瀬尾事件を受けて、だるまちゃんさんへの回答

青山学院大学の瀬尾准教授が舌禍事件を引き起こしたらしいよ。な事件についてです。
事件経緯はこんな感じ。

青山学院大学国際政治経済学部准教授 瀬尾佳美 まとめ
http://www.wikihouse.com/seo/index.php
「炎上」の典型的な例です。

sumita-mさんのところで、まぁいろいろやりとりをしたので、引っ越してきました。
経緯は以下のコメ欄参照のこと↓
○Living, Loving, Thinking
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080502/1209661435#c1210390089
■「愚劣」ではあっても言論は言論だ

以前この件について取り上げたのですが、その時sumita-mさんのご意見に同意しておりましたのでうちでエントリを紹介しました。
ここね。↓わたくしの考えも書いてあります。
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20080504/1209894145

まぁ、これ以上に付け足すような意見もなかったんですが、sumita-mさんとこのコメ欄で何故かブログの主を無視した議論というかコメント諸氏に対しての煽りとそれに反応した怒れる人々のバトル場になってしまって、普段静かでほとんどコメントも付かないsumita-mさんのブログコメ欄が容量を使い切ってしまうほどのすごいことになっていました。ま、炎上の飛び火ですな。この事件について炎上に加担している行為に対し批判的なことをいうと「瀬尾准教授に多少でも加担する的な構図」と見なされ、目が攻撃食に変じた王蟲ネットユーザー達のとどまるところを知らぬ大海嘯を目の当たりにしてしまって、いやはや。と改めて「炎上怖い」とガクブルした次第です。目が攻撃色になってしまうと冷静さを失い、腐海の底に相手を沈めるまで進撃は止まらないのは、例えばチベット問題でチベット擁護に立った漢族の留学生のご家庭まで脅かすか人たちの攻撃と同じで、現象としてどうよ感はますます深まったのであります。

で、そこにいらした論客で真剣に考えておられる「だるまちゃんさん」と、対話がはじまったので他者のブログで延々論議するのもなんなんでこっちに引っ越してきたという按配。
↓だるまちゃんさんのコメントです。

だるまちゃん 2008/05/10 12:18
antonianさん、ひとりでコメント欄を占領して、常連の皆さんの顰蹙を買っていることは承知しておりましたので、議論のお相手をしていただき、感謝いたします。
「自らの倫理観の欠如を露呈してしまった方々」などと失礼なことを書いてしまい、恥じ入っております。

>組織がその所属する者たちの自由な言論活動を禁止するという方向に行きかねない。と言う懸念がある

との指摘は正しいと思います。
ただ、組織の一員として、ひとりの人間として、社会から期待される責任は果たさなければならないと思いますし、社会通念上、許容される範囲を逸脱すれば、大学という組織であっても、一定の監督責任、連帯責任を負うものと考えます。

>責任の取り方 について
准教授は、心に思ったことを正直にブログに書くことを、無制限の表現の自由だと認識しているようです。
世間の非難を浴びた後も、自身の非を自覚していないようです。
失言をわびたところで、もともと、教育の場には不適格な人なのです。
彼女に発言の真意を説明させるまでもないのです。
膨大なブログやHPの記事から、彼女の思想が読み取れます。


まず、この騒動が起きたとき、私は、学内の人々に期待しました。
学生たちも怒っているはずだから、授業をボイコットするとか、何らかの抗議活動をするだろうと予想しました。

また、同僚教授、大学関係者、(付属、系列校、OB)から激しい抗議の声が上がるだろうと思いました。

次に、同じ大学教員という立場の人々からの批判を期待しました。

准教授のように、「倫理観に欠けた人間は、教育の場にふさわしくない」という批判が、教育の現場から巻き起こるだろうと思いました。
実際に、そのような批判をされている先生方も、いらっしゃいます。

しかし、言論の自由、学問の自由を盾に、准教授の言論の自由を擁護する方たちは、准教授の書いた記事の原文を自分で読んできちんと検証することなく、自己保身に走っているように感じました。

自分の意見を述べる前に、まずは、事実をできる限り正しく把握するというのは、研究者の基本ではないでしょうか?


また、瀬尾准教授は、ひとりの人間として見たとき、たいへん興味深い人です。
高学歴で高収入、おいしいものを食べ、海外旅行を楽しみ、高級外車を乗り回す「勝組」でありながら、なぜ、低所得者生活保護受給者などの「負組」を、かくも執拗に攻撃するのか?

