団子になって動く人々@カトリック

園丁日記さんが以下のエントリで面白いものを紹介して下さいました。

http://fruitsofloquat.seesaa.net/article/3447928.html

左翼がサヨクにさよく時 
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/index.shtml
サヨクは子供を政治運動の手駒に利用する
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/nini_13.shtml 

いやぁ、面白い。サヨクの方々には悪いのですが、思いあたる節が・・・。
実は私はポリティカル・コンパスでコミュニストの烙印を押されました。
http://sakidatsumono.ifdef.jp/political-compass.html
外国版でやっても同じ。
http://www.politicalcompass.org/

ごりごりのコミュニストだそうです。おかしいなぁ天皇制と日の丸君が代には肯定的なのに・・・・。しかし「国家は人民の味方であり、弱者への福祉政策は大切な課題の一つである。」などとか考えているので当然だったわけです。でも伝統主義的なコミュニスト代表って・・・・
     ・・・・す?スターリン???・・・工エエェェ(´д`)ェェエエ工
・・・・実はショックだったんですけどね。。デズニーとマックとコンビニとハリウッドが好きではないので当然か。(因みにヨハネ・パウロ2世ベネディクト16世コミュニスト・・・(^^;)

そういうコミュニストなわたくしも団子になって動くサヨクが嫌いなわけですから、真の共産主義者で人民の為に動かれる方などはどうかこの団子なモノから自立して欲しいと願うわけです。

で、私が気になるのはコレ。

憲法9条を世界の宝に・ピース9の会」設立趣意書
http://www.osaka.catholic.jp/sinapis/office/peace9.htm
3人から5人の規模で、日本で、海外で「憲法9条を世界の宝に・ピース9の会」をつくりませんか。

*目的は、憲法9条の大切さを身近な人から訴え、賛同者を増やすことです。そして、いつか憲法改正国民投票(Xデー)があるときには、一致して「改正」反対の意思表示をします。

*メンバーが増えて6人以上になれば、できれば2つのグループに分かれます。3人はグループの基本単
位であり、小さくても主体的なグループを増やすためです。
子供もこの会をつくることができます。むしろ、大歓迎です。

*賛同する3人が集まれば、「ピース9の会○○」と好きな名前をつけて事務局に登録します。事務局は都
道府県別に番号をつけます。例えば、大阪で10番目にできたグループは「大阪10」という具合です。
そうすれば、各地でいくつのグループができたかがすぐ分かりますし、同じ地域で連絡を取り合うなど、
共通の取り組みもできるようになります。

*登録したグループには、事務局から憲法9条を書いたカードを送ります。できるだけ多くの人に配って、
そのすばらしさを広めます。

*その他に、ユニークな活動や資料を紹介しあったり、憲法グッズを交換するなどの工夫で、活動が豊か
になります。

これはカトリック大坂教区の社会活動センターを通じて松浦悟郎司教が呼びかけたものですが、何故3人や5人の小さなグループを設立しなければならないかその必然性がまったく判らないのです。「主体的な」などと聞こえはいいのですが、責任所在が希薄になるような形式ですね。
憲法については色々な考え方があり、憲法9条を守ろう。というのも一つの回答です。それ自体は批判するつもりはありません。ただわたくしとは「考え方が違う」だけのことです。ですが、何も考えていないような「へいわ〜〜」とか言っている人々とかは嫌いです。そして例えばこの呼びかけなどにも「馬鹿?」とか思ってしまうぐらい必然をなにも感じないのです。別の見方をするなら、巨大になるだろう組織にはしたくない=責任はとりたくない。という風にも思えてしまうのです。私には未だこの意味がよく理解出来ませんが、枇杷さんの紹介して下さった「サヨク」サイトでもじっくり読むことにします。

また、上記の頁はカトリック教会の一司教区の公式なサイトに所属し、カトリック教会があたかも政治運動団体のごとき錯覚を受けてしまいます。大阪に住むカトリック信者は強制的に大坂教区に編入されますが、信者はそれぞれに政治思想が違うでしょう。このような方法論は教区による信徒への思想の押し付けにも繋がりかねません。宗教組織として健全とはいいがたいものがあります。以前も書きましたがバチカンから出された公文書にはこのようにあります。

カトリック信者の政治参加に関するいくつかの問題について(一部抜粋)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/politics/index.htm
II 現代の文化的・政治的議論の中心にある問題
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/politics/politics2.htm
カトリックの市民は、さまざまな政治的意見のなかから、信仰と道徳的自然法
合致するものを選び、カトリック市民としての判断基準に従って、共通善の必要
に最もよく応えるものを選択するのである。政治的自由は、人間の人格の善につ
いてのあらゆる考え方は同じように価値をもち真実であるとする相対主義の思想
に基づくものではないし、また基づくものであってはならない。政治的自由の基
盤となるのは、政治は、所与の歴史的、地理的、経済的、技術的、文化的状況の
中で、真の意味での人間的・社会的善を具体的なかたちで実現することに関心を
もつという事実である。当面する課題がそれぞれ特殊であり、状況がさまざまで
あることから、道徳的に許容できる政策や解決策が複数あるということは生じる。

世俗的な問題に対して、特定の政治的解決法を提示したり、いわんや許容できる
ものとしてただ一つの解決策を提案したりすることは、教会の果たすべき任務で
はない。それは神から個人の自由で責任ある判断に委ねられているからである。
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050216

特定の政治的解決を提示したり・・・以下が、大坂教区では守られていないことになります。司教自らただ一つの解決策に身を委ね、司教の名でカトリックの機関を通じて呼びかけているのです。大阪だけではありません。
「9条の会」の呼びかけ人リストには見事に司教の名がずらり。

新聞赤旗より
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-16/03_02.html
白柳誠一(カトリック枢機卿
池長 潤(カトリック大阪教区・大司教http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/cbcj/comt.htm
大倉一美(カトリック東京教区・司教)
大塚喜直(カトリック京都教区・司教)
岡田武夫(カトリック東京教区・大司教
菊地 功(カトリック新潟教区・司教)
高見三明(カトリック長崎教区・大司教
谷 大二(カトリックさいたま司教区・司教)
野村純一(カトリック名古屋教区・司教)
◎松浦悟郎(カトリック大阪教区・補佐司教)
三末篤實(カトリック広島教区・司教)
宮原良治(カトリック大分教区・司教)
溝部 脩(カトリック高松教区・司教)

実はこの中に沖縄の那覇司教である押川司教の名がないことに気付きました。先日述べたように沖縄にとって9条がどういう意味を持っているのか興味深いですね。尚、押川司教は米軍の基地の反対運動などには名を連ねています。
あとは札幌、仙台、横浜、福岡、鹿児島の司教の名がありませんね。