わかる・わからない

どうも、芸術というか美術はコムズなモノとして認識されることが多いようで、これに関して昨日のエントリでsumita-mさんが書いているような「世界は判りにくいものだ」という辺りは同意してしまう。

○Living, Loving, Thinking
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060428
■「難しい」ことが問題なのか
私は世界というのはそもそも複雑すぎてわからないものと思っている。だから、整然とした、わかりやすい説明というのに接すると、引いてしまう。

しかし他方で鑑賞者のほうで「判らねばならない」という強迫観念があり、その強迫観念がどうして産まれたのか?とまぁ、そういう現象に対して不思議に思うこともある。
ピカソなんて本能丸出しのタダの馬鹿アートだし。だからその馬鹿っぷりの痕跡を愉しめばいいはずなんだけど「キュビズムを理解しないといけないか?」とかそっちにいっちゃうと確かにコムズだ。私だってよく判らない。けれどそんなの鑑賞者の自由でどう受け止めるもそれでいいと思う。とにかく大量にざくざく作品を作ったピカソの、その作品群をみてると出て来るわたくしの感想は「体力あるなぁ」とか「脊髄反射で描けるってすごいよな」とかそんな程度のもんだったり。
で、その辺りの心理について、左翼思想とかデモ絡みでこういう見解がある。
○kmizusawaの日記
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060428
■「理解」するのも「興味を持つ」のも「参加」するのもヒマ人の娯楽

難しいことはわからない」という言い方がある。この言葉はしばしば(文脈にもよるけど)「わかりたいとも思わない」という意味を含んで、相手がそれ以上そのことについて語るのをやめるように促したり、それを語り続ける相手を暗に非難する言葉だったりもする。

これはよく散見することで、神学話をするとなぜか嫌われる教会世界とか。これに関しては神学をやっている人がタマに溜息をこぼす。どうも「日本の教会では知的探求をする人は疎まれるみたいだ」という疎外感を感じているようで少し気の毒になる。その手の話を話し出すと必ず「難しいから判らない」と語りたい人の口封じをする人が出る。難しいことを語るのはいけない雰囲気が生じ、「難しいから判らない」と言っている人の興味ある話に移行してしまったりして「気の毒だなぁ」などと思ったりしていた。正直、ほんとに神学の話は難しいので私も全然判んないんだけどね。だからって話遮るなよ。と。
芸術世界でも同じなんですが、例えば絵を前に「難しいことは判らないので」などといわれる。難しいことを聞いているわけではないのに勝手にそう思い込んでいるのが悲しくなってしまう。美術鑑賞なんぞ「この色が好きだ」とか「ここに描かれた犬がうちの犬に似ている」「なんでこんな変な形なの?」で、充分なんだが。
ここでの心理については上記のkimizusawaさんが分析して見せているが、前提となる知識や経験、或いは興味或ることなんかで人の考えは様々なのが当然で、興味ないならそれにたぶん近づきもしないし言及もしない。判らないけど興味あるならまぁ少し判ろうと努力するかもしれない。判るならなにか語るかもしれない。ただそれだけのことだろう。つまり対象に対するモチベーションの多寡に過ぎないというか。
例えば、私は芸能関係はまったく疎いうえに興味がない。そういう話をされても判らないので内容が耳からだらだらと出ていくだけである。そもそも人物画を描いているくせに人の顔が覚えられない欠点を有しているので芸能人の区別がなかなかつかない。だから愉しめないのはしょうがない。しかし対象に萌えてる人が話すという現象はそれなりに面白いのでそちらに興味がいくことはあります。なんでこんなにもこの人は萠えるんじゃろうか?とか。
閑話休題
美術に関して言うなれば、おそらく初動の教育にも問題があるかもしれない。「直感で感じ取った自分自身の感覚こそ大切なのだ。」という受け手の問題が無視されて、作家の意図はどうよ?とかそういう話になるからだろう。或いは言語化されないといけないような、或いは言語化されたものを通じて知るような風潮があるからかも。この辺りは日本の芸術のアカデミズムにも責任はあるかも。批評家を通じて知るしかないような風潮を造りあげたとはいえる。
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しかしまぁ、神学にしても、芸術にしても、或いは政治思想にしても、複雑な世界を理解しようと足掻いている痕跡ではあるわけで、複雑な世界を前に、どう語っていいのか?探求している本人達すら途上にあったりするので、結論は実は出ていなかったりする場合もある。だから簡潔に判りやすくまとめて見せるのが難しかったりする、感覚を共有していないと「ナニ、寝言言ってんだか」なシロモノであるのも当然かも。
ただ少なくともドン・キホーテのようにその複雑さに立ち向かおうとする人々ってのは私は好きだったりする。
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しかしこれは流石に判らない↓

http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/index.html
どどどどどどどどどこが初心者のためなのだ?
初心者のレベル設定が高いようである。
*)ブクマとか色々見てると、記号論やる人とか哲学系の人にとってこれは「やっぱり初心者入門」だそうだ。まだまだ奥の深い世界が世の中にはあるようである。