社会と人間を研究の対象とする方々が、この人の内面に、一切、興味を抱かないのでしょうか。
「たくさんの人が怒っているらしいが、なぜだろう?」
という疑問を持ったなら、ちょっと調べてみようかと思わないのでしょうか。

私は、公式HP内の記述と過去のブログ記事は、ほとんど読みました。
毎日新聞から賞を受けたという論文も読み、出典にもあたってみました。
(このテーマも、かなり興味深いですが、長くなりますので割愛します)
HPが削除された後も、まとめサイトで情報を得ることができました。
(ここは、問題点がよく分析できています。)
Google の「キャッシュ」という機能を今回、初めて知りました。

准教授が賞賛する人は、ホリエモン村上ファンド東横イン社長など、知恵を使い、不正行為をして他人から富を得た人。
小泉首相、石原知事など、自分の権力を誇示する人、弱者の痛みに鈍感な人。
石原知事の新銀行東京を批判する態度は、珍しく客観的で、冷静です。
「弱きを挫き、強きを助ける」というのが、彼女の思想の根幹部分にあるのです。
社会的弱者を不当に侮辱、攻撃する考え方の基本は、ここにあります。

考えすぎかもしれませんが、准教授のプロフィールが、小泉チルドレンと類似しているのも気になるところです。某女性議員ほどの美貌があれば、議員になっていたかも知れないと思います。そうなれば、歪んだ経済の知識を武器に、弱者切り捨てに邁進したことでしょう。

コメントのお返事の前に、わたくしが考えていることについて理解いただく為に事件への所感を書いておきます。

・瀬尾教授の言論そのものについて
 
これについては事件を知った時にまとめWIKIなどをはじめいくつかのミラーなどを読ませていただきました。その時の正直な感想を言うなれば「実名でネラーかよ?!」でしたね。
なんというか2ちゃんねるの時事ネタ板辺りに常駐してる人がそのままブログでカキコしてるな。という光景。それが青山学院大学の准教授だからどうという感もなく、こいつネラーか?という以上の感想しかありませんでした。つまりまぁ教授といえどイマドキの人なんだな、と。「実名でネラー言論やるってのがすごい毛の生えた心臓というか、大丈夫か?」という感がありましたんで、まぁ当然のごとく大丈夫じゃなかったわけですね。笑)
わたしは正直大学の教授とか、なんとかガッコの先生とか、どこぞの社長とか、ネットというラインに乗った時点でその肩書きなど目に入らなくなる。そこにかかれている内容でその人を判断するので、老若男女問わず、実存の職種問わず、そして匿名であろうが、すべて水平に存在するように見えています。本人が実存の地位なりなんなりを名乗っていたとしても「ネットではそれは通用しないよ。そこで話される言論がすべてだから。」としか考えないです。ですから青学のセンセに馬鹿がいても、世の中の一定数の馬鹿の一人だと思って片づけるだけです。実存の仕事場を見ているわけではないんで実存についてはそこでは判断出来ないと考えるからです。

さて、わたくしはあまり過激な言論もそんな気にせんほうで、罵倒されてもまぁ実はあんまり怒んないというか、怒る人もそれなりの意見があるだろうと思うんで。なので他人が罵倒語を吐いていてもそれが道理があればあまり気にならずどんどん鈍感になってしまったところはあります。ですから「自らの倫理観の欠如を露呈してしまった方々」などと書かれても実は全然気にしてないんですが、笑)だから表象に操られている罵倒めいた言葉を教授センセがしてようが気にしないですね。

で、瀬尾教授の言論についてはそうした罵倒煽り属性以前の根底の考え方そのものだがどうなんだ?という印象は確かにあります。それが一番皆さんの批判したいところではありましょう。ま、ニュースとなった1.5人という考え方は、命の問題に関わる事で、わたくしは耶蘇教徒でしかも「たとえ受精卵の状態でもそれは一人だ」などという保守的なカトリックに属するんですが、ま、とにかく「赤子と母親はそれぞれに完全なる一人格である。」などとと考えますから瀬尾さんとは相いれない考えでありますね。彼女の意見は丁寧な言葉で書かれていたとしても、このように反論をしたくなる考え方はいくつか散見出来ます。

