隆慶一郎さんについて

隆さんのことを紹介したら、皆様からコメントがついてびっくり。教授は知る人ぞ知る的な様子で勧めてくれたのでマイナーな作家だと思っていた。よくよく調べると読者が多い。漫画にまでなっている。とはいえマニアックな作家だからそれなりに読者は限られてはいるかもしれない。酒見賢一もかなりマニアックだが、彼も読者は限られている気がする。
コメントくださった方は皆様驚くほどの読書家なのだから知っていて当然だと思うが、教授がマイナー作家として紹介したのはもしかしたら美術系の人間が世間とずれているという可能性もある。かくいうわたくしはこの方のことは知らなかったのです。

隆氏がカトリックだというのは驚いた。

そういえば『捨て童子松平忠輝』なんかには、すごい福音的な視点があった。

ゆうこさんが指摘するようにたしかに今読んでいる『捨て童子松平忠輝』も『吉原御免状』も権力によって「小さくされた人々」周辺世界の人間が出てくる。阿部謹也さんが研究してきたような人々が生き生きと描かれている。アナール学派的な視点がちょっぴりある主人公が福音主義的だ。『捨て童子』にいたってはカトリックプロテスタントの思想を学ぶ異能の大名として描かれている。そして人々の垣根をたやすく越えてしまう人物として描かれている。才能に恵まれた貴種ながら、疎外された世界に身を投じ、また敵対する人物に対してすら「あはれ」を感じるような繊細な精神の持ち主だ。
「解放の神学」的視点から見ると、精神的な「解放」を容易く身につけた主人公の生き様は正しく映るかもしれない。権力にしがみつかんとする人々をあはれと見ながらも対立していく。隆氏の視点は単純な階級闘争視点ではない。それぞれの立場の意味、必然を分析しながら人物描写をしていく。権威にある側の悲しみ。弱さなども描いてみせる。寧ろそういう人々のほうが弱く小さくされている人々に映る逆転構造。社会的弱者である周辺世界の人間のほうがたくましく強者である。

ところで、今まで読んだのは「吉原御免状」「かくれさと苦界行」「捨て童子・松平忠輝」だけ。主人公としては二人。どちらも似たような性格で、事件には巻き込まれ型。価値観を環境によって左右されない自己がある。こうした自由人が江戸初期に生まれ落ちるとどうなるか?という面白さは、結局、彼自身が貴種でないと成立しない。周縁に生きる人々は当たり前に埒外ゆえに、拉致内に入る自由がない。その皮肉さを感じなくもないです。「カムイ伝」などはその一例。カムイが変装した白面郎の剣士ですら完全に自由にあるわけではない。