イタリアリラ復活?

イタリアリラ。とにかく数字の桁が異常に大きい。サンチーム、ペンス、グロッチェンなどという単位がない性もあってか、桁が大き過ぎ。「オッタンタクアトロミーラリーレ」とか「チンクエチェントヴェンティドゥエミーラセッティチェントリーレ」とか言うの面倒くさ過ぎ・・というところでしたが、慣れるとそれなりに味わい深く、カラバッジオ5枚にパラーディオ2枚にモンテッソーリおばさん2枚と2色小銭一枚に銀貨2枚ね。とかすぐ出せるようになるもんでした。しかし、ウーロに変ってからわけ判らなくなりました。基本的に金勘定の遺伝子がないので馴染まないです。札の大きさも見るからに桁の大きなカラバッジオ100000リラはでかく、モンテッソーリおばさん1000リラは小さかった。500リラという札のあった時代もあり、これはおもちゃ銀行の札のようだった。
しかしウーロ札は建築がなんの時代かで判断する以外、見分けがつかないです。ローマ建築が一番安く、現代建築が一番高い。5ユーロ>ローマ 10ユーロ>ロマネスク 20ユーロ>ゴチック 50ユーロ>ルネッサンス 100ユーロ>バロック 200ユーロ>製鉄業盛んな近代建築 500ユーロ>コンテンポラリーな先端技術 といった区分わけで、橋と窓(扉)の建築様式で見せている辺りなかなかすごい。この建築様式変化技はヨーロッパしか使えない技で、はじめて手にした時はそれなりに感心しましたが、とっさに使うには大きさの差異がないので馴染まず困惑した記憶がありますです。
しかもイタリアにいる時はカラヴァッジオは一万円。というかなり吝い経済観念で動いて丁度よかったので、身体に馴染んでいた経済感覚が無くなり、それも困りましたね。持ってる札が子供銀行にしか見えない感覚だと無駄使いが増える。ユーロになってからヨーロッパにはあまり行ってないので感覚学習も出来ない。困ったものです。リラを返せ。
・・・ところでそういう人は私だけなのかと思ったら、最近イタリアの偉いさんが「やっぱり、リラが好き♪」とか言い出しているようです。

北部同盟所属の伊閣僚、リラへの回帰をまたも提言
2005年 06月 6日 月曜日 20:16 JST 
http://www.reuters.co.jp/financeNewsArticle.jhtml?type=marketsNews&storyID=8704434
[ミラノ 6日 ロイター] イタリアのカルデローリ制度改革相は、伊レピブリカ紙とのインタービューで、
同国は旧通貨のリラに戻り、ドルとのペッグ制にすべきだ、と述べた。数日前には労働社会政策相が同じよう
な意見を述べ、外国為替市場を動揺させていた。

同相は、所属する北部同盟がユーロを離脱してリラを再導入する、あるいはユーロとリラの両方を流通させ
る道を検討していると述べた。同相はまた、「全く新しい通貨の導入も考えられる。ドルペッグ制で、例え
ばLが大文字のリラ(Lira)と呼ぶことにしよう。単一通貨からの離脱は我が党のもっとも現実的な提
案だ」と述べた。

 ユーロは3日、同党所属のマロニ労働社会政策相が、イタリアはユーロ離脱を検討すべきだと発言したこ
とを受け、急落していた。

私のような馬鹿頭ではなく、ドルとの結びつきを強調したいんですね。しかも以前のリラではなく、大文字リラ?なんでですか?やはりユーロ圏の東方拡大が嫌なんでしょうか?北部同盟って辺りもどうもなんなんですが。これを受けてユーロな人々はカンカン。

