美大・美術系学校の就職

美術学校とは社会の無駄飯食いを養成するところである。芸術とは衣食住の最低限の生活とははずれたあってもなくてもいいような代物に付加価値をつけてしまう、金銭感覚が度外れた世界である。付加価値がつけば成功するが、つかなければ無能者であり、乞食でもするしかない。事実、困窮のうちに死んだ芸術家も多いし、逆に食うに困らん貴族芸術家も多い。もうね。ほんとはパトロンがおらんとやっていかれへん世界なんよ。
平野啓一郎の「葬送」において、革命と共に多くの芸術家が困窮している様が登場する。大衆革命運動は、芸術家を養えない。少なくとも既存の芸術家は無理である。そういうわけで昨今は商業ベースなものを通じた芸術〔萌え系とか、そういう方面ね)がお盛んなわけだが、それとても底辺に多くの無償で蠢く激しくオタクな人々のパッションの上に存在していたりする。アニメーター志望の若者の困窮生活など女工哀史だし、漫画家の残酷な生活ってのもネタになるほどだ。
んで、たけくま先生んとこで、美術学校の就職問題が論争されていた。↓
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私の頃は「就職」など念頭になかった。が、流石に食えないのはまずいので4年になって慌てて就職活動に励む。そういう認識でほとんどの学生生活ではアホな作品を作って過ごし、就職するのは実は負けで「いつか独立してやる。畜生!!」な代物だと思っていた・・・・が、最近は認識が違うようだ。
企業に入りクリエィティブな仕事をこなしていく人材は必要だが、しかしみんなそれは「偉くなったら独立してやるもんね」が無意識下にあったりしたもんだ。今の時代はそういう独立も苦しい時代ではある。そんなことをしたら明日のご飯に困るという現実は実際に存在する。正直、どこにも就職しなかった私のように、本も買えず、電気代に頭を悩ませ、しかし絵の具代は確保しないといけないような困窮する人生を、他所様のお子様である生徒にはほんというとお勧めはしかねるが、しかし美術学校はそれを敢てお勧めしないといけないのである。企業の傘の下に収まらないほどの芸術魂というか、造形魂というか、そういうのを養わないといけない。無難な道を歩んで欲しいと願う親は就職を勧め、美術学校は別に勧めない。このせめぎ合いの中で子は成長し自立するもんだ。〔美術系に限れば・・・・)
困惑した、たけくまさんの弁
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うみゅ。桑沢は商業ベースにおける芸術を考えるという特化された理念がある。伝統芸を伝えないといけない芸大とは違うスタンスで動ける自由さがある。他のアカダミアの伝統を持つ学校とも一線をかしているわけで。美大は入試的な価値の学歴ではなくその学校におけるエートスの差をいかに学ぶかが大切なんじゃ。各学校には個性がある。その個性こそ重要だったりね。