猫飼い

島の猫飼いは勝手で放置。家でご飯あげるけど、猫は放浪するんでしばらく帰ってこないとかよく言ってる。離れたトコで隣の猫を見かけたこともある。猫はテリトリがわりとはっきりしているので「いつもいる猫」がスポット的にいたりするのだが数年経つといなくなるんでたぶん死んだんだろう。野生が放置な代わりに長生き出来ない土地。

子猫殺し騒動で、猫飼い主がとても怖くなってしまったわたくし的には猫まで嫌いになりそうになっているが、実は以前島猫を飼おうとしたこともあった。「よし!飼うなら短毛のグレーの猫にするぞ」などと風貌まで決めていた。母がそんな子猫が放浪してるのを見たというのでナンでつれてこなかったのだ?と文句たれたこともある。寧ろ犬飼う前は猫を飼いたかった。犬は散歩に連れていかなきゃならん。ずぼらな私としては面倒くさい。猫はその点放置出来る。

しかしである、都会猫はそうはいかない。放置すると猫エイズもらってくるかもしれない。他人の家に糞尿まき散らすかもしれない。猫の放置ほど近所迷惑なものはない。猫嫌いにとって彼等は地球を侵略するエイリアンぐらい嫌な存在だ。しかし猫は基本的に野生が強いんで犬より管理するのが気の毒な気がする。犬は昔っから管理されるのが当り前的な。つまり繋ぎっぱなしで飼う人もいるくらいだし、ましてや野外に放置なんて野犬狩りでアウトである。すぐ保健所に連れていかれそうだ。だから家の中で飼うにせよ庭で飼うにせよ「散歩」という事を念入りにしてやる。という暗黙のルールが犬飼いにはある。猫はリードつけて昔は飼っていた時代もあったらしいが、基本的には昔から放置。家に付くからどっか行かない。

そういうわけで、野生を押さえ込み家に閉じこめるという事への罪悪感が猫の方が大きい。犬は飼い主様の側にいるのが幸せみたいな性格だから罪悪感が少ない。なんだかそんなで猫飼いはやはり躊躇ってしまった。

猫猫センセは「閉じこめとくのが既に罪悪だろが。このペットきちがいどもが!」と怒ってるが、まったくだ。

いくら犬が管理されて飼われるのが比較的慣れているとはいえ、カナなんぞ島じゃすぐ家から抜け出して放浪したがるし。家に閉じこめはやっぱり可哀想だ。ミモザは臆病なのか家が好きなのか庭で遊んでいても家の中に私より先にはいっていることもある。そもそもカナがすごくいやがるケージの中が一番好きという。自ら囚われたがる変なヤツ。性格にも色々あるみたいだけど。(そういえばミモザはナンだかご飯食べた後に前脚ねぶってるし、身体がくにゃっと細いし、ご飯の時はまとわりつくし、しかもほとんど音声発しないんで、そこはかとなく挙動が猫みたいだ。性格は犬そのものだけど)

猫飼いはうちの島みたいな方がたぶん幸せだと思う。狩りの本能も満足出来る野生が沢山ある。避妊させなくても自然淘汰される過酷さもある。ただ、餌あげる飼い猫じゃそうもいかんし、大量の猫が家にいつくことに耐えられるか?というと疑問だな。結果、猫棄ては常習なようだけど。季節になると子猫があちこちに溢れている。死んでるのも見かける。・・・というわけで猫飼いしてもわたくしは避妊してしまうかもしれない。犬猫どっちにしても罪深い罠。マジ「オス飼えば?」ではある。
島じゃメスが嫌われるのは、子供産むからなんだよね。オスから引きとられていくもんなぁ。

しかし聖書に人間が動物の頭としてあるよ。ってなことはこういう風に管理してしまうことの責任を負わされたというか、結果そのままそれが原罪となることでもあるよな。
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・・・・で、きぃきぃ言ってるきっこさんみたいな怖い猫ちゃん(はぁと)な飼い主さんのその心情ってなんだろう?などと思っていたんだけど、例えば猫飼いの人がよく言う「猫は自由気まま」「野生が強い」ということを都会猫飼いの人は、どこかでその魅力的な部分を飼い主たる自分が抑圧しているんじゃ?という逡巡を繰り返してるんじゃないか。
なもんであんなふうにけろっと都会的な飼い方の批判めいたものを内包したものを読んで、飼い主として引き受けてきた「野生の去勢」を簡単に否定してしまうかのそういうものへの反発ってものはあったかもなぁ。

「そりゃ私だって猫ちゃん可愛そうだし、避妊なんかしたくはないわよっ!!!!」とかいう感情があり、「しかも産まれた猫を殺すですって???なにそれ?」「あんたナニ様?」みたいな。まぁ怒る罠。

誰しもが環境と折りあうために選ばざるを得ない罪ってものを背負っているわけで。
それは逆に野味溢れる土地では都会では引き受けなくて済む別の罪があるかもしれない。医者のいないところでの間引きなんかはそういう例だけど。

猫猫先生に言われるまでもなく、生き物を飼うのは罪深いことでありながらして、しかし飼わずにはいられない我々ってなんだろうね。