英国国教会、一部の保守がバチカン傘下に?

またもやsumita-mさんとこ経由ネタ
○Living, Loving, Thinking
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091022/1256212235
■羅馬への衝撃

アングリカンの分裂が決定的なものとなり、分裂した保守派をカトリックが引き取るということ。アングリカンの分裂は実は英国王権の正統性の危機をももたらしかねないのだが

えええ?なにそれ?なにそれ?なにそれ?
なにが起きたんだ英国に?!

こういう記事だそうです↓
Andrew Brown “The end of the Anglican Communion” http://www.guardian.co.uk/commentisfree/andrewbrown/2009/oct/20/religion-catholicism

英国国教会のコミュニオンの終焉」という記事。コミュニオンとはギョーカイ用語で「交わり」というが日本語に直すとなんか変な、そのままコミュニオン、もしくはコムニオcommunioといった方がいい言葉。コムニオは聖餐式における聖体拝領に由来する。コミュニケーションという言葉の語源もこれだが、ギョーカイ的には秘蹟的なものとして理解するんである。
教会共同体は、この聖餐という秘蹟を通じて成されている集団であるからに、この危機というのは要するにまぁ、教会内の分裂の危機の最上級的なものといえる。

いったいなにが起きた聖公会

記事は当然だが、外国語で書かれていやがるんで私にはよく判らない。アルファベットなる26文字ぐらいしかないような視覚的に面白みもない麗しくない文字は嫌いなのだ。というか、学習障害の性でどーも数字とアルファベット(ついでにひらがなとカタカナ)は記憶や理解がうまく出来ん。

で、なんとなく漠然と理解したところによると、英国の聖公会、つまり英国国教内では女性聖職者や同性愛者の聖職者の叙階を認めているのだが、一部の頑迷保守がこれに不満でどーやら「もう、おまいらとはコミュニオン出来ん!馬鹿たり!」と怒り出し、これまた頑迷が売りの保守魔人ローマ・カトリックと「仲良くしたいもんね」みたいなことになっている模様。
その保守の人々がついにバチカン傘下に馳せ参じることになるとかなんとかみたいな・・。どこまで公式なのか判らないんだが。

英国国教会というのは不思議な教会で、この共同体の中にカトリックですら腰を抜かすほどの頑迷な中世オタ的な伝統守るよ保守から、中道派、プロテスタント的なリベラル、福音主義バリバリまで共存する、キリスト教全体の縮図のような教派である。伝統主義は「ハイチャーチ」、福音主義的なのは「ローチャーチ」と呼ばれている。日本語では「高教会」などと訳されたりしているのを見るが変な言葉だよな。これは別段公式な区別ではなく、まぁあまりにも懐が深すぎて色々な人がいるんで、司祭や司教のカラーでなんとなく仲良し軍団、よーするに派閥が出来てるそれをそう呼んでるみたいっす。

このすこぶる仲良くなれなさそうな人々が共同体で一堂に会していたのは聖餐のコミュニオを通じてなんだが、それの危機は、こうした経緯がもたらした。

英国国教会、女性主教を容認へ
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2415317/3109936

昨年7月、英国国教会はついに女性の主教(カトリックの司教)を誕生させたのだ。さすが鉄の女サッチャーを生み出した国だけある。

しかしハイチャーチの保守派がこれに反発。こういう動きがあった模様↓

英国国教会の保守派主教がバチカンと極秘会談
http://www.christiantoday.co.jp/main/international-news-1622.html

上記の問題を受けて、リベラルな動きについていけない聖職者がバチカンと密談、その結果が今回のニュースという按配か?

