大斎

小腹が空いたのでなにか即座に食べられるものはないか?と探したらいつのか判らないカップ麺が出てきた。賞味期限がわからんのだが確実に期限切れ一年以上、下手すれば2年以上経っていると思うのだが開けてみて変な匂いもしないし腐ってもいないようなので、食べた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・激マズ。
なんか不味いけど我慢して食べましたが・・不愉快なので安倍川餅を造って食った。はじめからこうすればよかったのだな。以前、母が送ってくれた鎌倉山のハンバーグ、これまた期限切れ一年経過を食べたことがあったが、これも激マズであった。「賞味期限」というのは腐るとかいうより、不味いかどうかの基準か。そうかぁ。「賞味」とはそういうことだもんなぁ、と妙に納得した。しかしだ、食える事は食えるのだ。不味いだけで腐っているわけではない。世の中には飢餓で苦しんでいる人々がいる。食い物を粗末にするのはうちのばあちゃんが・・・以下略。
まぁ、とにもかくにも、賞味期限切れの不味い食い物は、飢餓で苦しむ隣人を思い出させ、食の恵みの感謝を思い出させてくれたのである。回心するというのはこういう事だったり。
カトリック教会では、大斎や小斎という食を制限する日がある。小斎は肉料理を食わない。かつては復活祭前の四旬節という期間は肉は食えないという習慣があった。謝肉祭はその四旬節に突入する前に行われる肉への感謝の祭でもある。大斎の方は食事制限で、「1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができる」と規定される。
実際は、どうも真面目な信者以外きちんと守っている人は少ない。(すごい保守的なカトリックが多いらしいアイルランドは別かもしれない)そもそも魚好きの国民である日本人にとって肉を食わない習慣はへでもない。寧ろ魚料理の方が贅沢である。大斎の食事抜きも私のごとく常があまり食わないうえに食をよく抜かす人間にとっては意味がない。
もしかして賞味期限切れの不味い食事ってのは大斎向きかもしれないなぁ。
ただ、身体壊すとまずいよね・・・・。