苦情の会

日々徒然さんが先日↑こんな会でもどうです?と提案なさいました。

苦情の会
http://blog.so-net.ne.jp/hibiture/2005-05-18
タイトルと同音意義の団体が最近暗躍しているようです。
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九条の会」の広がりにも注目が集まっています。
京都新聞は「拡大する九条の会」の中見出しをたてて、「全国九都市で開催した『九条の会』
主催の講演会には、約三万人が参加する盛況ぶりを見せた。趣旨に賛同する人々が地域や職業
別などの形で個々に『九条の会』を誕生させ、これまでに千二百団体以上の『九条の会』がで
きている」と紹介。「京都では今年四月、仏教やキリスト教などの宗教者らが宗派を超えて
『宗教者九条の和』を結成した。このような『九条の会』の活動からは、平和を求める市民の
強い熱意がうかがえる」と評価します。「赤旗」
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例の自然薯泡沫団体(呼びかけて3人集まれば即「団体」)の効果がこのように使われている例を、日々徒然のFD3Sさんが指摘なさっておりますね。また、各地方新聞における報道文の考察から、その横の繋がりの堅牢さを分析しています。

私はこのエントリを機に、このように憲法改正を真正面から捉えないマスコミの偏向報道や
9条の会のような「サヨク」活動をしっかりとヲチし、問題点を炙り出していくための
「苦情の会」を発足(一人ですが)したいと思います。

と、強く決意なさっています。
こうしたサヨク系泡沫団体自然薯ヲチをし続ける会としての「苦情の会」はなかなかいいですね。けして「憲法9条」を護ろうとする思想自体やそれを支持する個人を批判するわけではなく、また個人の意志としてその会に参加する人々を批判するのでもなく、それを餌に、「確信犯的に」釣りをしようとする背後にある思想活動団体を警戒するということですね。>苦情の会。
団体は一人でもいいらしいです(笑)

さて、こうした泡沫自然薯団体について小烏丸さんが、別な視点からの示唆を与えてくれます。なるほどと思える論考です。

社会運動のある種の隘路
http://d.hatena.ne.jp/kogarasumaru/20050520#p1
ここではあえて、社会運動の主体としての左翼の退潮にスポットを当てるのではなく。よくある、
左翼とは関係のないことが多い組織が抱える問題点(人的資源不足・資金不足・対応問題の複合化)
等に比較的問題を絞ってid:antonian氏の社会運動組織への疑問視に多少なりとも答えられればと
思い書いたところである。
(中略)
特定少数のアソシエイションが、マルチタスクを抱える問題は多分本人たちはかなり自覚的である
場合が多いように思う。それは、しばしばその結果として人的疲労、資金的限界を感じる事がある
からである。また同時に、最初行っていたはずの活動に専念、あるいは最初行えていたほどの成果
が見られなくなっていくからである。これらを解決するにはどうすればよいか…。結局のところ、
その場で活動するメンバーで取れる対策といえば、以前の活動効率はそのまま、あるいは少し高め
て、他の活動やグループ支援にも少し手を回す。過重労働分は、無理のない範囲でメンバーの労働
量増加や個人負担(持ち出し)の増加でカバーするというところにやはり落ち着いてしまわざるを得ず。

ボランティア活動や社会運動というのはたしかに慢性的人材不足に悩んでいるのはその通りで、また欧米から受け継いだ安定したシステムを持つキリスト教団体などは場合によってはその宗教性ゆえに敬遠されることもあり、これも困ることです。が、翻れば社会活動に宗教を持ち込まないで欲しい、というのと同様、政治思想を持ち込まないで欲しいという言葉も多く聞かれることです。

自己責任を国民から問われた「イラクの三馬鹿」などとネーミングされた3人の人質問題で、彼らの両親や取り巻き連中が、誘拐犯の要求と同様の政治的要求を政府にしていたために「反日サヨク分子」と多くの人に認定されパッシングが起きたことがありましたね。彼らがNGO活動を行っていたということで、地道に政治と関係のない活動をしているNGO団体までもが「プロ市民」認定され、とばっちりを受けていたので「やれやれ、困ったことだ。」と思って見ておりました。現に多くの弱者救済の為の活動は、たとえばマザーテレサが、自らの宗教の布教活動の為でなく、自らの修道の一環として純粋にそれを行い、またその活動に政治的な意志が入る込むことを極端に嫌ったように、そのような意識で参加している人も多い。以前からよく聞くぼやきは「政治活動家が入って来て、会をかき回す」というもの。

脆弱なNGO団体が手を結ぶことは別にいけないことでもなく、むしろ多くの情報交換が為されるし、状況によって刻々と代わる変化に対応できるだろうと思うのですが、それは目的があくまでも社会奉仕の活動であり、政治メッセージを行うことと連帯するというのは違うのです。

