未来派

そろそろ未来派について語ろう。ぐりちゃんも来たことだし。
ここ数日やる気のない午後はぐりちゃんが送ってくれた「未来派」を眺めていたよ。本なのに眺めるってのは、要するに全部イタリア語で書いてあるからだ。イタリア語なんかご飯食べる時とホテル予約する時の「単語」ぐらいしか知らないよ。ペッシェスパーダとかね。ドイツ語もフランス語も同じだけどね。ドッペルツイマーとかアンシャンブルシルブプレとか。なもんで絵だけ眺めていたですよ。
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1909年。マリネッティフィガロ紙にマニフェストを載せた。
未来派宣言」
その内容は以下の通り。
http://homepage3.nifty.com/arteangelico/sakusaku/2_1.htm
以前わたくしが書いたサイトでする。↑
こっちも読んでくださいです↓
http://homepage3.nifty.com/arteangelico/sakusaku/2_2.htm
http://homepage3.nifty.com/arteangelico/sakusaku/2_3.htm
ぐりちゃんの未来派宣言
http://homepage3.nifty.com/arteangelico/sakusaku/2_4.htm
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まぁ、上記を読めば判ると思うけど、とにかくイタリアのファシズム政権下で活躍していたアホ集団であるよ。
イタリアは永らくオーストリアに踏みつけにされていたのをヴィットリオ・エマヌエーレ2世というおっさんが統一させイタリアという国家を作ったトコから「イタリア」がはじまる。有名なイタリア統一戦争、リソルジメントってヤツですね。それまでイタリアってのは都市国家で、バラバラで、フランスとかスペインとかオーストリアにいいようにされていたのをこのおじさんが統一して初代国王に就任したわけですが、この親父は当時の権力者よろしく趣味が新古典主義。激しくダサくて威嚇的なヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂ってのがいい例ですね。ローマはヴェネチア広場にどかんと建っている。他にもミラノのガレリアなんかも有名か。
http://www2r.biglobe.ne.jp/~rokumaru/europe/landscape/it/txt.cgi?j04
ナポレオンもそうだけどこの時代の権力者って新古典主義だよねぇ。ローマ最高!!!という脳味噌だったようです。ヨーロッパ人のローマ帝国への郷愁ってのは病理みたいなもんだ。
で、第一次世界大戦前夜、未来派は産声を上げる。上記のごとき後ろ向きな、過去に囚われた「伝統主義」に反旗を翻す、闘争的な芸術家集団である。
世界は近代まっしぐら。工業の発展、資本主義の発達。世の人々は時代のスピードに不安と期待をもってその急速な変化を受け止めていた時代、ドイツではドイツ表現主義が、イタリアでは未来派が産声を上げる。
因みにオーストリアの田舎もののヒトラードイツ表現主義についていけず、「頽廃芸術」と虐待することになるが、ムッソリーニ未来派と結託した。この辺り、オーストリアの田舎者ヒトラー(ルードビッヒ2世並に悪趣味だよな)とは対極を為すムッソリーニの美術素養のほどが判ろうというもの。工業機械、或いは近代兵器も含めた「マッキナ」の美を探求する未来派ファシズムと親和性があるのは、ファシズムが労働者を基盤とした運動からはじまった性もある。マッチョパワー炸裂なこの未来派芸術は、歴史の不幸からしばらくは嫌悪されていたが、ダダや構成主義に影響を与え、プロダクトデザイン世界の美を探求したことでも再評価されつつある。
そういうわけでイタリアでは結構沢山の本がでていて、ぐりちゃんが送ってくれた数冊はその一部。日本で替える本ではお目にかかることの出来ない作品も載っていて愉しめた。
とにかく彼らがしつこくしつこく「時間」を「速度」を作品化しようとしている辺りが面白い。残像をすべて描き留めた絵とか。スピードを視覚化させたフォルムを探求した絵画が多数。ダサい作品も多いけどね。現代という時代は彼らの時代より更に時間に加速度がついている。秒単位の時計。到るところに存在する時計。J.G.バラードの「時間都市」ではその時計がすべて停止している廃虚化した都市の光景だったけど、彼ら未来派の時代は「時間」は早ければ早いほど素晴らしいモノだった。
とにかく率直に、速度と、力とを礼賛し、闘争と破壊を旨とする。それは新古典主義的なそれへの挑戦と破壊であり、新たな「大衆の」形の探求であった。
で、馬鹿アートの元祖でもあるという按配である。いいよ未来派。あと3年後に100年祭だね。
2009年における「未来派」とはどのようなものになるんだろう?