ただ、そうしたことは議論という形で指摘していくことだとは思います。ここで彼女自身に指摘しないで本人不在で語り合っても仕方がない事ではあります。たぶんここで瀬尾准教授の発言内容に対する倫理的なことをだるまちゃんとはなしたら「まったく同じ意見だよね〜」とかになっちゃうと思うんで。なにやってんだ?二人して?ってな感じで終わるかも。笑)

・実名と肩書きをあきらかにしたうえで語ることについて

これはまぁ、匿名のネラーさん達は瀬尾さん並の暴言を言い放っても、匿名さんだから責任持たずに済むが、実名でそれやったらこういうことになってしまうという覚悟があるか?否か?と言うことを本人が迫られるとは思います。その点では彼女はうかつでしたね。しかし逆に「表と裏がない」と見ることも出来ます。実存では偉そうに聖人君子のように振る舞っている人が深夜2ちゃんねるで「氏ね!」とかカキコしていたりとかありそうですから。その点では裏がないというか、正直というか。そうも言えるところはあるなと。

・組織への責任について

名を出す以上、だるまちゃんさんが「ただ、組織の一員として、ひとりの人間として、社会から期待される責任は果たさなければならないと思います」とご指摘になっておられることですが、それを背負う覚悟がいるということはわたくしも当然であると考えます。ですから確かに批判者達がそれなりの振る舞いをするべしというのはまぁ当然ではあるかもしれません。ただ「青学にネラー教授がいるというミスマッチ感がおもしれー」とか考える人もいるかもしれません。実存がそういう人、つまり同時代的な社会文化のサブカル的な場に生きている人だったら学生は違和感感じずにブログを読んだかもしれない。そういうサブカルな立場から彼女の専門分野を教えていたりしたら、案外そういう授業は面白いかもしれない。(・・・かもしれないが、少なくともあのブログ発言のブラック方向ではあまり面白くなさそうである)

・組織が教員のネット言論をどう扱うかについて

ここが問題ですね。瀬尾教授はブログを授業の補強と使っていた部分もあり完全なプライベートとも言えない状況でしたから、彼女自身パブリックとプライベートを混同しているところはあります。しかしこの世の現象はすべて学の探求の助けになるわけで、そういう意味では学者というのは生活すべてが学の探求の場である。とも言えますから、彼女のブログもその彼女自身の学究行為の一端と見るモノだとは思います。そしてまぁレベルが低いっちゃぁ低いんで読むべきものがないなぁという印象しかないんで・・あれじゃみもふたもありませんな。
ところで同じように過激言論で知られる、小谷野敦さんなどもブログで実名で他人の批判を書いていて、誰かを怒らせたり、学校に苦情が言ったりするらしいです。
以下参照↓
○猫を償うに猫をもってせよ
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080506
この先生のブログは短いながらも実存の書き物と深く関わるところがあり、一見すると毎回人の悪口を書いているように見えるのですが学究対象の分野での批判であったりするので、著作の裏ネタとしても面白いものがあります。物議を醸し出しやすい彼のブログにたいし、今のところそういう問題が起きているかどうかわからんのですが、事なかれ主義の偉い人が「本学の教員による不適切な言論があったことを遺憾とす」などと閉鎖してしまったら、著作読者としてはつまらないですね。

ですから、こういう問題が起きた時、ケースバイケースもあるのでしょうが、あきらかな犯罪行為以外というのは柔軟に考えておきたいなどと思ったりはします。

・学校が謝罪することについて

ま、個人的には調査ののち、やるべきであったというか・・・、謝罪すりゃなんでもいいのかよ?みたいな社会にはうんざりしてるトコはあります。
青学は私学なので、青学ルールで「こいつあ学校のキリスト教理念とやらに反するじょ〜」と判断したならばとっとと首も切れるわけです。青学ルールで「この教員は言葉は悪いが教え方はいいんだぞぅ」と判断するなら徹底して擁護すべきでしょう。
ま、それらは実存のこのセンセの授業見て見ないと判りません。社会通念の振る舞いがトンでもないのに授業がすごいよい先生とかいるから。そういう幅は教育現場には欲しいと思うことがあります。わたくしはなんつーかそつが無いとか、品行方正な人って好きじゃないんだよね・・・。どっかではっちゃけてる人が天才的だったりとかあるし。
破れかぶれなのにその分野ですごい人ってのはなんか尊敬するんですよ。子供というのは馬鹿じゃないからすごいトコは見抜くし、駄目なところは駄目と判断出来るでしょう。特に大学生は既に大人ですからね。
ま、そういう破れかぶれな天才センセは学校という組織が守って欲しいなと。で、瀬尾さんがそれに値するかたなのかは判らないです。
やぶれかぶれなセンセについて以下の意見なども参考になるよ↓

