結局、熱があるので、なんか一日寝てましたです。
ご心配おかけしていますです。
しばらくしたら復活します。
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両親がアメリカ合衆国圏の南の島に行っているらしいので祖母に電話をする。元気なようだ。
風邪を引くと施設に行けないので申し訳ない。
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一人でいると気楽なこともあるけど、体調を崩して心細いときなどはやはりその心細さが増幅されるなぁ。何となく色々な人のブログ読んでて、パートナーのいる人はなんだかんだいってていいなぁ。などと思ったり。価値観の違う人と一緒に暮らすというのは大変だと思うし、深刻な喧嘩になるとこれまた更にすごく大変なんだと思う。人間、ないものねだりはあるのかもしれないが、ただ信頼出来る人というか、この人なら受け止めてくれるという明解な存在がいる安心さって代えがたいんじゃないか。この歳になると自分の子供っていう存在も出てきて、そういう絆を持っている人もいるね。親子という関係性もいいもんだなぁ。
で、わたくしも、なんとなく色々と心配してくれる友達はいるし、へたれると声をかけてくれるのも嬉しかったりして、感謝する。でも友人というのはいいとこ取りというか、共にいるむかついたりとか、心配したりとか、喜怒哀楽を全部共にするわけでないので、こちらが甘える一方になる。なんかちょっと申し訳なかったりしてしまう。
だから遠慮なく、うざかったり、怒られたり、互いによっかかるほど甘えたりする存在感というのもなんとなく大切に思えたりする。両親なんかもお互いぶつぶつ言いながら仲がいい。妹夫婦も子供ははいないけど喧嘩しながら仲がいい。兄貴のとこは兄貴が単身赴任で普段は別々なんだけど、一家揃うとやっぱり一家なんだなぁという絆がある。それぞれに入り込めない絆を構築していたりする。
なんというかパートナーみたいな人はいないのがやっぱり淋しいものだったりする今日この頃。かといって自分が好きにならないとどうしようもないわけなんだけど、この年齢ともなると、そもそもがお気楽に惚れたりしないし、惚れても不毛だったり、一方的だったりすることのほうが多くなるので愛に昇華する前にやめてしまうとか、しょんぼりと気持抱えたままなにもしない場合のほうが多いか。
・・・・・・・・・・というわけで、なんだかバレンタインとかいう日が近づいているが今年も関係なく過ごすのであるよ。そもそもチョコレートを人にくれてやるってのがいけ好かない。チョコは食うもんであげるものではない。お返しにあめ玉ってのもいけ好かない。チョコあげてあめ玉ってのは私的価値からすると逆わらしべ長者だ。チョコレートが重要な私にとって、このバレンタインという日は敢て昔から無視されてきた。
せいぜいが「ああ、アル・カポネが失脚したあの日だよなぁ。」ぐらいが丁度いいよ。そもそも「女が男に告白する日」だと?男に告白されたい私としてはそんな下らないことは出来ん。馬鹿もの。
なもんでまぁ、過去にも現在にも縁遠い行事でありんす。
そもそも、これを真面目にやってる人っているんだろうか?メリーチョコレートの陰謀だぞ。
*因みに・・・大学時代、バレンタインにチョコレートをあげたことはないが貰ったことはある。