神話化と教会

先日、ま・ここっとさんからK司教様がドン引きしたらしい日記を紹介してもらいました。↓これね。

http://sdemo.net:8280/pken/Blog/061211

我が島は鹿児島ったってほとんど沖縄だし、あんまり鹿児島教区民って意識がないんだけど、やっぱり自分とこの司教がナニ考えているのかとか司教座を中心とする各教会群の動きなんかがつかめるのが判るってのはありがたい。・・が、どうにも重すぎてみる気をなくしていたのでご無沙汰しまくっておりましたよ。

で、それはどうでもいいことなんだけど、ドン引き記事はこれ↓

フランシスコ会司祭本田哲郎神父さんの話は、聖書の勉強みたいだった。幼子の誕生は宿がなく仕方なしに家畜小屋ではない!生まれ故郷に名を届けるために帰ったのだから親戚縁者はいなかったのか?子どもが生まれるというのに知らん振りは考えられない。真っ先に駆けつけたのが、羊飼いに東の国の博士たち。彼らは当時のならず者に異教徒の罪びと、なのだという。ヨセフもいわゆる大工さんではなかった。石を切り出す最下層の労働者。

そこまではいいとして・・・。聖霊によって身ごもった?レイプの被害者だったかもしれない。それを聖霊によって、と言わざるをえなかった云々には、思わずギョッ!神父さんがますます先鋭化してしているのが少し怖かった。

コメント欄でも皆様ドン引きしていたけど、そりゃドン引きするよね。先日も在世フランシスコ会のあねさんたちに話したら、ドン引きしてましたです。いやぁ。本田神父様、超過激杉。

本田神父といえば『解放の神学』に傾倒した超リベラル。そして聖書学者としても名高い。非神話化される聖書物語ということなのかもしれないし、話の文脈でどういう風に話されたか判らないので彼をそのまま批判するのはよくないと思うけど「マリアはレイプされイエスを生んだ」というのはイギリスのBBCが放映した番組化なんかで話題になったという話をなんとなく覚えている。すごいなぁ。ブルトマンもそこまではいわないと思うよ。

しかしだ、このネタ、コメント欄にも書いたけど、昔まだわたくしが激しく青々しい頃、洗礼受けようと勉強したりもしているうちに、やがて反抗期に突入。「イエズス様?・・・けっ」とか「マリア様ぁ?・・けっ」みたいに斜めに構えるような典型的な青臭いガキんちょ時代を迎えたときに考えついたネタだったんだよね。

「結婚を控え、喜びに満ちていた少女マリアが、レイプされ身ごもってしまう。それを知ったヨセフの苦悩。しかし世間の白い目の中で子供を健やかに育てようとする二人。イエスは伸び伸びと育つが世間の冷ややかな態度にその事実を知ってしまう。両親の苦しみの根源は自分だと苦悩するイエスは家を飛び出し荒野を40日さまよう・・そしてそこで『愛』を知る」
・・・とか言う話。うわ。よくありそうな青臭いストーリーだなぁ。

あんまりシスターや神父が「イエズス様、イエズス様」などといってるもんで、「神とかナンとか言ってるけど、ありゃ単なる偉大な男だろ」的にとても人文主義的な、つまり神秘もへったくれも介入することない感動も物語として、上記のような「聖家族の苦悩の物語」を思いついたわけで。漫画に描こうと悶々と妄想しましたよ。
で、反抗期になっても、イエスは偉大な賢いやつでマリアは従順、ヨゼフは忍耐する善良な男という設定にするあたり、既にもう糞クリスチャンな自分ってのがある辺りで、その反抗もたいしたことがない。サドとか読んでへぇ〜〜〜面白いと思っても実践しないようなヘタれだったから。

とにかく、生きるということの様々な矛盾を知った今では、そういうべたな設定は今更、心に響くこともないし、そもそもが三位一体の面白さに芽生えてしまった今となってはどうでもいいことになってしまった。人間の生活レベルでの狭い範囲での解釈よりも、宇宙の神秘を解き明かす「隠された奥義」としての三位一体、或いは救済の屁理屈(神学)のほうがなんじゃか魅力的なので、そういう完結するお話ではもう心は動かない。だって現実にはもっと不幸な家族が多かったりするし。

聖書は実はあまり情報が多くないからどうとでも解釈できる。物語を沢山付加することも出来るので本田神父が紹介した話もその一つに過ぎない。史実でもなんでもない。聖書は断片過ぎて、外典も含め様々な福音書があり、それは書いた者の思想が反映されているし、だから複数の福音書の記述には互いに矛盾がある。

ただ、聖書学などをやっていると、事実はどうであったか?とか人間イエスはどうであったか?というのに自ずと興味が行くのかもしれない。しかしあるときそれは自分自身の解釈に過ぎない、普遍化されないものだと気がつくときがあるだろうとはおもう。田川健三には田川のイエス像があるように、本田神父には本田師のイエス像があるのだということで。史的イエスには限界がある。

まぁ本田神父の場合レオナルド・ボフみたいに教会権力についてのある種の反抗心があって、教会によって組織されていく神学への反発とかあるのかもしれないなぁ。その講演を全部聞いてみたかったかも。

そういえばfinalventさんがこんなこといっていた。

finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061218/1166407677
■ついでにバルト

神学的にはちまちま書いているようにティリヒの影響を受けたけど、今となってはその組織神学にあまり関心はない。説教集をなんども読み返すというか、説教集に見えるティリヒのほうが組織神学のティリヒより重要なんではないかと思う。

