人公のハンス君は、凡庸な町の青年ではあるが、非常に抑圧的で且つ、うにうにと考え込むのがすきそうな気質を持っている。しかしまったく白紙な状態でもあり・・という設定でサナトリウムの蛸壺にやってくる。そしてそこで出会う、イタリア人セッテンブリーニ氏(9月なんてなふざけた苗字だが、人文学者。カルボナーロの党員かなんかの父か爺さんがいる)や、病院の先生で「審問官」だかなんだかそんな大仰なあだ名の医者(医療に関する哲学を延々話す躁鬱気質の親父)とかとコムズな議論をしているうちに、脳みそが鍛えられて、現在余計に熱が出そうな状態に陥っているようです。

それ以外にもこのサナトリウムの閉鎖空間には色々な雑多な、愚かな、あるいはナニ考えてんだか判らぬような、患者が多数いて、ハンス君はそういうのをわりと冷淡な視点でねちねち細かく観察している。この辺りはユイスマンスのあの意地悪な視点にも通じる。あと、ハンス君の淡い抑圧された恋心などはスタンダールのジュリアン・ソレルより奥手でイライラする。

まだ読み終えていないので今のところ書評するだけの知識がないが、コレ読んでいて受けた印象は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺」という映画を見ているみたいだなぁ。という感じ。

こんな映画↓
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD13991/story.html

読み終えたら、ちゃんと書く。・・・・つもり。
一応、読んでいるよという報告。