サン・ジルから地中海の町へ

どうも私どもが訪れたこのときだけ寒波だったようだ。地中海なんて「温暖」ってイメージなのに凍えるほどに寒かった。
◆サン・ジル
地方の草臥れた田舎町サン・ジル。街はよく分からないけどここには宝玉のような教会がある。サン・ジルというのはいまでこそひなびているが中世史では重要な拠点である。サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼路の拠点ともなったこの町の修道院クリュニー修道院に帰属した時点で飛躍的発展を見せたらしいよ。昔はどんなだったか知らないんですが、とにかく12世紀ごろはこの修道院教会を中心に商人なども往来するような賑やかな町となったようだ。その後、宗教改革期に新教徒に焼かれ、フランス革命期に革命派に壊され、散々な目に遭って今に至る。革命するのはいいんだけど破壊はしないでくれ。お宝は持ち去ってもいいけど焼き払うなどやめてくれよ。こういう思いは中国の秦嶺山脈中に存在する唐代の仏像彫刻遺跡を見たときにも思いましたね。文化大革命だかなんだか知らんが馬鹿が革命するとモノをぶっ壊すので困るよ。お前らはおばあちゃんから「ものを大切にしなさい」と教えられなかったのか????神のためとか思想のためとかえらそうな御託を述べるがようするに浅ましい破壊衝動を満足させたいだけなんと違うのか?と、小一時間・・・・。
・・・というわけで怒りを覚えるような爪あとによって、いまや寒々しい姿を晒している壮大なサンジルの教会内部は閑散としたものであった。サン・ジルさんが可哀想だ。しかしそれでも今も巡礼は訪れる。サン・ジルの墓の周りには巡礼杖が奉納され、沢山の蝋燭がともされていた。たぶん巡礼が無事終了したのでお礼に奉納したんだろうなぁ。
サン・ジルの教会の入り口は珍しくも三つドアだ。しかも真っ赤に塗られていてお洒落だよ。石彫もここにはしっかりと残されているので見る価値あり。
◆エギュモルト
十字軍がここから出兵した海沿いの城塞都市エギュモルトは以前も訪れたことがあり、今回は見物もやる気なし。だって寒いんだもんよ。ただこの街は完全に城塞の中に街が詰まっている感じなとこがいい。カルカッソンヌも似た様なものだけど、ぐりちゃんいわく「ありゃアホなロマン主義な修復家が空想の再現をした所でダメダメ」だそうでここも似たようなものかのう。
城壁がぐるりと街を回りこんで、その外には塩田が広がる。更にはこの地方一帯、カマルグに湿原がだらだらと広がり、密かに「おフランスの釧路」と名づけたよ。ほんと湿地だらけだよ。そこには馬と牛がいる。エギュモルトの回りにも白い馬が寒いのに草を食んでいたよ。
エギュモルトの街中はこじんまりとしていてすぐ回れる。広場にはカフェもありのんびりできるので、訪れた人はそこでだらくさしてくださいよ。但し、ハイシーズンは清里か旧軽みたいになりそうで詰まらんトコだと思う。ここの街の中心にある教会は少しお洒落である。何がお洒落かというとステンドグラスを現代作家が造ったらしく、それが古い石造りの教会とマッチしていて素晴らしいのでありますよ。更にはナニがいいって、ここのアントニオ様はえらくハンサムなのです。アントニオ様に目がない私の為に写真家の石山さん(五木寛之の仕事とかしているプロ)が写真を撮ってくれた。出来上がりが楽しみでありますよ。プロな人の写真は私が撮るダサい写真とは大違いであることは以前彼女とシシリアに行ったときに思い知らされた。同じ構図で撮っても語るものが全然違う。プロとはそういうものなのだなぁ。
◆サン・マリー・ド・ラ・メール
以前、ここに来たときはミストラルが吹いて寒々しかったが、今度は寒波の性で寒々しかった。地中海を望むリゾート地サン・マリー・ド・ラ・メール(以下、略して「サンマリ」とする)は季節はずれの湘南より寒々しいよ。ムール貝が海岸に点々と落ちている辺りも寒々しいよ。
ここに至るにはとにかく馬鹿っ広い湿地帯を延々車で行くわけなのだが、この道沿いのロータリーには何故か「牛」にちなんだ現代彫刻が置いてある。おフランスは道が交差する場所を十字路でなくロータリーにしたがるのだが、ロータリーにはこういう現代彫刻をおいてあるところが多い。芸術文化を奨励する国だけあってそうしたチャンスを現代作家に与えているのは偉い。だがしかし・・・・芸術の国おフランスにもダサい作家が沢山いることを思い知らされるのである。ほんとにダサいのが多いよ。日本の公共作品の方が優れているよ。ここカマルグのロータリーの「牛」作品の中に巨大な網焼き機をドカンと置いたのがあった。ローマ時代の殉教聖人ラウレンティヌスは網焼き拷問で死んだ人で彼もよくこの網焼きの持ち物を持っているけど、私の目にはいつも魚を焼く網にしか映らないよ。
で、サンマリ。
ここは「黒いマリア」で有名である。黒いマリアの起源は未だ謎であり、色々な本も出ている。後で訪れるル・ピュイの大聖堂にもこれがあるけど、サンマリの黒マリアはジプシーたちが崇敬をしていて、年に一回お祭りとなるとヨーロッパ中のジプシーたちが集まるらしい。そのためこの辺鄙なリゾート地の質素な聖堂内部は今も信仰が生きて充満している。特に目を惹く装飾などないが、祈りの蓄積が作り出す空気は、廃墟化した教会には存在しない空間の密度を生み出す。それは芸術家が決して作り出すことが出来ない多くの人々の作り出す共同遺産である。
地下にあるマリア像の回りには、季節はずれだというのにおびただしい蝋燭がともされ、人の出入りも大きな街の教会ですら及ばない。常に祈りがあるということの力強さを教えられる。日本の教会にはこうした巡礼教会がない(五島くらいか)だからなんとなく空疎である。一人で訪れてもどこかの祭壇で祈る人がいるという装置がないのだ。日曜日にミサをやるためだけの箱と化してしまった教会はどこか寂しい。それは第2バチカン公会議と共に脇祭壇が壊されたことからはじまったと思う。改革するのはいいけど、壊すなよ。と、再び思うのであった。ジプシーの人々の信仰が支えるここのマリア像のように大切にしていくのがいいと思うのだよ。
で、このリゾート地のホテルに泊まったんだが、夏でも涼しいらしく冷房装置がない代わりに暖房設備もしょぼい。こんな季節に満室になるほど人が訪れることなどないホテルで、大量の日本人が泊まったものだから、ちょっとした拍子にすぐブレーカーがあがり停電する。朝なんか夜明けが遅いんでホテルの人が来るまで真っ暗な中に皆でいたよ。サンマリで買った蝋燭をともして待ち続けたけど、台風の島みたいで面白かった。