固有の目的のある政治的メッセージの団体がそれと手を結ぶというのは目的がまったく違うし、また政治メッセージ団体同志が手を結ぶのもよく判らない。別にいったんその会から離れ個人に立ち返って参加すりゃいいじゃないの。などと思うのだが。そもそも労働改善の主張に平和運動と9条がセットになる混同で活動されると、その労働運動を支持していいものやらどうしていいのか、こちらとしては悩むことになるわけです。平和運動は支持したいが、9条は保留という人もいるし。イラク派兵には反対だったが、拉致疑惑が解明するまで北朝鮮への支援は保留にしたほうがいい。などと考える人間が、たとえばイラク派兵反対運動に参加したら、もれなく「北朝鮮マンセー」も支持が付いてくるなんて光景はぞっとしない。今年のメーデーがなぜか労働問題だけでなく平和問題もセットだったニュースを聞いて、こういうすかっとしない、「金玉袋のブッたるんだ男(copyrightごくせん)」のごとき方法論はわたくし的にはまったくイライラとさせられる。物事はきちんと分けてくれ。と、思うのです。

しかし政治政党なら当然それらがセットになっていてもおかしくないわけです。たとえば「日本共産党」。支持するしないに関わらず、東西の壁が壊れようが、隣の国の共産党が資本主義化していようが、共闘していたはずの国が犯罪を犯そうが、解散もせず「共産主義」を奉じて動かずというのはいさぎがよいと思うのです。彼らが上記のことをセットにして考えるのも経緯から理解できる。一時期支持が落ちたといわれるが、動かざること山のごとしで一定の支持層を抱えているわけですから、堂々と頑張っていただきたいです。

問題は責任所在をあきらかにせず、数に頼んでみたり、他の団体に入り込んで、虎の威を借りながら政治活動をしようとする、卑怯な手段そのものがなんとも気持ちが悪く、まぁヲチしたくなるわけです。

こんな例とか↓

平和運動の勘違い
http://blog.goo.ne.jp/elios/e/bb61839724fddcf51d009046fc680436
埼玉新聞:平和も愛するサポーター 「レッズ&ピース」が発足
浦和レッズのサポーターが集まり、レッズと憲法九条をともに語る団体を立ち上げ、今後、
スタジアムで会の旗を掲げたりしたいとのこと。これに、有名サポーターが絡んでいるそうで、
レッズサポーターの間では大きな騒動になっています。
浦議浦和レッズについて議論する掲示板では、「個人の政治思想は自由だが、レッズの名前を
利用したり、スタジアムに話を持ち込んだりすべきではない」という点で概ね一致しているよう
で、これに私も強く同意します。

ちょっと前の騒動のようですが、浦和レッズファンは怒り心頭に達したようです。
枇杷さんがその後を追っています。

園丁日記
レッズ&ピース解散と思いきや、「スポーツ九条の会」結成かよ…
http://fruitsofloquat.seesaa.net/article/2650016.html#more
レッズ&ピースの折、騒ぎになってましたが…
それだけじゃなかったんですよ。
「スポーツに政治を持ち込む愚」は既に始まってました。
どうか、気をつけてください。

尚、小烏丸さんは、同じ日のエントリで宗教と政治に関する共闘に付いても触れられています。

九条の会が、大江健三郎氏や小田実氏を含めて共産党中心の活動である事は間違いありません。
まあ、この問題で一番肝なのは、この「共産党中心」なのですが。この言葉は、共産党だけが
やっているのではないし共産党がやっているのではないという事が言外に含まれています。そ
れゆえに、九条の保持という目的の元に主張が近い、社民党支持層や共産党と本来対立してし
まう宗教界と協力できる体制を作り、まず何よりも改正の国民投票における多数派形成が目的
であると考えられます。

政治団体は政治が目的だからいいとして、宗教団体が特定の政治に関わると危険なのは、アメリカの例を見ても判る通りです。カトリックの場合、私のような天の邪鬼でひねくれた信者はともかく、中には「司教様のいうことだから正しい」などというたいへんに素直な方までいます。票田として利用されてはひとたまりもありません。ですからこの傾向には異常に警戒心を抱いているのです。そこで採択される政治信条そのものがどうこうではなく、そういう政治への癒着は結局自ら墓穴を掘りかねない未来を作ることになるのではと思うのですね。例えばうちの司祭が教会で「石原さんに投票しましょう」などといいはじめても私は警戒すると思います。(もっとも石原氏のような過激な方は、わたくしは支持はしておりませんが・・)

http://www.shukyosha9jonowa.org/message.htm
● 松浦 悟郎    カトリック司教 大阪教区

今、世界は重要な選択の時を迎えています。その中で、憲法9条を持つ日本の役割と責任の重さは、はかり知れまません。
なぜなら、世界中の平和を求めている人々にとって9条は、目指すべき目標であり、道だからです。
まだ私たちの手元にあります。もう一度選びなおしましょう。永久に手放さないために。

●岡田武夫(カトリック東京大司教

憲法九条は優れて福音的であります。
この精神が世界中に広まるよう願っております。
宗教者は宗教の違いを超えて世界の平和のために連携していかなければならないと痛感しています。

或る友人は上記の司教の言葉にある、微妙な差違を指摘していました。松浦師のは政治的アジテーションだが、岡田師のはキリスト者(信仰者)の祈りの言葉だね。ということです。一見すると同じような言葉にしか見えませんが、宗教者の使う言葉や発想の差違がここに現れています。その指摘が面白かったので、記しておきます。(松浦師を批判するのではなく、同じ価値を共有するものの位置的な差違の例として)