コンク

コンクまでの道のりは雪が降っていた。寒いよ〜〜〜。はやく島に帰りたいよ〜。な景色が延々続いていた。やだねぇ。
で、たどり着いたコンクの町はひっそりとした山間に100人〜200人くらいの人が住んでるとかでちっこいちっこい村である。島よりとんでもなく小さいよ。お店屋さんなんかほとんど開いていない。ここで泊まったホテルはもろ旅籠という感じでしたよ。しかし小さい部屋は暖かく、サン・マリー・ド・ラ・メールやゴルドのホテルより暖房が効いていた。よかったよかった。もう気分的にはホテルの星は暖房機器が効くかどうかであげたいよ。しかしシャワーの湯がすぐなくなるので、夜中に風呂に浸かったです。
ここは巡礼路に存在する聖フォアの聖地として有名で、つまり実はそれしかないわけなんですね。そしてここの聖フォアの教会は美術評論家エミール・マールも絶賛したロマネスク典型の彫刻が残されているのですよ。その素朴な彫像は長く見ていても飽きが来ない。でも激しく寒いのでそっちに負けたけどね。すぐ喫茶店に入りたがる軟弱な肉体にはこの寒さはきついよ。
コンクのこの聖堂は宗教改革期に新教徒の焼き払われ、更にフランス革命で完全に放置されたのをのちに修復している。しかし壊された回廊は戻らず、一部を残して野原になっていましたよ。山村固有の変りやすい天気の性で太陽が顔を出したり雨が降ったりしていたが、その様が却って美しいこの聖堂のたたずまいを際立たせていた。街の建物の合間に巡礼の道の為に足を洗う泉が今もひっそりと残っているのがまた寒々しく美しい。タルコフスキーが涎をたらしそうな透明で張りつめたような湿度のある空間がそこにある。沈黙の美しさを感じるこの村はこの旅の中でいちばん好きな物件であったよ。訪れるなら人が沢山来る夏ではなく冬がいいと思うよ。但しホカロンを大量にね。
しかしだ、泊まったホテル以外やる気がないというかほとんど店がない。食い物に飢えているぐりちゃんはロマネスク一座である我々を差し置いて一人で街中に食いに出ようとしたが店が閉まっているのですごすごと旅籠に戻ってきた。結局旅籠で皆と共に食べましたよ。いつも大量の修道士達(70人くらい)と飯を食っているので一人で好きなものをだらくさと食いたいらしいんだが、残念だったな。
で、コンクのお宝はこの聖堂のタンパンと聖フォアの聖遺物入れである。タンパンの彫刻は説明するまでもなく天国と地獄。最後の審判の光景。この12世紀辺りって「最後の審判」が流行ったんだよねぇ。近代ならさしずめ「聖母の被昇天」だけど。で、彫刻家が好き勝手にイメージを膨らませてクリエイティブな作品を形成している。まだまだ3D技術はつたないので、写本の図像をそのまま立体化した作品だが、とにかく空間恐怖症なくらいに要素を大量に詰め込んで、幕の内弁当みたいになっているよ。更に彩色の痕跡が残っているのがおもしろく、青にも色の差異があったり、黄色や青や赤の色がなんとなく想像できる按配となっている。
聖フォアの聖遺物入れはこれまた彫金の技術的にはつたないが、とにかく飾ってやるぞという意気込みであらゆる宝石を滅茶苦茶にくっつけているのが面白い。なかにはローマ土産なのかカメオまであったよ。誰かローマに巡礼した人が持ち込んだのかなぁ?この聖フォアの聖遺物入れはお祭りのときに担ぐ仕様になっていて手のところになにかを持たせる仕組みになっていた。ナニを持たせたんだろうかねぇ。面白いねぇ。と、これまた見ていて飽きないのであった。
夜、夕べの祈り(ヴェスパー)があるというので聖堂に行く。しかし時間になっても修道士が来ないのでがっかり君。もしかしたらと近くの小さな聖堂を覗いたらそこでやっていた。プレモントレたらいう、何度名前を聞いても忘れてしまう、しかし実はすごく伝統的で歴史の古い、フランシスコ会なんぞ新興扱いされそうな修道会の修道士たちの聖務日課を「見物」する。おフランス語での主の祈りなんか判らないもんよ。しかし何処でも修道士ってのは実は変らないねぇ。ショーン・コネリーみたいにカッコいい風貌の修道士は落ち着きがないし、先唱していた修道士はスコトゥスの福ちゃんにそっくりだし。ただ、ラテン人はガタイがでかい性もあって声がいい。あと、音痴がいなかったのがすごいな。たった4人しかいなかったのに。グレゴリオ聖歌のレコードで一躍有名になったサント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院の修道士ですら音程はずしたのがいたぞ。