赤尾晃一の知的排泄物処理場(わかば日記)
http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=1026
瀬尾佳美准教授ブログ騒動で思うこと

わたくしは学校に倫理教育は期待してないというか特に大学というのはそういうものを期待はしていないのですが、近年どんどんそういう個所も大学の先生に期待してくるようになっていて家庭はナニしてるんだ?と思わなくもないですよ。そういうのは大学生ともなれば既に終了しているはずで自分で判断出来る人間になっていないといかんわけです。ですから馬鹿なことをする教授がいたら学生が直接糾弾するというのが、まぁ本来のあり方でしょうね。

上記に紹介したブログにもあるように大学というのは本来他の義務教育機関とは異る性質があるんですよ。わたくしの出身大学は「基地外だらけ」とか「精神病院」などと揶揄されるような芸術の学校でしたが、ほんとに困ったような武勇伝をもつ教授もいる。で、そういう人が才能があったりする。だから背を見て育つというか、作品を見て育つというか。「あの教授嫌いだけど彼の絵は好きだ」とかありますね。そういやたけしまで教授になりましたからねぇ。あの人なんか舌禍事件起こしそうだけどたけしという肩書きで赦されますな。

で、前のエントリやコメント欄でも書いた通り、言論には言論で以て先ず返す。は徹底したい。親に言いつけるみたいなそういう手法は拡大すると怖いと思うのですね。モンスターペアレント的なものが蔓延していくのもそういう行為は正しいと思っているからだと思うんです。

・炎上について

実は個人的にここが一番やですね。衆を頼んで一人をボコにする光景といいますか。
今回はあきらかに批判される側に分が悪いというか、言われても当然かな?と思うものの、「炎上していく光景」というもの自体は大変に怖いものがあります。相手の言い分を聞かない。決めつけてしまう。sumita-mさんのコメント欄で、一方的に「愚劣」のレッテルを貼る行為などが一例です。あのブログで行われた行為の数々を見ても皆さんが冷静ではないなと受け止めることが出来ます。いったん冷静さを取り戻せばこうして対話することが出来るのに、暴走の渦中にあるとそれが出来なくなってしまうという集団心理が確実にあります。正義は自分にあると確信したものの暴走はすごく怖いのです。それは過去の歴史の中でたびたび起きていることです。カトリック教会の異端審問なんかいい例でしょう。笑)
それは冒頭でも書いた中国人の全体主義的な行動にも同じものがあるわけで、正しさについて語るには、対話が先ず必要だと。ダライラマ14世などはまさにそういう渦中にあり、中国人とチベット人双方に冷静になって「対話をせよ」と呼びかけ続けています。実存を抹消するのではなく、己の道理を説く必要があるわけです。ただ、この手法は伝わりづらく忍耐を要します。時間が掛ります。しかし長い目で見るならばそれが一番良い道だとは思います。

批判する側は己自身の行為に対して批判的に見る冷静さを以て臨まないといけないと考えます。道理を説くには自ら道理のある振る舞いをしなければならない。批判者は自らの批判内容を一度相対化したのに確信的に批判するべきであると考えます。


・コメントへの回答

ただ、組織の一員として、ひとりの人間として、社会から期待される責任は果たさなければならないと思います

上記に記した通りこれは同意

社会通念上、許容される範囲を逸脱すれば、大学という組織であっても、一定の監督責任、連帯責任を負うものと考えます。

個人的には社会犯罪行為と言うものが分水嶺だとは思っています。というのも倫理的な範囲というのは人によって違うんで、すべからくこれを厳密に当てはめたら、つまらないセンセばかりが残るかもとか思っちゃうわけですよ。瀬尾さんの事例から離れたらよく判るとは思いますが、前述の小谷野さんなんかはいないとつまらんでしょう。

准教授は、心に思ったことを正直にブログに書くことを、無制限の表現の自由だと認識しているようです。
世間の非難を浴びた後も、自身の非を自覚していないようです。
失言をわびたところで、もともと、教育の場には不適格な人なのです。
彼女に発言の真意を説明させるまでもないのです。
膨大なブログやHPの記事から、彼女の思想が読み取れます。

