マリア被昇天

あ〜昨日はマリア被昇天の祝日だった。けど教会行くの忘れた。というか調子悪くてそれどころじゃなかったんだけど。
マリア信心についてあんまり興味ないんで、どうにも忘れがちなんだが、世の中のカトな人々はどうしてああもマリアが好きなのか?いまだ理解できない不信心者だ。マリアならマグダラの方がいいや。


マリア崇敬に関してはサン・ベルナールの本とか読んで「なるほどなぁ」とか思うけど、頭でわかっても体(感覚)ではよくわからない。たぶん家族を形成していない独身女には一生わからん感覚かも。ありゃ男(マザコン要素を内包する)か母親になった女しかわからん。男は永遠に女性に母を求めるし。女にとってはイエスがいれば充分なんだけど。結局、カトリックが家族を単位に考える宗教であることはこういうところに現れているのだな。わたくしのごとき独身女性はマグダラに共感するのだが、マグダラは何故か近代で廃れていく。


西洋が「家族」をより意識し始めた時代だったということか。女性は家庭人となり良妻賢母を求められる時代だな。西洋でも意外とこういう「良妻賢母」は歴史が浅い。市場の工業化商業化と無縁ではないのかも。
家族という単位が国家というシステムや経済活動の中に組み込まれていく過程でマリアや聖家族というものの捉え方が変容したのかもなぁ。勝手にあれこれ想像してみたけど、以前は修道士が主体だったマリア崇敬が家庭の中心に入り込んでくるのはどういう経緯だったのかの?


ま、いずれにせよマリア崇敬はピンとこんので、あまりマリアマリア言われるとムカつく己には困ったものだ。真面目な信者さんすみません。でも聖人ももっと大切にしてくれ。人間の一生は多様なんだからなぁ。マリアも含めた聖人というのは神でも信仰対象でもないんで、その人に共感できるかどうかが肝だと思う。