うーむ、世俗的な考えからするなら、この男尊女卑的、マイノリティへの抑圧的な思考はどうよ?とまず言いたくもなる。しかしわしらのローマ・カトリックなんかもっと酷く、当然、世俗的価値観からするなら罵倒したくもなるんだが、しかし、聖域という蛸壺というのは世俗の価値で生きてないんで、こういう馬鹿でかび臭い判断してる人々がいてもまぁいいやんかとも思うアンビバレントな気持ちもあります。
つーか、個人的には、男子校萌え的な、或いは処女萌え的なのと同じ、ショーもない感覚が実は本音にある。なのであまり大きな声で女性聖職勘弁と言えんけど、聖域が女人禁制とか男子禁制みたいなそゆタブーってなんかよくなくね?禁欲的で萌えるがな。タブーや禁欲は宗教が宗教たるゆえんっぽい気もするのである。
神学的にはこの差別的な判断に対し、差別ではなく云々かんぬんと言い訳もあると思うんだが、そういうのより、理由に萌えが先に立つ私は告解モノであるかもな。

なので、世俗的判断から照らすなら男尊女卑的でお友達になりたくないようなこのハイチャーチな人々の気持ちも、聖域的感覚では判らなくもなく、敢えて世俗からの「男尊女卑でレイシスト」という罵倒を甘んじて受けて立つローマ・カトリックに来るといいよとか言いたくもなりますが、実は難しい問題があるとこの記事も告げている。

カトリックは聖職者の妻帯を認めないが、英国国教会は認めている。
大量の妻帯司祭がローマ・カトリックにやってくることになる。更に彼ら国教会の人々は妻帯に対しては自負があるので曲げたくない。
さて、バチカンどうする?という様子です。

過去には東方典礼教会がローマカトリックに出戻ってきた時、彼らは妻帯者だったので、特例として認めたということがあったが、その後叙階を受ける人は駄目とか取り決めがあったような。

頑迷保守のハイチャーチの司祭も、ローマ・カトリックに来ると俺たちリベラルかよ?!な事が起きた模様です。

もっとも、昨今は「結婚」という概念自体が保守的である。リベラルな人が大量にいるフランスでは教会による「結婚」が減っているとか、法的な婚姻関係がない人もいるとか、日本はまだまだですなというくらいパートナー関係にリベラルな人が多いとも聞く。
で、ローマ・カトリックの聖職者の場合、妻帯禁止なことをいいことに、こそこそと内縁の妻を作ったり、愛人作ったりしている司祭も多かった。ようするに「婚姻関係を結ばないパートナー」を作っていたという時点でリベラルを先取りしていたともいえるかもな。ほんとは見つかったら、罰せられたり、聖域から追い出されたり、子供がいたら責任とって結婚させられるのだ。

ま、今後の成り行きを見守りたい。

ところで、sumita-mさんが「アングリカンの分裂は実は英国王権の正統性の危機をももたらしかねないのだが」とご指摘しているそれについて、英国国教会のことをおさらいしてみる。
歴史ではなにやらヘンリー8世が離婚したかったからとかなんとか言われたりしているが、事実はルネッサンス期のトンでも世俗主義化したバチカンの傘下から自立したい。汚職まみれの教皇などにでかい顔されるのは勘弁ならんとか、王様の「ラテンな糞坊主よりアングロな俺が偉い」という動機などから、英国そのものを教会の権威から自立させるのが目的であった。これはフランス革命期でもフランスの教会をローマの影響からフランス国家下へ移そうと目論まれたのと同じ(失敗したようだが)。まぁ、神聖ローマ帝国の皇帝と教皇がエンドレスで喧嘩していたのの結果ともいえるな。

英国国教会は英国民が内部で血を流し(こうるせートマス・ベケット殺したり、カトリックを迫害したり、反対にカトリックどものテロを受けたりして)勝ち取ったローマからの英国民の自立でもあった。その国民がローマに出戻るのかよ?みたいなそんな感じはあるかも。

やはり生暖かく見守ってみたいですね。

ちなみに、聖公会は現地主義なんで英国国教会がこうなったからとはいえ、他の国の聖公会には英国の動向は原則として関係ない。しかしなんらの余波、影響なりはあるかも。どうなんだろうか?