視覚人間

先日、展覧会場に以前、中国の旅でお世話になった小倉芳彦さんがお見えになられた。小倉先生は東洋史の学者さんで、「春秋左氏伝」を訳されたので有名。(「春秋左氏伝」というのは宮城谷昌光さんの小説の種本だ。すご〜い古い古代中国の書物だ。)小倉先生は学習院の学長職を数年前にお辞めになられてから幾つかの随想録を書いていて、この日もご自身の私家版をお土産に下さった。
それをぱらぱらと読んでいたら、小倉先生はご自身のことを「視覚人間」と語っていた。昔地理が得意だった。漢字を覚えるのも早かった。だから視覚人間。とある。なるほど漢字ばかりにらめっこしている人はやはりビジュアル的な記憶力が発達するんだなぁと、親近感を覚えたですよ。漢詩はすごくビジュアル的だもんね。なんとなく字面が。それでもって音は韻を踏んでないといけないというすごい高度なシロモノだ。そういえば私も地理と漢文は得意だった。この二つは国語と並んで勉強などしなくてもなんとなく点が取れる楽勝科目だ罠。ビジュアル人間にとっては激しく楽チンだ。代わりに抽象的な概念のシロモノである英語と数学はそれはそれは酷いものだった。勉強しても頭に入らない。小倉先生は流石にそんなことないだろうケド、きっと少し苦手だったと思う。
小倉先生とは古代道路の研究会で知り合った。というか別に私は古代道路の研究家ではない。その研究会が中国の陝西省〜漢中〜四川の秦嶺山脈の桟道を見に行くというので、その旅の幹事をしていた父の先輩の武部健一氏が、わたくしも誘ってくれたのだな。まぁ、わたくしは単なる父のおまけですが、「そりゃ、三国志の舞台じゃねーかよ!!諸葛孔明、涙の北伐の舞台じゃねーか!!!」と、ミーハーにくっついていったのだ。この時の引率者がこの小倉先生だったんですね。いやはや、学者さんというのはすごく変だ。というのをこの時、思い知りました。とにかく自分の興味ある範疇のことに夢中になる様はすごい。地理の教授は高齢にもかかわらず高いところに上りたがり、とにかくフィールドワークにいそしんでいたし、小倉先生は様々な石碑に執着を繰り返し、他者の書き物の誤字脱字、用法の違いなどに妙に敏感。普段はおっとりとした国立博物館の学者さんは古いものの年代について質問されるといきなりめがねの奥の目つきが変わる。中国の文物より、学者たちの反応を見てるほうが面白かったよ。三国志に萌えているのは父とわたくしだけで他の学者さんはすごくマニアックな、つまりわたくしにはよく分からない方向を探求しておられました。
因みにうちの父と武部氏は土木工学の人なので、「秦嶺山脈を越えるルートはやはりトンネルだよね♪」などと語り合っておりました。