時代の芸術

どうも映像専攻科は王道の映像を伝授しようということらしい。昔に存在していたなら黒沢とか小津あたりを起用したいところだっただろうが、たけしの起用はおそらくヴェネチア映画祭辺りがキモか?
わたくしがいた頃は芸大は上野オンリーだったので、地の利もよく、大浦食堂に集まると授業にも出ないで銀座方面に繰り出しギャラリーは勿論のこと、京橋のフィルムセンターや日比谷辺りの映画館などに出掛けたものだった。ただ授業を受けるよりも多くのものを学んだかもしれない。芸術は教室だけで学ぶものではない。目を肥やし時代を読むことを要求されるからだが。
北野武の起用はそういう点ではかなりいいところを突いているとは思う。既に映像の世界には疎くなってしまったが、それでも現代美術の流れ、タマに見る映画などからも、かなり前から日本の芸術的価値に独自のものが現れたことに気づく。森真理子/謎のCG、森村泰昌/コスプレ 村上隆/フィギアに見られるような秋葉系の文化は諸外国で芸術として加工され受け止められているようだ。(但し細野不二彦の「ギャラリーフェイク」では否定的扱い)どうも秋葉系は日本ではまだまだオタク文化でも外国では若い人の間で「お洒落」なものに映るらしい。イタリア人の若い人に目を輝かせて日本アニメを語られると正直戸惑うけどね。
WASABIというフランス映画で日本を舞台にしたものがある。ジャン・レノが日本にやってきて暴れまくるというお話だが、お約束の「青きパパイヤの香り」的なお洒落な、しかし日本には絶対に存在しないぞ。というようなセットとか、某おフランスの外交官の家で目撃した「ワタシ日本文化目一杯採り入れてミマシタ」的インテリアのようなセットとか、どうもリアリズムに欠けるなかで、秋葉系要素(と言っていいかどうか、一応ゲームセンターとかね。しいていえば渋谷系か?)だけがリアルに感じたというのが、笑えた。
北野武の世界観も大雑把ではあるがそうした世界の流れの中に存在するように思うんだが。(日本では秋葉系ではないだろうが、イタリアでの受け止められ方はそれに近いように感じた)映像という歴史の中では異論があるかもしれないし、上記に記した秋葉系的アートという潮流で見ても他にいい映像作家がいるかもしれないが、あの独特のトンガリ観から、もしかしたらいい線をいっている起用かもとは思う。どうだろうか?