実はそこんトコがそんなにすぐ判るもんかな?とは思います。人間って結構複雑なんで。
例えばわたくしはだるまちゃんさんを「学級委員長とかする女史っぽい人で、センセには優等生に映るが、男子のいたずらとか見逃さず、とことん糾弾し、粘着して煙たがられる女生徒」「なにかあるとガッコに文句を言いに行くPTA」とかプロファイルしたくなりますが、実存はそんな人じゃないだろうなぁと思っています。実際実存と会うと全然違うなこりゃという人は結構いますからね。出会い方で印象が変わる場合もあります。だるまちゃんさんとはたまたまこういう形でこういう問題のみで話しているので、違う話題を語っていたらこの二つのプロファイルは違うものとなったでしょう。一方的にナニかを言う場合と対話型となると違ってくる人もいます。文章というのは限界があると思っています。

まず、この騒動が起きたとき、私は、学内の人々に期待しました。
学生たちも怒っているはずだから、授業をボイコットするとか、何らかの抗議活動をするだろうと予想しました。

また、同僚教授、大学関係者、(付属、系列校、OB)から激しい抗議の声が上がるだろうと思いました。

次に、同じ大学教員という立場の人々からの批判を期待しました。

准教授のように、「倫理観に欠けた人間は、教育の場にふさわしくない」という批判が、教育の現場から巻き起こるだろうと思いました。
実際に、そのような批判をされている先生方も、いらっしゃいます。

実存を知っている人たちから先ず出てこなかったというのは何故か?ということも考えなくてはならない事かもしれませんよ?
あんがい実存はすごくいいヤツかもしれなかったり。わたくしの友人でもそんなのいますけど。ネット上だと過激なのに実存はすこぶる付きのいい人で「結びつかん・・・」と悩む人がいます。文字モードになると変わって見えるという人がいるんですよ。

しかし、言論の自由、学問の自由を盾に、准教授の言論の自由を擁護する方たちは、准教授の書いた記事の原文を自分で読んできちんと検証することなく、自己保身に走っているように感じました。

自分の意見を述べる前に、まずは、事実をできる限り正しく把握するというのは、研究者の基本ではないでしょうか?

わたくしが見た時は既に本家ブログは消えていたのですが、幸いにして職人さん達がミラーを大量に残していたので、それを読みましたっす。
ええと同じ構図を鏡として書きますが、「わたくしの意見を書いたモノを読まずに、またsumita-mさんのブログなどで、紹介されていた様々なブログを「自らの倫理観の欠如を露呈してしまった方々」とレッテル貼りする行為は如何なものか。自分の意見を述べる前に先ず相手の思想、考え方をきちんと把握しましょう。」と言われちゃいますが、どうしますか?

また、瀬尾准教授は、ひとりの人間として見たとき、たいへん興味深い人です。
高学歴で高収入、おいしいものを食べ、海外旅行を楽しみ、高級外車を乗り回す「勝組」でありながら、なぜ、低所得者生活保護受給者などの「負組」を、かくも執拗に攻撃するのか?

わたくしは大変に下流で、文庫本も今月買えずに遥か昔に買ったスチーブン・キングの「IT」を読み返しているような激しい貧乏っぷりですが、他人様がうまいものを食おうが、海外旅行に行こうが、外国車に乗ろうが別にそんなことどうでもいいです。問題はその人の考えが変か?否か?だけでそれ以外は関係ない。そんなの別にうらやましいと思わんとです。外国に行けばスリに遇うかもしれないし、外車に乗ったら税金とか維持費高くてうんざりしそうだし、なによりうちの島なんかそんなの乗ってたら錆びるよ。グルメするなら自分で作るが、サッポロ一番塩ラーメンが好きだ。
頭の記憶力が悪いせいでミステリーを何回呼んでも犯人忘れる自分の経済脳に感謝してるくらいだ。

そういうわけで、ほんとにマジ、そんなの関係ないじゃんと言っときます。

社会と人間を研究の対象とする々が、この人の内面に、一切、興味を抱かないのでしょうか。
「たくさんの人が怒っているらしいが、なぜだろう?」
という疑問を持ったなら、ちょっと調べてみようかと思わないのでしょうか。

内面は判らんので、書かれた文字面で判断するしかないという考えは上記に書いた通り。他者の「内面が判る」という考えは傲慢だと思っています。
sumita-mさんも彼女の書いたモノを読んだから改めてはっきりと「愚劣だ」と評していたわけです。

