ネットのコミュニケーション

mixiに慣れるためしばらくあちらを見ていた。
ネットにおけるコミュニケーションの形状は様々だなぁと改めて思う。mixiという環境は人の繋がりで成立して行くようである。私が戸惑った承認形式もその一つであるようだ。人との繋がりの連鎖で一つのコミュニティが形成されていくようである。つまり「はじめに人ありき」という様相。見知っているもの同士なら寧ろこの形式は気楽である。密度の濃い交流が出来るようである。近所の友人を発見してお気楽に話が出来るのはなかなかよい。また遠くに住んでいる長い腐れ縁の友人と話しを交わせるのも楽である。uumin3さんがご指摘しておられたが、要するにケータイメールのサイト版みたいなものだな。
コミュニティに関しては以前からの付き合いの仲間で、こちらも腐れ縁。身内といってもいいほどの永い付き合いなので正直まぁホームグランドが移動したという感じだ。それ以前は使い辛いniftyのシステムで面倒くさくなっていたので足も自然と遠のいていたので交流しに行くには最適といえる。
つまり「人との交流を目的」というのがどうもmixiのよさであるようだ。
ただ、何かを論じたりする場としてはハテナの方が使いやすい。キーワードで同じテーマを扱っている人の意見を読む事が出来る。自分とは正反対の意見なども読む事が出来るので客観的な論考や思索を行うには最適である。アンテナに関しても同じ指向性を持った人など、あるいは論者がどのような傾向に興味をしめしているのかという指針として、或いはどのような論に触発されたのか?ということの参考になる。因みに私のアンテナは無茶苦茶である。同じものに興味ある人、意見が対立しているが読みごたえのある人とか、自分がおよそ拾わない世界を拾ってくる人とか、単に読んでいて面白い人とか、同じテーマや思想に固めたくないのでかなりランダムである。「どういうアンテナなんだ?」と友人に笑われてしまった。実は成り行きで登録しているだけなのでポリシーもない。しかも登録したら消すつもりもないので放置している。そのうち増えすぎたら整理するかも。
とにかくハテナにおけるスタンスは「論じる」ということに尽きる。その時のエントリのテーマによってコメントして下さる方が現れるので思索も深まるし、論が対立しても自分自身を検証し直す材料となるのでありがたい。こうして見るとハテナの方は交流よりも「何をオピニオンするか?」が主体となっている。ハテナに限らず多くの公開ブログはそのような存在だろう。読み手と書き手の関係性は、mixiが双方向なら、ブログは一方的ではある。
さて、こうした場における参加の仕方だが、公開ブログの方が議論向きではある。「然り」あるいは「否」をつきつけるにはブログの方がしやすい。深い考察を行うにはこうしたブログの方が最適であり、常に批判の目に晒されている為に自分自身をまず研ぎ澄ましていかないといけない。批判を覚悟出来ない場合、対応を間違えれば炎上するという現象すら起きる。なもので「殺伐としている」傾向は強くなるかもしれない。批判あるいは最悪の炎上を恐れるあまりに世論の傾向が同じ方向に向きやすい危険性もあるが、それすらもすべて論じる側自身にかかっている。
コメントする側は論者がなにを価値としているのか手探りしながらコメントしていくわけで、つまり相手の土俵にこちらが乗っているのだという事を自覚しながらコメントしていく。そこは相手の世界であるわけでトンチンカンな参加の仕方をしてその場を壊すというのは正直失礼であるわけで、相手の論述の世界の中で参加する覚悟を必要とする。例えば私の友人でもある某氏はブログコメント欄をあまり活用しない。コメント欄は公開しているんだがコメントしてもあまり対話にならない場合も多い。普段は馬鹿話などもする関係であるし、メールのやり取りなども頻繁にするので、ブログの内容についてもそこでやりとりしている。おそらく彼は「対話」という方式自体がそこで形成するものに馴染まないと考えているのだろうと推察してよほどの学術的な事以外はコメントしていない。逆に密にコメントへの返事を返して下さる方もいる。こちらは対話形式を楽しんでいると思われるのでこちらもそれを楽しむべくコメントしたりしてしまう。また、相手の世界観というのを尊重するために場合によっては全面撤退も必要である。つまり「場の読み」能力がある程度必要。こういうところでは場の読めない馬鹿は黙殺されるという過酷な状況すら起きる。また、人によってはブログ内で仲良しクラブを形成していたり、イエスマンばかり集めて他の意見を聞き入れないような人もいるわけだが、それもその人の自由であって、まぁその世界を尊重し、意見が異なる人は近づかないなどの知恵を持てばいいだけである。
とにかくネット上にナニを求めているかによって様々な使い分けが可能な場が生じているという事だろう。mixiのような密度の濃いコミュニティにおいてはいい意味で「仲良しクラブ」的なものは形成しやすい。また個人の繋がりを大切にしたい場合などはむしろmixiのほうが適しているようだ。ただ、私のような斜に構えたようなひねくれものにとってはもの足りなくなりそうではあるな。