今、ホットないじめ問題

なんつーかこの右へならえ的な世間様の有様が出る杭を打つ的なエートスを作り上げたりもすると思うのだけど、いじめ問題は昔からある。古代からあったと思う。たぶん。浦島太郎はクソ餓鬼のいじめから救った亀に竜宮城に連れてかれたし。

で、ululunさんがこんなエントリ。
○煩悩是道場
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20061112/think061112
■いじめられっ子にならないようにする方法を語る事では、いじめを無くす事が出来ない

私がいじめを受けてきた理由は、家庭が経験なローマンカトリックの信者であるというのがあります。

えええっ!?ululunさんってカトリックだったのぉ?!
・・・・・・・・・・・じゃない。そこじゃない・・
えええ!!カトリックっていじめの対象なのぉ???
・・・・・・・・・・・・違う、そこじゃなかった。

元はいじめを乗り越えてきた人やいじめにあわないようにして来た人の体験をシェアしましょ♪なんてちょいとノー天気なエントリに対し・・・

こういうエントリを読んでいると、いじめられなかった人自慢というか、いじめを切り抜けて来たよ自慢というか、いじめを切り抜けて来る事が出来ず結果として小学校5年生から成人するくらいまでの長い時間いじめにあってきた私へのいじめなんじゃないか?とルサンチしてしまう。というかいじめでしょ。

・・・と、お冠。
そりゃそうだ。いじめ乗り越えた人ってのは、いじめを乗り越えられずに悩んでいる人の気持ちは判らんだろう。寧ろ「いじめられるには理由がある」などという人はいじめを乗り越えられた人が言っているんだろうなぁ・・などと冷ややかに思っていた。
いじめの理由もいじめの発生状況なんて千差万別だと思うし。解決方法なんてあるんだろうか?などとシニカルに思ってしまう。せいぜいあの牢獄じみた学校制度をなんとかしろとか思うくらいでなぁ。行かなければならない頸木ってなぁどうなんだろう?

私が幼稚園のときにいじめに遭った話を書いた。幼稚園児なもんで詳しくは覚えていなかったのだが、母がよく覚えているその原因は、いじめっ子の母親の我が家に対する嫉妬だった。母が子供服を作れるというスキルがあることが羨ましかったらしい。我が母はおフランスなパリモードざんすな雑誌で見た洋服なんぞを造って我々ガキに着せていた。(まぁ元々母はそういう仕事の人なので)それが面白くなかったらしい。しかしクソ餓鬼なるわたくしはその子があまりに着ている服や持ち物のことでいじめるもんだから、母のおされなパリモードなんぞよりキャラクターのついた傘とか靴とか、フリルひらひらのお洋服にあこがれた。「普通の女の子のがいい〜」と駄々をこねたりした。親の心子知らず。そんな親に育てられたので描く絵も変。パウル・クレーとか模写してるし。挙動も周りと違っていたらしく、とにかく浮いていた。

で、幼稚園で自閉気味になったわたくしは京都の母の実家に預けられ「幼稚園に行かない」という方法論でそれを切り抜けたが、今思えば登校拒否児ってヤツだな。

「普通がよい」ということを学んだ私は、その後小学校でいじめられぬ為に、色んな苦労をした。例えばまったく興味がないのにテレビで芸能人のことを研究するとか。とにかく出る杭は打たれてはならないと、目立たなく、長いものに巻かれる的な苦労をした。こんなに苦労しなくてはならない環境は嫌だったので、私立の中学を受けて逃れた。せいせいした。

逃れることが可能だったからよかったが、逃れることが出来なかったら神経衰弱していたかもしれぬ。あの牢獄の中にいたら乗り越えようたってそうそう乗り越えられんよ。疲れてしまう。誰かがクラス制度とか学年制度とか無くせばいいんだよ。と言っていたけど、確かに一つの解決方法ではあるだろうけど。どうなんだろ。

にしてもカトリックであるが故にいじめられるなんて困るな。とにかく「人と違う」「同調しない」「長いものに巻かれない」のはいじめの要因に繋がりやすいとは言えるけど、これって出自を以て差別することと同じかも。或いはカテゴリの単純化

で、いじめを回避する為に長いものに巻かれていくうちに自分のアイディンティティが壊れていく。それは辛くてしんどいよ。

ところで、長いものに巻かれないイタリア人なんかでもいじめあるのかな?あのやたら自己主張するアメリカ人でもいじめってあるね。スティーブン・キングの小説なんてもろそれだし。