私は、公式HP内の記述と過去のブログ記事は、ほとんど読みました。
毎日新聞から賞を受けたという論文も読み、出典にもあたってみました。
(このテーマも、かなり興味深いですが、長くなりますので割愛します)
HPが削除された後も、まとめサイトで情報を得ることができました。
(ここは、問題点がよく分析できています。)
Google の「キャッシュ」という機能を今回、初めて知りました。

そこまでするエネルギーはすごいと思うのですが、正直なことを申し上げますとそのエネルギーをもっと建設的なことに使って欲しいな。などとは思います。つまらん他人を糾弾するのは程々にして、・・・というか、わたくしなどは瀬尾さんというのはあのブログのミラーの数々読んで「うへぇ馬鹿教授」というレッテル貼りしてブログで意見表明をして、あとは脳内消去しておしまいだったんですが、そこまで執着するほどに気になるってのはすごいなぁと思いますね。憎悪というのは愛と同じなんですよ。どちらも関心がありすぎる心理です。

准教授が賞賛する人は、ホリエモン村上ファンド東横イン社長など、知恵を使い、不正行為をして他人から富を得た人。
小泉首相、石原知事など、自分の権力を誇示する人、弱者の痛みに鈍感な人。
石原知事の新銀行東京を批判する態度は、珍しく客観的で、冷静です。
「弱きを挫き、強きを助ける」というのが、彼女の思想の根幹部分にあるのです。
社会的弱者を不当に侮辱、攻撃する考え方の基本は、ここにあります。

そこはどうでもいいです。ホリエモンとか、村上なんとかとか、親自由主義マンセーな竹中とか、わたくしはモノ作りな絵描き職人でして、しかも下流で、すごい過疎地に住んでるんで、ああいう考えな人々は嫌いですがね。それでも、社会思想的に親自由主義だろうが保護主義だろうが関係ない、批判されるべきものはブログ記事のあきらかにネジのとれた考え方に基づく文書のみでしょう。うちの義理の弟は「ベンチャーキャピタル」とかいう何度説明聞いてもよく判らない仕事しています。平たくいうと村上なんとかみたいなもんらしいんで、親自由主義ばんざいな、知恵を使いまくるらしい仕事ですな。しかし社会的弱者とか子供とかには目を向けます。ホリエモンもわたしゃ世に出てきた時からいけすかんやっちゃと、嫌いでしたが、それでも社会的弱者については彼なりの考えはあったと思いますよ。だからはじめ人気が出たんでは?彼らを十把一からげにしてしまうのは良くないかと思います。

考えすぎかもしれませんが、准教授のプロフィールが、小泉チルドレンと類似しているのも気になるところです。某女性議員ほどの美貌があれば、議員になっていたかも知れないと思います。そうなれば、歪んだ経済の知識を武器に、弱者切り捨てに邁進したことでしょう。

うーん。そりゃやっぱり「考え過ぎ」です。
まぁ「せおさんとはお友達にはなりたくないかも」とか思いますが。


いくつかの余分な感情要素を排除して、ことの本質の問題をもう一度見直した方がいいとは思います。だるまちゃんさんの主張も判るので、一層、余計なもので主張したいところが霞んでいるのはよろしくない。などと思います。

ご参考までにわたくしがわりと同じ考えだなぁと思うのとかあげておきます
○NC-15
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080429/1209480578
■[Text]何かうまく伝わんなかったみたいなんで・・・

○風のはて
http://d.hatena.ne.jp/umikaji/20080429
■[匿名問題][議論][社会]所属組織明示してても文責は個人だと思うんですよ。:それは地位によって言論の自由度が変わるくそったれな世の中になるから。

色々な方がネット上の言論について考えていますね。




一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet

▼中国のチベット報道批判した編集者解職 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080509/chn0805092136009-n1.htm
インターネット上で中国国内のチベット報道を批判した中国広東省の雑誌「南都週刊」の副編集長が解職された。香港誌、亜洲週刊最新号が9日までに伝えた。解職されたのは長平(本名・張平)氏。同氏が暴動発生後のチベット報道について「(国営メディアによる)出所の同じニュースを流している」と批判する評論をネット上で発表したところ、「売国奴」などと非難が殺到。系列紙の南方都市報も「売国メディア」とののしられた。
 南都週刊の同僚らが、同社の上層部に対し解職命令を撤回するよう求める署名を提出したが、拒否されたという。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080509/chn0805092136009-n1.htm