リーヴがカルヴァニズム的なキリスト教からユニテリアンやユニヴァーサリズムに傾倒していくのだけど、私も若いころにそういうものに出会っていたら、リーヴのようになっていたかなとは思う。というか、教会と聖餐というものに、生活人としての憧れを持つ。

これは「極東ブログ」で彼が書いたクリストファーリーブの書評を受けて書かれたもので、ユニバーサリズムやユニテリアンにリーブが傾倒していったことについて触れている箇所への言及。元ネタはfinalventさんブログ経由で読んでね。

で、

若い頃牧師さんに日本人は歳を取るとキリスト教を卒業してしまいますね、と言われたことがある。ある主の倫理的な徳目のなかに解消されてしまうからなのだろうが、いわゆるキリスト教信仰も日本社会にあっては同じようにも見える。そういうものをどう考えるかというと、私は考えるを止めてしまった。

と書かれている。ここに至ったプロセスがイマイチよく見えないのだけど、卒業してしまうキリスト教ってナンだろうな?と思った。

リーブがなんとなく無意識に否定しただろうカルヴァンの、あるいはカトリックの「償い」のようなもの、いずれにせよ罪と罰が規定される「倫理的徳目」は確かにいつか解消されてしまうかもしれない。冒頭にあげた本田神父のこだわりを私が既にどうでもいいこととしてしまうことも同じなのかどうかは判らないんだけど。

ただそれを「卒業」というのか?私は成熟なんじゃないかと思う。でも私の場合は青臭い青年期を抜けて、なんか諦めめいたような年よりくさい、或いはコムズな複雑なことを思いめぐらせはじめた証拠かもしれない。とにかく単純ではなくなったなぁ。フランシスカンは単純さをよしとするわけだけど。

だから「卒業する」という言葉は違うかもと思うけど、変質したのは確かかもしれない。自分にとってクリスチャンであること、カトリックであることというのは、ただの思考の根にあるアイディンティティに過ぎない。でもたとえ表層が変容しようと根はやはり変容はしないやね。

◆◆
ところで某所で知り合いがチクってくれたんだけど、2ちゃんねるの宗教の板にこんな書き込みがあったらしい。先に取り上げた本田神父の過激発言を受けてのものらしい。

533 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 14:18:31 id:SoHYkj8W

>>503
>おい、OFM大丈夫か?この人物検索すると街道関係やないけ。
>聖母がレイプ被害者?市民クリスマスって、信徒だけやないやないけ。

>>504
>フランシスコ会はフラティチェッリみたいに昔から先鋭なところあるだろ。

昔から『托鉢し清貧を説くフランシスコ会士がいったいどれだけ貯めこんでいるのか神さまはご存じない』と揶揄されてますしねぇ(w

ましてや、一等地瀬田や田園調布のイイトコで、冷蔵庫を開ければいつでも冷えたビールが飲め、分厚いレアのステーキを喰らう生活をしていながら、上っ面だけ清貧やご指摘の社会的コミットを漫然と続けるのなら、ミッションや霊性以前に自ずから精神を害し、分裂して逝くのは自明であって、御紹介のサイトは単にその「精神分裂」が顕在化し発露したに過ぎないのでしょうね。
不思議なのそうしたタイプの方はやがて肉体をも犯され、癌などになりがちなこと!
実に、聖職者や修道女の死因に癌は多いですよね。

さて、本田師は、知らぬ間に日本管区長に祭り上げられ、こうした生活を送るのが良心の呵責に耐えられず、彼の道行きにも躓きとなるのに気づき、あっさり職を辞して釜ヶ崎に来た(運ばれた)まではよかったと思われ。
動機はいいんです。だが、その後がいかん!!!

最初は止むに止まれなかったかも知れないが、いわば「より深い出合い」に我の根を砕かれるべきところを、たんなるイデオロギーの手段に過ぎない、「社会的活動」に身を投じ、それそのものが目的になってしまった。
神の慮りにはもっと先があるのにね。愚かなことです。

537 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 18:17:00 ID:3NueDWzA
フランシスコ会の一部の神父は当分の間、小鳥に説教するのは止めて自分に説教した方がいいんだよ。

超受け。
ネラーに目をつけられた本田神父。笑)

上っ面だけ清貧

↑思いめぐらしても否定できない気が・・笑)
ここをこっそり覗いているフランシスカンたちは心するように。特にパソを頻繁に買い換えたり、洋書を大量購入したり、うまいものを食いたがったりしないように。

ただ、瀬田のあの土地って確か徳川時代の処刑場で誰も買い手がつかなかった土地だったとか聞いたよ。だからあの修道院は幽霊が出るんだよね〜。幽霊が怖くてトイレに行くときロザリオする師匠に話したら超凍っていた。あと田園調布も古墳なんだよなぁ。雷がよく落ちるし。そもそもあの土地は当時信者だった海軍のえらいさんが関わっていたとか、それで安い土地を探していたら提供されたとかなんとか。教会誌に出ていた記憶があるケド今手元にない。とにかく当時はどっちも(特に瀬田は)辺鄙な郊外だったんじゃあるまいか。買った修道士たちもまさかそんな街になるとは予測していなかったとは思うけど。どうなんだろう?

にしてもネラーさんたちって色々詳しい。ギョーカイ関係者が暗躍していたりして・・・。