無防備都市

木走さんのところで「無防備都市」について扱っておりました。

○木走日記
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051227
そうか、そういうことか。ガンバレ! 無防備地域宣言運動!!

いやぁ、ジュネーブ条約というのにそういうのがあるらしいとは以前知ったことですが、

1.はじめに〜無防備地域宣言(運動)とは
ジュネーブ条約追加第一議定書(1979年)第59条は「 いかなる手段によっても紛争当事国が無防備地域を攻撃すること」を禁止し、その  無防備地域に4つの条件をあげている。
(a)すべての戦闘要員並びに移動兵器及び移動軍用設備は、撤去されていなければならない。
(b)固定の軍用施設又は営造物を敵対目的に使用してはならない。
(c)当局又は住民により、敵対行為がなされてはならない。
(d)軍事行動を支援する活動が行われてはならない。
・この規定を活用して、「(平時から)戦争不参加の意思を表明し…、そのために地域の非軍事化に努め…、戦争の危機が迫った場合には自治体が無防備地域を宣言して戦争から離脱し、あくまで地域住民の生命財産を戦果から守る運動」(林茂夫氏)といえる。
http://peace.cside.to/qanda.htm

もともと戦時を想定して作られた条約ですが1979年に追加されたこれ?どういう意図で追加されたんでしょう。初めは戦時下における病人、捕虜の保護や扱いについての条約で、1977年には文民の保護を目的とした条約が結ばれているらしいですね。ヰキではそうでした。
しかしそれは戦時下という特種事態に於いてであり、非戦闘員の子供とか女性、あるいは居留する外国人などを保護するために中立地帯をもうけるという感じみたいです。都市がかってに国を無視して宣言するような性質のものなのか法律のことはよく判らないので、不明です。

なんとなく一地方都市が無防備都市宣言をするというのは都市国家だった時代のフィレンツェおフランス軍がイタリア半島に攻めてきたとき、サヴォナローラが「うちは敵対しませんよ〜」などといってスルーしてもらったとかああいうのを想像してしまいますね。ローマとかナポリとかミラノが勝手にボコにされても俺は知らないよ。みたいな。もともとローマやらナポリやらミラノとフィレンツェは違う都市国家だったから、道義的に問題はないわけです。でももしフィレンツェの例えばサンタ・マリア・ノヴェッラ辺りが攻められて、サンタ・クローチェ地区の人間が「俺は知らないよ。武器持ちませんし。攻めないでね。」などと言っていたら、他の地区の人間に「チキン野郎」とか言われるかも。どうなんでしょう?
ところで「無防備都市」といえばムーンライダース。とコメント欄でどなたかがおっしゃっておりました。わたくしはロッセリーニの映画を連想したんだが・・・そうかムーンライダースかぁ。懐かし過ぎ。
おもわず一番好きな「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ」持ち出してきてしまいました。「9月の海はクラゲの海」は名曲だ。

