生かされているというコト

人間というのは社会性を持つ生き物ですが、生きるという行為に於いて他者と関わらざるを得ず、というのはよく感じます。
先日、某編集者が私の困窮を見るに見かねて、絵を買ってくださいました。「絵描きがバイトなどしてはいか〜〜ん」とそのとき、仰られておりました。また別の某編集者はやはり窮状を聞き及んで仕事を下さったんですが、有難い限りです。こういう時「他者に生かされている自分」というものをしみじみ感じますね。えてして人は自分の力で生きているような錯覚を起こしますが、そうではなくやはり他者とのかかわりの中で「生かされている」ということを自覚していないといけないなぁと思いますね。感謝する心を失ったらいけないなぁとしみじみ感じます。
このところ過去に出会った「私を生かしてくださった」人々のことを色々考えます。多くの方に支えられて自分は逆になにをしたのかなぁ?と反省することしきりですね。
ギョーカイ的には、こうした光景は神の恩寵のごときもので、こちらはひたすらに感謝し受けることが大切であるという感じでしょうか。それらに対し対等に自分が振舞えるかというと、それぞれの守備の範囲があり、わたくしは私なりの守備範囲で応答するしかないのですね。
・・・・・・・とまぁ、こういうことをぼやぼやと考えていました。
なんとなくこういう真面目なことを考える日もあります。