サラリーマン殺しと企業倫理

労働組合が機能しなくなって久しい気がする。まったくお勤めに縁のない部外者の私でもそう感じているんで、世の中の働くおじさんおばさんたちはもっと感じてると思う。
メーデーなんか、労働者の為の日のはずなんだが、何故かわが国のメーデーは平和集会と化しているようで、「憲法9条反対」とかやっている。つまり現実まだ起きてはいない国際的危機の話とか、過去の反省を延年やっているようです。おまんまが食えないようなよく判らん話にいってしまうので、ほんとに労働状況で困っている人には正直どうでもいいことだろうし、なもんで労働組合が機能しないのは労働組合な人々の自業自得なんだろうけど。
だからまぁ平和問題や国際問題と労働問題は切り分けて論じとかないとマジ困るよと思うのだがナンで一緒にするんだろ。
で、内田さんブログ。今回は国家と国際的なこと。つまり最終的に平和問題についてなようだよ。
内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2007/01/16_0948.php
不二家化する日本

不二家の不祥事は悲しい。不二家が好きなわたくし的には。雪印不二家は非常に大切な企業だ。毎日の食生活には欠かせないぐらい。あの不二家のハートチョコレートは日本のチョコレートがクソ不味いと思う私にとって唯一食えるチョコだったのにのう。

この事件は現代日本企業の知的退廃を象徴する出来事だと私は思う。
「知的」退廃というところにご注意願いたい。

内田氏が指摘する企業の長期的視野に立った戦略とは思えないアホ対応な不二家の馬鹿っぷりにはまったくその通りだと思うのだが、その後の内田氏の論評はどうなんじゃろか?

予測可能・考量可能な危険と、予測不能・考量不能の危険。この二種類の危険を私たちは生き延びる上で勘定に入れておかなければならない。

という論はその通りだと思うのだがそれが

勇ましい核武装論や九条改定論が出てくるのは、この平和と繁栄に対する苛立ちのひとつのかたちだろうと私は思っている。「ちょっと戦争でもしてみるか」という気分に一部の男たちはなっている。

と、それが上記の分析になっているのはナニか矛盾している気がしなくもない。

というのも「憲法改正を望む人々は、好戦的である」という前提に立っているのが既に間違っている気がするんだけど。「リスク回避のために備えておきたいです。」という人も多いんではないか?つまり「予測可能な・考量可能な危険」を勘定に入れた上で。憲法改正を望んでいる人もいるはずである。どうも9条教の人々に違和感を感じるのはこのあたりの硬直した決め付け方にある。

まぁわたしは平和なほうがいいんで戦争になることはなるべく回避してもらいたいが、リスクを考えたとき今の9条のあり方はほんとにいいのか?とか思うので、単純に憲法改正反対といい切れない。憲法の専門家じゃないんでわからない。だから未だその判らないゆえに双方の意見を読み続けている。ただ、9条を守りたい人はまずその「改正派」への「軍国主義者」レッテル等の色眼鏡を取っ払わない限りその言葉にまったく説得性がないと思っている。内田氏にしてこれなんで(深読みするなら右派が左派に貼る平和ボケレッテルへの内田氏のは一種の皮肉なのかもしれないけど、だとしたら判りづらすぎだしな)、とにかくちょっとなんとかしてほしい。なもんでそこ、仕切りなおして頑張ってほしいもんだ。

で、9条はともかく労働問題についても触れときます。

とにかくザビ家(経団連)に操られている政府の経済政策が労働者を分断し組合を弱体化させ、派遣という名の奴隷を雇い、とにかくマルクスたんがぶりぶりと怒りをぶつけたような近代に逆戻りな社会状況にあって、再び労働する全ての人が怒らにゃいけん状況が来ている気がするんだけど、労働者の友人たる左っ側の人々の主張は、とにかく外国人労働者の権利を守れとかが目立つし、国内労働者のご飯を奪うようなシロモノで、こちらもグローバリズムの前提に立った考えだったりする気がしなくもないが。職がなくてニート状態な、或いは派遣しか生き延びれない若い人々を「右傾化している」などと批判している前に彼らの不安に応えることナニもしとらんよな。こういう時、怖いのはやはり社会主義ナショナリズム(つまりナチみたいなのね)の台頭だよ。というのはその通りだけど、自ら生み出していちゃぁしょうがあるまい。
とにかく皆不安だけど、一番不安なのはおまんまが食えないかもしれないことのほうが不安だと思うよ。不二家の問題にしても、おまんまが食えないことからはじまっているわけで。

ところでうちの母親は過酷な社会で生き延びる為のスキルとして「人と違うことをする」というのを一つ教えてくれたんだがな。内田さんの母ちゃんとは違うみたいだ。そういうのに微妙に疲れて反発して人と同じでありたいと思うことは常にあるけど、そこはかとなく無理だ。

まぁ女性的とか男性的思考って括りほどあてにならんものはない。あるとするならそういう性質を持った群れAとそうでない群れBとかいう分類でしょうねぇ。