伊のリラ復活提唱に非難 ユーロ圏財務相会合
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=econ&NWID=2005060701000264
 【ブリュッセル7日共同】欧州連合(EU)のユーロ圏12カ国の財務相会合が6日、ルクセンブルクで開
かれ、欧州憲法をめぐる混乱に乗じてイタリアの閣僚らが同国の元の通貨リラ復活を提唱したことに対し、
非難が相次いだ。
 EU議長国ルクセンブルクのユンケル首相兼財務相は「ばかげたことを議論するつもりはない」とはねつけた。
フランスのブルトン経済・財務・産業相は「フランスは現在も将来もユーロを通貨とする」と声明を読み上げ、
ユーロ安定のための財政安定成長協定の順守を再度表明。オーストリアのグラッサー財務相は「無責任」、ドイ
ツのアイヘル財務相も「ばかげた話」とイタリアを非難した。

ユンケルさんはじめ皆、怒っています。
ユーロはもともとヨーロッパ経済圏の発展と結びつきを考え、堅牢な経済圏を構築し、ドルに対抗しようという腹もあったでしょうから、いきなりアメリカドルにすり寄った提案にはそれは腹を立てるでしょう。でも経済のことは良くわからないので、それがどういうことかは判りません。もっともいつもかなりトンデモな提案をする北部同盟ですから、石原都知事が日本の国際政治のことでかなり過激なことを言うのと似ているとは思います。流石にいくら右翼とはいえベルススコーニもこれは支持しないだろうと言われているようですが。

ところでこのような地域的経済共栄圏。アジアでもさりげなく夢見ている方々はいるようですが、アジアはヨーロッパ以上に現実的でない気もします。ユーロですらこれだけもめていて、尚且つ貧困層や労働者階級の右翼化が進みはじめている。人種差別問題、人種間の対立などが深刻化している状況で、却ってグローバリズムは逆の効果を生み出しはじめているといえます。喜ぶのは国際的な流通業や情報産業に携わる業種のみ。最終的に「すべての人々の経済水準を引き上げる」といっても、結局、途中の過程で我慢するのは貧困層なんですね。そして日々の苦しみを体験しているなら長期的視点で物事を見通すことが出来なくなる層でもあるわけで、理想のために我慢など出来ないわけです。こうなると細かい単位(民族)に戻ろうという右翼の言うことが魅力的に映る。理想主義的知識階級と、現実的労働者階級とが別れはじめている。ブルジョアプロレタリアートが再び対立しているといっていい状況のようにも感じますが、どうなのでしょう。
日本でも自然薯左派が坊っちゃん嬢ちゃん的中途半端な理想主義者に映るために多くの人の反発を招いています。特に最近のニート層の意見などを聞くと右翼傾向に在る。我々の世代には坊っちゃん嬢ちゃん的理想主義左派がまだまだわりといますが、歳が下がった30代>20代とどんどん右翼が増えている。生活が不安になるとどうしても保守化するのは仕方がないのかもしれません。こんな状況で中国や韓国といった国々への解放は更に不安を煽ることになるかもしれません。しかも中国様は軍備を着々と増強し反日感情をあおりまくる、北朝鮮のキム様もミサイルは発射するわ犯罪責任をとらず食い物だけは要求するわ、隣の韓国に至っては、領海を侵して尚且つ開き直り事件を捏造までしてこっちに非を押し付けるという常識知らず。このような国々相手にいつも損をしているのが目に見えている中で「友好のために我慢しましょう」などという理想家はよっぽど食うに困らない立場なんだと思いますね。現場に近い海域の漁師の前でそんなこといったら袋だたきに遭うでしょう。「竹島など韓国にやれ」とかアホなことを抜かす芸能人もいるようですが、日本海側の漁師が守って育ててきた漁礁を荒らされ始めている状況で、現場のことへの想像力が欠如しているとしか言いようがありません。拉致被害者の問題にも冷たい。同朋を踏みにじってまで他所のことに気を取られているという構図は「教師の家の子供はぐれる」などとという都市伝説に近いものすら感じます。(ほんとにぐれるのかどうかは疑問だが「他所の子ばかり可愛がる」という親への不満と反発はよく聞きますね。)
こういう状況下ではファシズムが誕生しやすい。しかし変なファシズムが台頭する前に懸念すべき要素は早く解決しないといけないんじゃないかとは思います。