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かつて中世の西ヨーロッパにおいて、聖域/アジールという概念がありました。中世史の阿部謹也さんあたりが本を書いていたと思いますが、中世の修道院を舞台にした「修道士カドフェル」シリーズでもそのアジールの役割を聖域が担っている光景などが出て来ましたね。聖域では剣を抜いてはならないという掟があったり。こうしたアジールの概念が、現代という場において、果たして有効なのか?
911テロにおいて、ロンドンのテロにおいて、またイスラエルに於けるテロにおいて、あきらかに市民の日常である非戦闘的空間での戦闘的行為はどうなのか?かねてからテロというのは容認出来ない代物なのですが、911テロの対象となったワールドトレードセンターは世界経済の中心でありアメリカ型の資本主義の象徴でもあり、一部のアラブにとっては搾取する敵そのものであったとするなら、緩慢に首を絞められているアラブにとっては、既にある種の戦闘状態と考えている彼らにとっては、それら「経済による兵站」部門であるあのびるじんぐによって敵は援護されているわけで、戦闘対象として理解されるであろう。などという意見を聞き、へぇ〜。そういう解釈もあるのかぁ・・・と思った事があります。まぁどちらも非武装を宣言しているわけでもない間柄ですから、中立と呼ぶには違うんでしょうが、ただ自分的な道義的にああいう市民の働くびるじんぐをいきなり宣言もなく攻撃する。あるいは非戦闘員である市民達が憩うカフェなどにいきなりテロをしかけるってのはナニかが違う・・などとは思ってはしまいますんで、この辺りのテロルの理屈ってのもよく判らない。
とにかく、戦時下を想定していると思われる代物なのはあきらかなわけですが、戦時下にもなって無いうちに、もし日本と敵対し戦争を考える人々がいて「直接的に、或いは間接的に敵に利するものも含まれる人々」が勝手にはじめっから「無防備都市宣言」などしても傲慢と受け止められるだけなんじゃないか?と思いますでする。
とにかく何を考えているのかイマイチ掴めない思想でございますよ。

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で、アジール。中世では聖域がアジールであると考えられてはいたが、いざ戦闘となると時に街ぐるみで戦闘地域になるばあいなどは聖域もへったくれもなくなるときがある。ましてや価値の違う相手になど通用しない。
こんな事件とか↓

大紀元
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/12/html/d23226.html
中国西安:教会が強制的に取り壊され、多数の負傷者
【大紀元日本12月5日】 11月23日、中国西安市の聖心会所属カトリック教会が中国当局に強制的に
取り壊された。現場で抗議したシスター16人が殴る蹴るなどの暴行を受け、5人が重傷を負い、病院で
治療を受けている。米国の「対中国援助協会」が情報を公開した。

 目撃者の証言によると、22日午後6時ごろから、数十人の男たちが長棒を持って現場に現れ、重機など
で教会を取り壊し始めた。教会関係者らが止めようとしたが、暴力を振るわれたため、阻止できなかった。
一晩で、教会の建物が全壊し、隣接する建物の壁が取り崩され、電線も切断された。隣の建物で暮らして
いる教会関係者が食事も作れないほど深刻な影響を受けたという。

これは「とりかご〜ガンヲタ」さんところ↓で以前見付けた記事だが・・・・・
http://d.hatena.ne.jp/torix/20051205
シスター萌えな人々には辛い事件であり、イスカリオテ13課を呼び出して、アンデルセン神父か由美子を派遣したくなるようなこの仕打ち。(かわりに「とりかご〜」さんの処ではミネバさんという人がマシンガンを乱射していましたが)あきらかに非武装である修道女に暴力的な仕打ちで臨む中国当局カトリックな私としても胸が痛む事件である。
さて、大紀元はどうも法輪功の新聞だと言われていて、こういう宗教ネタを載せたがるし、変な記事も混じっていてヲチするに面白い新聞だけど、まぁそれはおいておいて、中国様というのは昔っから宗教団体は反政府主義者の集まりだと見做す風潮があり、事実王朝末期には宗教団体の信者達が叛乱を良く起こす。太平天国の乱とか有名ですね。だからシスターだろうが非武装だろうが「敵対する存在」「思想犯」なわけで、容赦ない。こういう場合アジールなど全然意味を為さないわけです。
特に部族間の対立がそのまま宗教に関わる場合の対立において、インドネシアなどで見られる教会の焼きうちとか修道院への襲撃とか、寧ろこちらは攻撃対象になってますね。だから「日本経済そのものが俺達を圧迫している」とかいう理由で攻めてくる国があったとして、無防備宣言をしている都市の市民は日本経済に貢献していてはいけない、とか日本経済の側に立ってはいけないとか徹底しないとまずくなるですね。だから平時における無防備都市宣言っていうのはほんとにナニがなんだか。都市国家の時代でもないし。どうなんでしょう?