大伯父さんの話

中目黒に住む大伯父は祖母の母方の従兄弟である。もうすぐ百歳になろうかというかなりの歳だ。戦前、外務省に勤務し英国に赴任した。歴史には疎いので分からないが年齢からいって日英同盟破棄後に赴任したのだろう。当時の英国と日本の関係はよく分からないが、とにかく英国で働いていた。当時の写真に記憶される大伯父はロイドめがねに派手な格子の上下を着て気取った典型的な伊達男であった。古い写真を前に「おじさんはお洒落だろう?」などと悦に入っているので「なんかえらく派手なんですけど。」とは言えなかった。
やがて、その英国でオペラ歌手であった大伯母と知り合い、恋仲となり、結婚をする。当時の社会で国籍を超えた結婚には色々と困難があっただろう。大伯母のほうでもおそらく遠いなんだかわけのわからない異教の国の男と婚姻などとんでもない。と反対されたであろうし、大伯父の家でも「異人と結婚するなどもってのほかだ」と拒絶された。しかし親戚の猛反対を押し切って結婚した二人は後に2人の男子をもうける。
以前、大伯父に大伯母との馴れ初めを聞いたことがある。この浪漫主義な大伯父はその手の話が好きだ。聞くとあれこれと答えてくれる。いわく「はじめに会ったのは、大使館のパーテイの席だったよ。パーティから帰ろうとする彼女を上司に送れと命令されてね。それでおじさんは車で彼女を送っていったんだが、話が弾んでね。お茶でもしようかということになり、それで延々話込んだんだな」。しかし別の日に同じ質問をすると「彼女は以前から顔見知りだったんだけど、大英図書館でね、ばったり出会って、なんとなく話が弾んでね。」付き合い始めの光景が何故かその日によって変わる。まぁ、どれも記憶の中にあるデートの場面だろうが、老いた記憶の中で順番が混乱しているのだろう。ただ、どの話でも大伯父は嬉しそうに目を細め、妻との思い出を語るのであった。
その後、エジプトに転任し、その後アフガニスタンに領事として派遣される。このアフガニスタンの赴任中に第2次世界大戦が勃発する。この戦時下の想い出は大伯母が克明に日記に残している。互いの母国が敵国同士であることに大伯母はかなり悩んだ。大伯父の手前、自分の祖国である英国のことは口にすることはできなかった。そんな母を哀れんだ子供たちは、何の記念日だったか忘れたが、ささやかなパーティの為に部屋に万国旗を飾り、母の祖国である英国の手作りの国旗を「お父さんには内緒だよ」とそっと彼女に見せた。そんな子供たちの気遣いに慰められたことを記録している。
やがてアフガニスタンで帰国命令をうけとることになる。アフガニスタンから日本までの道のりはかなりの苦労を強いられた。子供二人を抱え、陸路で日本まで帰国する。途中「日本人」というだけで大伯父だけが汽車の客室から追い出されたこともある。そして帰国した家族を待っていたのは軽井沢の収容所とホテルでの生活だった。
こうした時代の辛い思い出には大伯父は口を閉ざす。妻と子供と別れ別れにされ、敵性国の人間と婚姻関係にあるというだけで監視の対象だったのだろうか。この時期大伯父は一人で新橋にある軍の持つホテルにしばらく住んでいた。もしかしたら体のいい軟禁だったのかもしれない。「大変でなかったんですか?」と聞くと「そうでもなかったよ。楽しかったよ」と答えるが、叔母(息子さんの妻)の「お義父さま。お義母さまはとても苦労したと仰っていたわよ」という横入りが入る。大伯父は聞かぬふりをしている。語りたくない思い出があったのだろうと偲ばれる。戦後すぐに外務省を辞めた様子なので色々思うところもあったのかもしれないが、それは聞いていない。
大伯母には実際には会ったことはない。初めて訪問した時は既に鬼籍の人であった。大伯父はこの妻を心底愛していたらしく、しばらく大伯父の寝台の枕元に彼女の骨壷と写真が並べておいてあった。彼女は遠い異国の地でどのような思いをして暮らしていたのだろうか。親戚との付き合いも習慣の違いからたいへんに苦労をなさったらしいと祖母から聞いていた。二人の息子は日本とカナダとに別れて暮らしている。カナダに移住した上の叔父さんは目の青い金髪の母親似で、下の叔父さんはイギリス人風日本人という風貌で、それぞれが選び取った地に、国籍が違う親を持った子供がこの時代にどういう体験をしてきたのだろうかということもなんとなく考えてしまった。国同士が戦うとき、その狭間で苦しむ人がいる。
今、大伯父はほとんど寝たきりで意識も明瞭でなくなっているらしい。もっと色々な話を聞いてみたかった。ただ、前にも書いたように、彼の記憶として鮮やかによみがえるのはすべて「よき時代のいい思い出」のみである。