公共事業の民営化

NTTや国鉄道路公団、そして郵政。民営化はよいよいなどというイメージで語られているけど、本当のところどうなんでしょうか?
先に述べたように我が家には悪名高い道路公団職員がいる。さらにうちの親父はもっと悪名高い「公団OB」というヤツだ。もっとも働き盛りのときに自分から公団を辞めて民間の会社に転職したので、天下りとかそういうOBではないんだが、公団の悪事で名前の上がる人はほとんど知っていたりする。うちに遊びに来たおじさんもいる。
我が父は公団の黎明期にいた。当時の社会は東京オリンピックを控えとにかく未来志向というか、日本の国土を豊かにし、流通をよくしようというコトで、高速道路というのは夢のある存在だった。父は東名や名神高速インターチェンジの設計をしたり、どういうルートを通すか自分の足で歩いて考えたり、プロジェクトXに出てくるおっさんみたいに、日本の未来の為に昼も夜もなく、休みもとらず働き続けていた。家で見る父の姿はいつも青写真を前にしていた。彼らに私的な時間はほとんどなかったと思う。日曜日は疲れ果て寝ていた。ついに身体を壊し、腎臓を患い、死にかけた。だから今も腎臓の薬を飲み続けている。父の尋常ではない労働意欲は日本が豊かになる為だからという、一種の殉教精神によって支えられた来た。父が公団にいたときの生活は質素だった。同じときにゼネコンにいた父の友人達の生活は派手だったが、我が家にはそんな金がなかった。財布の中に金もなくジャガイモ一個だけしかない日もあったのよ。と母は回顧する。父の病気を機会に母も働き始め、父が公団を辞めて民間に移ったお陰で、父の働きに応じた生活が可能になったがそれまでは大変だったようだ。公団の職員は確かに年金が保証されているとか、安い宿舎があるとかいろいろ言われるが、転勤も多く、引越し貧乏だったし、やっていられなかったようだ。その後、改善されたかどうかは知らないし、今のことはよく知らないが黎明期はとにかく苦労していたようだ。
今、父はなんとなくのうつ病にある。仕事を引いたからだと思っていたが、どうもここ数年の連日の公団のニュース。猪瀬の追及のやり方が公団のやってきたことは全て悪であったというようなあの論調に、自らのアイディンティティが崩されつつあるそれも原因だと思う。それは全ての高度経済成長を駆け抜けてきたおじさんたちの姿でもあり、たしかにイケイケどんどんの風潮を反省しなければいけない時代が今なんだろうとは思う。日本道路公団だけでなく、多くの企業もまた後ろを振り返らざるを得ない状況だと思う。公団の場合は親方日の丸なだけに、民間のような切実さを体験しないのでぶったるんだ幹部もいただろう。だから現役である兄は、父とは違い今の状況に冷ややかだ。批判されて当然であると受け止めている。父と兄の間には歴然とした世代差がある。
私は今の情況からすると兄の考えが現実的だとは思うものの、全てを否定されつくしている父を気の毒だと思う。何故なら彼は日本という社会の為に自らの人生を奉仕しただけでありしかしその価値が間違っていたと突きつけられてしまう今というのはあまりにも残酷だと思うからだ。だからといって改革するなというわけではない。それも時代の流れなのだろうから仕方ないとは思うものの、ただ簡単に悪と決め付けるのは、あまりにも悲しい。

ところで以前から、我が家となんとはなしにお付き合いのある政治評論家の森田実氏が道路公団の民営化について書いているのを見つけた。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C01029.HTML
2005年森田実政治日誌[132] 
「道路公団民営化の真実」――道路公団関係者の声 
「希望は強い勇気であり新たな意志である」(ルター) 
[日本道路公団の職員の皆さんに大いなる希望に燃えて仕事をしてほ
しいと願う――森田] 

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C01033.HTML
2005年森田実政治日誌[134] 
道路公団職員の絶望的なため息が聞こえてくる――
小泉首相の総裁人事の過誤について 
「人は幸運のときに、偉大に見えるかもしれないが、
真に向上するのは不幸のときである」(シラー)
[道路公団の皆さん、逆境にめげずに頑張ってください。
必ず良識が勝つと信じて――] 

森田さんは妹の仕事関係で知り合った方で、いつも着物を着ている背筋の伸びたおじさんという感じで、かなり質素な生活をなさっておられる。清貧、高潔を絵に書いたような方である。こういうおじさんがこのような論調でマスゴミをぶった切っているとは。寡聞にして知らなかった。とにかく公団職員いじめのようなマスコミの論調や、猪瀬さんの兄いわく「本当に悪いやつには言及もしない、間違った」方法論に真っ向から批判を加える森田さんの論調は、まぁ身びいきになるやもしれないので「そうそう、そうだよね〜」と、頭から肯定派は出来ないものの、落ち込んで老人性鬱になり生きる気力を失っている父には、あり難い言葉かもしれない。

物事は簡単には善悪を決められない。個々において良くないことと必要だったこととが複合的に絡み合っている。郵政事業にもそういう側面があるだろうと思う。最終的に「日本国民の為に。」それが見失われているのかどうかが判断材料になる。己の利権の為にゆがめられている「談合」は当然悪だが、もし国民の為の「談合」だったらどうなんだろう?
政治とか経営するとか、ほんとに難しいですね・・・。
色々な人の意見を読み続けるしかないです。猪瀬さんの公団批判も森田さんのそれへの批判も両方読まないと判断できないように、そして双方の言い分にもそれぞれに分があるように、郵政にもそういうのが必要だと思います。