洗骨

ギョーカイの編集者兼友人が電話をくれた。原稿の進行具合の打診だったんだが、そのあと色々話をした。
たまたま島の慣習の話になる。我島には以前も書いたかと思うけど「洗骨」の習慣がある。土葬した死者の骨を取り出し家族が海で洗い再び埋葬し直す。その儀式をいつ執り行うかはノロが決めると聞いたことがある。他者に見られてはならず、親族だけでひっそりと執り行う。朝まだき浜におり、海の水にて洗い流す。それは死者との再会の時なのだそうな。再びお目にかかることは島の人にとって愉しみでもあるという。その習慣も数年前に出来た火葬場のお陰で廃れて行くかもしれないという。しかもその昔は土葬ではなく風葬だった。土葬の習慣も明治期になってからのことだった。葬礼の習慣の変遷はだからたいしたことではないのかもしれない。死者を祭る儀礼があるということが重要なのかもしれない。
島の法事は33回忌まで行う。33年目にしてあの世へと死者は旅立つらしい。つまりカミとなって天へと登るのである。その33回目まで、節目節目に親族達が集う。ある旧家の法事に招かれて行ったことがあるが、その時は東京など本土に住んでいる親族達も集まっていた。それらはすべて家で執り行う。だから島の家の中心は大抵大きな座敷であり、そこには立派な神棚が作り付けられている。この先祖のカミを中心にした家族という宇宙がある。女達は厨房に集まり、男達は座敷で飲み食いをしている。こういう光景はフェミニズムの観点からするとムキーなものに映るのかもしれない。しかしそれを愉しみにしている女もいる。寧ろ島の女性はそれに積極的にすら見える。男のほうが面倒くさそうだったり。その辺りどうなんだろう?正確な統計をとったことがないから判らない。
ところで、関西の私の母方の親戚の家は代々浄土真宗でそこの家の仏壇は異常にでかくてやはり家の中心にあった。ついでに神棚も在り、大伯父は毎朝起きると神棚に参り、それから仏壇で経を唱えてから、ご飯を食べて出掛けて行く。それが日常の光景であった。仏さんの前でふざけたり暴れたりすると怒られたものだ。食事も先ず仏様に供えてからいただくという習慣があった。それは我家でも同じで必ずご飯を炊いたら仏様に差し上げてからでないと食事にならなかった。ついでに家父長制だったので、親父が食卓に着かないとはじまらないし、チャンネル権は親父に在り、風呂も親父が入ってから家族が入るような家であった。ただ神棚はない。親父が一時作ろうかといっていたが、そのままになっている。その代わりなぜかお札がいつも貼ってある。毎年初詣に神社に貰いにいく。習慣である。
友人の家には神棚があるという。仏壇とは別に神棚があるそうだ。両親はカトリック教会に通いながらも神棚に参る。別にそれは不思議でも何でもない当り前の光景なんだそうで。面白い。昔の人に取って神棚は存在する当り前のものだったようだ。
いつからそういう習慣が廃れていったんだろうかと思う。
うちの島では今もその習慣は残っているけれど、本土はどんどん廃れていっているのかもしれない。
こうした宗教的な習慣はただの慣習的な、一神教的なドグマとしてはないにせよ、日本にしっかりと根差した宗教観ではあると思う。そしてそれが人々にとって懐かしい原風景と共にあったりしたのだけれど、その光景も今は共有されてはいないのだろうとは思う。
カトリックであるという時、そういう慣習的な懐かしさはない。せいぜい遡って思春期の記憶である。代々カトリックの家では原風景になっているんだろうけど。ただ、わが家の家族はなぜか代々キリスト教教育を受けてきたので、倫理面においては聖書の教えが飛び出す家であった。洗礼を受けさせるわけでもないのに子供の時に教会に通わせるという習慣があった性だ。わが家は典型的な宗教ちゃんぽんの家だった。