バーチャルリアリティとしてのキリスト教文化

正教会ギリシャ正教ロシア正教)やカトリック聖公会イギリス国教会)、ルーテル教会ルター派)などではこのように一年をかけて典礼中に福音書を読む。それをバーチャルに体験出来る。そういうシステムがあります。特にこの聖週間は、枝の主日エルサレム入城から復活祭までの記述を日を追ってなぞり、そして復活後はペンテコステ聖霊降臨)まで使徒言行録をなぞるという時間を追った判りやすい方法を採ります。日曜日に教会に行くたびに時間を追ったドラマをそこで知ることになるんですね。特に聖週間はそのようにバーチャルにイエス萌え〜なことをしますから充実していて面白いです。
そもそも毎日やっているミサ(教派によって聖体礼儀とか聖餐式ともいう)という祭儀はこの晩餐の光景を再現したものではあります。司祭がイエスのようにふるまう劇場性。パンをわけてもらう弟子達を自分を重ねることになります。また祭壇上のミサの祭儀はイエス自身が行った伝統的なユダヤの祭儀でもあり、ユダヤの伝統的な過ぎ越しを祝う宗教的な行事であり、それは「生け贄を捧げる」という行為に通じます。自分達の持っている一番よい羊を捧げたりしたのですね。そして伝統的な教会ではその捧げ物がイエス自身であるということもそのミサに込めるので、ミサには聖週間の全ての出来事がそこに凝縮されているともいえるのです。
・・・・と、難しいことをかきましたが、ま、とにかく聖週間から復活祭まで、キリスト教はクリスマスよりも盛大に祝います。典礼(ミサの儀式的なこと)もいつもより丁寧です。視覚的効果なども採り入れ、枝には棕櫚の葉を皆が持ち、聖木曜日はイエスが弟子の足を洗った記述に倣い、司祭が信徒の足を洗います。受難の日である聖金曜日は十字架を持って行列をなし、ゴルゴダの丘までの苦難を辿ります。この日はいっさいの記念的行為はなく、磔刑像なども外されます。一年のうちに唯一イエスが聖堂からいなくなる日です。マジにお隠れになるわけです。そして土曜の夜、イエスは復活するんですが、この時は聖堂内の明かりは落とされ、司祭のもつ蝋燭が唯一の明かりという演出から始まります。信徒達が手にする蝋燭の明かりに司祭の持つ大きな蝋燭から移された火が徐々に点火されていって、世の光であるといわれるイエスの復活を表現するのです。そして明けた日曜日、久しぶりに明るく喜びにあふれた音曲(四旬節中はやらない)で祝うのですね。有名なイースターエッグもこの時、貰えます。
ま、こういう風に物語を象徴的に表現していくやり方は子供でもよくわかる効果があるのですね。
大衆化された宗教というのはこのように判りやすいものを繰り返し行ってきたわけです。日本の歳時も日本古来の宗教伝統に裏打ちされた周期的なもので、これが来たらもう春だ〜とかそろそろ夏だ。とか季節感と共に記憶出来るシステムがあるのですね。これは自然宗教である神道の精神性などがかなり影響しているでしょう。そういうものはやはり大切にしていった方がいいと思うのです。