肥大化する自我と権利

いつもお世話になっているMeditationesさんのブログ。
教皇ベネディクト16世絡みの世界中のニュースを集めた連載は労作でした。
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20050428#p1
お陰で世界のマスゴミの動向などを私のような異人さんの言葉を理解しないものでもなんとなく知ることが出来ました。マスゴミに対してはやれやれ・・・といった気持ちが強いですが。
で、本日はがらりと変ってこのようなエントリー
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20050429

こちらでは敢て内容は載せませんが是非じっくり読んで見て下さい。
JR西日本の問題です。そしてそれに絡んで、席を譲らなかった若者の主張を取り上げたブログもあります。若いものは席を譲って当然と言わんばかりに権利を主張する元気な年寄と、これから働きにいく自分にこそ権利があるのだとする若者のエゴのぶつかり合い。正直・・・どっちもどっちだ。

権利とはなんだろうか?といつも思います。

JRの事故の問題で、誰に責任があるのか?といった論調があちこちで為されています。はじめに運転士が、そして彼のストレスを生んだ会社が、会社をそこまで追いつめた社会が・・というような責任の追及。しかし全てが絡みあって起きた事故ならば自分の足下を先ず見ることが大切だとは思うのです。最近は他者への要求や権利ばかりが肥大し自らを省みるということがあまりなくなっている気もします。
反日運動絡みの中国の肥大化した自我も、それに反発する日本の肥大化した自我、あるいは中国に同調する活動家の主張も互いがそれぞれの鑑のようになりつつあります。また、ベネディクト16世就任へ寄せられた多くの批判的な様々なこと。すべてが実はミニマムな視点に囚われすぎていて、大局を見失っているようにも思えるのです。なんとなく、互いが信頼する糸口を探す前に、絶望したり否定したりするような光景が多すぎて悲しくなりますね。

最近、驚いたニュースにこんなものもあります。

http://www.sankei.co.jp/news/050427/sha096.htm
ホームで化粧注意され暴行 女性重傷、22歳の女を逮捕

 駅のホームで化粧しているのを注意され、トラブルになった相手の女性を電車に接触させて重傷を負わ
せたとして、警視庁渋谷署は27日、傷害容疑で東京都目黒区、飲食店従業員、小田島晃生容疑者(22)
を逮捕した。

 調べでは、小田島容疑者は同日午前11時半ごろ、港区の東京メトロ広尾駅のホーム上で、川崎市の無
職女性(65)から化粧を注意されたため、女性の肩を揺さぶってふらつかせ、入線してきた電車の先頭
車両に接触させて頭や胸の骨を折るなどの重傷を負わせた疑い。

化粧を公の場でしていて注意された女性が逆ギレしておばさんを重傷の目に遭わせたというニュースです。注意されたぐらいで切れるか?にらみつけるなら判るが・・・という以前に、電車やホームで化粧する文化が一般化している現象にも実は驚いています。
はじめてそういう方を見かけた時、失礼だが、どこかおかしい人だと思ってしまった記憶があります。人前で化粧をするのはわたくし的には人前で服を着替えるという感覚に近いものなので、いきなり電車内で化粧をはじめた時、この人は何か心の問題を抱えているんじゃないか?とかいらぬ心配をしたことがあります。実はそれが最近の傾向だと知った時は驚きました。世代間の格差を思い知ったというか。
公共の場で化粧する権利を奪う理由は確かにないわけです。暗黙のうちのモラルで「それらはいけないこと」となっていたわけです。最近はその手のモラルの光景が違ってきているようです。またm2chなどのスレを読むと「注意するほうが悪い」という論調があるようで更に愕然としました。目上の人への敬意とかそういう話ではなく、なんとなくそれを主張する側の論調に肥大化する個人の権利を見てしまうからなのですね。

席を譲れと威嚇する老人や、席を譲らない理由を述べ立てる若者や、電車内で化粧をする女性。こういう光景の前に言葉を失ってしまった気がする今日この頃です。

島でも、世代差があるといいます。タクシーの運転主さんが言っていたのですが、「70より上の人間は強い。けど60代や50代は弱い。困難に直面すると70歳より上の人間はなんとか粘るが、50代〜60代は自殺する」と言ってました。こんな小さな島でも???と聞き返しましたが「そうだ」とのこと。まぁ一概には言えないでしょうがそう観察していました。30〜40代はどうよ?と聞きたかったけど、もっと弱く映るのかもしれない。