久しぶりに一日一チベ

一日一チベットリンク運動◆Eyes on Tibet
このところチベットワードで目立つのはシャロン・ストーンばっかりで、「地震チベットの報いなのよ」などと亡くなった人にはチベット族もいるってのに電波なことをいってるのをこれまた中国が激怒して「ブラックリストに入れた」という馬鹿記事などで読むべきのはあまりない。

読み物としてはこんなのがあった。アムネスティさんの報告。

▼国際支援の現場からーチベット―ふたつの窓から
http://www.asahi.com/international/shien/TKY200805270264.html

チベットからの報告はどれを読んでも、これいつの秦?みたいな、お上に逆らうものは拷問するよな気配に満ちあふれていてぞっとします。

関連?読み物↓

○無産大衆
http://d.hatena.ne.jp/madashan/20080601/1212306899
■飲み屋の愚痴

アナキストネット左翼madashanさんのブログ。面白いです。

ええと日本におけるいじめ体質というか、大日本帝国軍と日本赤軍を「余りに頭がわるくて余りに近視眼的で余りに貧乏臭くて余りにみっともない」という辺りが笑えたんですが、ああ、連合赤軍とオウムはそっくりだよと思いながらも、大日本帝国軍ともそういえばそいうとこで似てるとこあるよねと納得。戦時下に他者を轢きずり降ろすことに専念する的な人々の跋扈場面というのは色々あるけど。妙な倫理観の価値観のエートスを造って他者裁きに奔走するのは、文化大革命とかもそう。フランス革命下のフランスでも見られたようで。あとサヴォナローラもそう。美術品集めて焚きあげるってのやりましたね。日本に限らず色々あるなぁ。近視眼的でみっともないリンチ。
左翼のイメージは連合赤軍日本赤軍の性で激しく低下させられた気がする。特に連合赤軍など目的が違う迷宮に入ってしまったのを誰か止めてやれよ。止める人もいなかったのか?まぁ70年代安保ってなんか貧乏臭いよね。学費値上げデモからして60年安保と異るし。しかしまぁ70年代の暴力的革命家の反動で平和ってやってりゃいいもんでもないし、左翼さんもそこんトコ、色々匙加減が難しいだろうなとか思った。

んで、

共同体を回復しろって人も、それに対して共同体は個人を圧迫するって人も、どっちも同じ前提に立ってて、双方ともに自発的に――ということは意識的かつ批判的に――共同性を構築していくって発想がまるでなくて、何時も所与の――ということは外部からの――強制としての集団性としてしか人的集合を想起できないわけで、君ら実は集団行動がものすごく苦手な、抑圧と足の引っ張りあいでしか他人に言うことを聞かせられない、幼稚園児以下の珍妙な生き物なんじゃないの?とか思わないでもない。

日本の様々な思想的共同体の末路のみならず中共も同じ轍を踏んでいたりする。