全共闘な人々についてと、憲法九条徒然

内田樹が「全共闘とはナニか」ということについて書いていた。面白かったのでブクマした。

内田樹研究室
http://blog.tatsuru.com/2008/10/16_0936.php
■1968

内田氏のこの見解は確か著作でも書かれていてそれで読んだ記憶がある。それを今回は詳しく解説してみたという感じか。A新聞からの依頼らしいが、左派というのは「総括」が好きな人々が多いよな。朝日新聞社から出してる雑誌で、左翼がぐっと来ない理由を探ってる特集があったけど、どーにも客観性に欠けていて頓珍漢な自己弁護系の記事が多かった。内田さんの記事の方がよく判る。

わたくしは、この手の70年代馬鹿左翼が嫌いであったが、昨今は馬鹿ナショナルが嫌いである。特にお隣の国々の馬鹿ナショナリストどもに辟易としているんだが、この見解を読んで腑に落ちたといいますか。尊皇攘夷意識というのは戦中のナショナリストも安保世代もたいして変わりないよなと。幕末の志士達も似たようなもんであるという指摘になるほど。日本人の土壌に根ざした尊皇攘夷意識、つまり夷を嫌う排外主義的な思想は、幕末のアメリカに対する意識も、安保時代のアメリカに対する意識もたいして変わりない。中国や韓国にも似たような排外的思考は見られ。これはアジアの病理かもしれないけど。それに加えて昨今は、中国や韓国を夷荻と看做すようなナショナルな人々まで出てきてるという感じか。

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ところで、我がカトリックギョーカイにも、全共闘的な困ったちゃんがいる。
大阪に根城を決めたM司教と、埼玉にいるT司教。前者が社民党、後者が共産党支持者という印象であるが、社民党のロビー活動に熱心なM司教が我が東京の母教会にやってきたという話を先日教会の友人から聞いてびっくりした。

なんでも例の「けんぽー九じょー」教を広める為の行脚らしい。わざわざ我が教会にやってきたらしい。教会の典礼の為ではなく政治活動の為である。そういうわけで我が母教会の教会委員達は「とんでもない」と、はじめ断ったらしい。だが色々な経緯があったのか結局やることになったそうで。

教会組織を利用して政治活動しているという本末転倒な司教である。こんな涜聖な輩はとっとと、つまみ出して欲しいものだ。

この手の全共闘世代的な人々は内田樹の指摘するようななんらかの自罰的な贖罪意識に満たされている。宗教者ゆえに尚のことその方向に電波がかっているので「自分がよいと思うものは人にもよいものだ」とか信じて疑ってなさそうな、基本、善意の人なので困ったちゃんである。

個人的には司教を「シキョウ」と読まずに「バカ」とルビを振ってある。ここでイニシャルにしておくという配慮をするのがせいぜい「司教」という身分に対する敬意。まぁ「躓きです」などとコメに書かれるような駄目信者だからな。

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ところで、憲法九条。わたくし個人的に「けんぽ−くじょーを守れ」と口にした時点で「こいつ脳みそに蛆でも湧いてるんじゃね?馬鹿じゃね?」と蔑みたくなるシロモノであるんだが、まぁ、そこまで徹底的に嫌わんでも・・・とも、我ながら思う。

わたくしとしては、前線となる島に住んでいて、目の前に潜水艦が出没したとか不審船が通るような所に住んでいるので、隣の国のナショナリズムが大変に怖い。時々琉球は我が領土といってるのが登場するたびに肝を冷やす。前線であり軍事拠点になりやすく資源すら狙われている島にとって、そして過去、容易く本土が島々を切り離してしまったという事実が、再びあの悪夢がここに再現されてもおかしくない。と不安になる。

それでも島が安泰なのはアメリカとの安保条約のお陰で睨みを利かせているからなんだが、その安保によってお隣の沖縄本島が辛い思いをしているのも目の当たりにしている。自衛も出来ない国が他の国によって守られていれば当然見返りを渡さねばならず、沖縄は犠牲となり、そして当然アメリカの要請に応える義務(自衛隊の派遣)が生じる。

戦後の日本がアメリカにそうやって隷属してきたから今の繁栄があるという指摘がよくなされるが、まぁ確かにその通りだろうなとか思うんである。

60年安保闘争は判る。隷属的な国にしたくなかったと思う当時の若者の意識は、正直、私も内田の書くところの攘夷的な・・つまり伝統的な日本人なわけで理解できるんである。

しかし「けんぽーくじょー」系な人々に関しては、アメリカとのこの関係をどうするか?とか、破棄したその後はどうするのか?とか、そっち方向がよく判らん。全部が全部「無防備都市が素敵」とか思っているわけでもあるまい。

なのでどーにももにょりたくなるわけですよ。

で、件のM司教などは無防備都市宣言だかいうのに賛成な思想の持ち主なようだが、そうなったとき彼らの住む都市ではなく、離島がまず占領されるんだよなー。

憲法九条賛同者には日本のカトリック司教が名を連ねているという話を聞くが、前線基地になってしまう沖縄と鹿児島の司教は何故かそのリストに名がない。私の見落としでなければ、一応名を見たことはない。

どちらも離島出身者の司教だ。戦線のアメリカ世を体験している世代か、もしくは親から聞いてよく知っているか、いずれにせよアメリカ占領下で大変に苦労したという話は島人から聞く。日本に守られず、島人を土人と看做すような人々に占領されたらどれほど悲惨かよく知っているからか、憲法9条系の人々がいう理想は島人にはそのリアルな恐怖の解決にならない。なんせ今現在のポリティック状況からすると明日のチベットになりかねないような怖さがありますよ。隣の国はエネルギーの問題とか色々でマジですから。あれだけの人々を食わせねばならないんで必死だし。

んで、我が家なんか某国が上陸してきたら取り上げられちゃうかもなぁ。やだよ。そんで、このブログ記事見られて反政府的だってんで収容所送りになりそうだ。

まぁ、無防備都市宣言にサインする人は、こういう不安な離島の人々にご自分の家屋敷を明け渡して住居交換するといいよ。ああ、それから自分の財産も島の人々に渡してやりなさいね。無防備宣言とはそういうことだよ。それが出来ないようなやつは宣言するなよ。

そーゆーわけで、けんぽー九条系の人々は離島住人が感じているこのリアル恐怖を軽減するアイデアを考えて欲しいものです。

戦争しないと宣言したら、誰からも攻め込まれないなんてそんなアホなことは考えてはいないよね。