心理的なこと

人は病になると信仰が深まるというが私の場合どうもそういう方向に行かないようだ。相変わらずミサさぼりをしている。いかんな。
どうも他人の病となるとよく祈るが自分の病の場合は忘れる。自分のことになるとその危機そのものに対してマイブームになってあれこれ調べたり、或いは危機的心理を回避する為にくだらない漫画を読んでぼけっとする等で時間を費やしてしまう。でも他人様の病とか危機はどうしようもないので祈るしかない。
幸いにしてカトリックは他者の為に祈るのが大切などというので回りまわって誰かが祈ってくれるんでチャラかもしれんの。
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そういうわけで、色々な方が心配して電話くださったりするが、子宮を取るということに関してショックを受けてるんじゃないかと心配くださる方もいる。その手のショックはお医者さんに言われた日に、『ワンピース』を、それも下流なわたくしの中で封印していた「大人買い」をしてむさぼり読んだので解消してしまった。まぁショックなことがある時はのんびりした漫画読むに限るな。つっても、やはり結婚てのはしてみたかったし、恋人もいない今の現状で、そういう危機がやってくるってのは「運命の女神、モイライの馬鹿」などとムカつきはするけど。
まぁ、結婚は別に出来るわけなんだが、なんつーか「売り」要素が一つ減った気分。それともしかしてこれから出会うであろう相手にいちいち「わたくしはねぇ子宮がないんすよ」などと説明するのはやっぱり嫌だよねぇ。
とはいえ、おばさん化現象が著しく進むであろうこの筋腫とやらと同居だと、おばさん化現象によってタダでさえ「ロリ」だの「若い娘がいい」だのいう日本人の殿方の心をゲト出来なくなりそうだ。「子宮がないんすよ」などと告白する相手にすら恵まれなくなる。
そう比すると、ないほうがマシかも。

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まぁ一番やなのは痛そうな手術ですな。手術経験者は大丈夫などといってくださるが、チキンハートな私はその痛いのと、病院に出るかもしれない幽霊が嫌だ。

医者の説明は簡潔で余計な修辞もなくて有難かった。セカンドオピニヨンなど考える必要もないくらい的確な説明であったと思う。特に子宮をとるにあたって「これは精神的に悩まれる方も多いからよく考えて」とだけ仰ったけど、「この医師は精神的なものの負担が大きいことを理解していてくださる」という安堵感もある。

しかし同じ婦人科系の悩みをかかえる方のサイトを見ていると少なからず所謂「ドクハラ」に傷ついたという方がいるのに気がつく。デリケートな問題ゆえに説明は難しいだろう。受け止める側がナーバスになりすぎているなと思う例も多いが、しかし「そういうこというか?」的な医者も意外と多いようだ。
子宮内膜症の人に「妊娠したら治るんだから妊娠しろ」とか、余計なお世話だ。病気を治すために餓鬼を産めたぁ、なんじゃそりゃ?
「生理痛なんて病気じゃないんだから」と身体を折って苦しむ人に投げかけるとか、まぁそりゃそうだけど、確かにそういうの親なんかよく言うけど。耐えられないくらい辛いから来ているんですけど〜という人もいるだろう。この辺り痛みの感じ方。苦しさの度合い、人それぞれで対応は難しいことは想像できるが。
「説明不足」というのも多い。私のかかった先生は簡潔ながらも一通り説明してくれたので当たりだった。あとはこういう時代だから細かいことに関しては自分でも調べられる。その疑問を持ってまた先生に臨めばいい。先生も忙しいので余計な時間をとらせぬためにもこっちも勉強は必要だ。しかしそれらのヒントすら与えてくれない医者だと確かに困るだろう。
医者との付き合い方は難しい。甘えすぎたり頼りすぎてはいけないが、一定の信頼は必要だ。
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にしても一月まで鉄飲む以外することないから、とりあえずおされな寝巻き探しでもするか。下流だからたいしたの買えないけどね。ガウンと前開きのネグリジェ(チューブ状態のときはこれがいいらしい)とパジャマが欲しい。どこで探そうかにょぉ。