君よ知るや南の国

こう暑苦しく不快指数が高いと、本を読むにも内容を選ぶ。サスペンスモノは読む気が起きない。私小説じみたどろどろした自分語りモノも暑苦しい。かといって政治論や哲学、思想は頭が回らない。オルテガニーチェのような分かりやすいものくらいで、やはりパノフスキーはこの時期には向かなかった。ゴシックもスコラも北方のものだよなぁ。寒くないと読めません。ついでに与論から持ってきたベネディクト16世の書物、数冊も頓挫中。ドイツも寒いもんなぁ。こういう時は幻想文学が読みたくなる。あるいはアメリカ文学でもいいや。ポール・セローの「モスキートコースト」、ウンベルト・エーコの「前日島」、作者を忘れたが「バリ島物語」意外とジョン・アーヴィングなんかもいい。イタリア文学ならタブツキやイタロ・カルヴィーノアルバニアの作家イスマイル・カダレの「夢宮殿」なども向いている・・・が全て島に置いてきてしまった。島で読むに最適なものは暑苦しいときに読むものだったりするわけなので。

しかたがないのでしばし実家に置いてあった荒俣宏集英社の文庫シリーズを読み続けている。

南方に死す―荒俣宏コレクション (集英社文庫)

南方に死す―荒俣宏コレクション (集英社文庫)

最近、天皇両陛下がサイパンに慰霊に行かれたといいます。その南方への進出の歴史には明治期や大正期の南方への憧憬が根底にあり、南方ブームというのは大航海時代以来、世界規模で存在したようですが日本にもそれがあったということ荒俣さんも追いかけているようです。我が家にも戦前に曽祖父が購入してきたという琉球漆器がありました。土産屋で購入したのか知らないがなんとも間延びした変なデザインで、椰子の木が彩色されているという漆器であった。日本の伝統的な土産文化にはないデザインなので、子供であったわたくしはそれを見て南方の島の不思議な空気を感じてはおりました。
ヨーロッパの人々も「南」には不可思議な憧憬を抱いていたようで、大航海時代でもヨーロッパ内の南の地にも憧れを抱いたようです。ゲーテはイタリアに旅行しこのレモンとオレンジの香る地に浸りきっておりましたね。
むかしシシリアに行った時、なんともまったりとした投げやりな変な都市だと思いましたが、とりわけゲーテがおとずれたというバゲーリヤにある変な屋敷には驚かされました。投げやり度とへんてこ度指数が以上に高く、しかもただの悪趣味としか思えない装飾を施された屋敷の壁はガラス板に手で彩色を施した模造大理石で埋め尽くされています。メディチ家礼拝堂に圧倒された田舎領主がお金がない中で苦心して近づけた装飾に涙ぐましいものと、しかしそれをさらに屋敷全体に施してしまった狂気じみた感性に圧倒されました。そしてそういうとんでもない物件が投げやりに存在している辺りもすごい。この投げやりさは、ジャワ島のジョグジャカルタ近郊のプランバナンのヒンドゥー寺院に通じていますね。(ついでに陝西省秦嶺山脈の峠にあった道観にも通じている。)中国はともかく、南方の観光物件は投げやりなものが多い気がします。島の人に任せとくとそういう有様になるのかもしれません。
与論島にも、観光物件はあるが展示方法はかなり投げやりです。見せるときの秩序だった方法論がない。荒俣氏によるとジャワの植物園もキューガーデンの館長に言わせるとダメダメだそうだがそもそも学級的な観点ではなく、庭師的観点だろうから仕方ないだろうと記していました。与論の民俗村は島の伝統を記録しようという奇特な一族によって始められたもので、もとより学者ではない素人の郷土史家ではありますが、彼らが与論の文化をこよなく愛していることが伝わる展示となっています。島を訪れた人は是非この民俗村は見て欲しいですな。この民俗村を作り上げた彼らの島と島の生活を証するものの収集品の膨大さにまず圧倒されます。この民俗村についてはまた後日詳しく紹介したいです。