今年の島クリスマス

島は寒くないんでなんとなく気分的にクリスマスっぽくない。それに教会無いんでミサにも行けない。ギヨーカイ人的にはイブといえば夕刻から深夜に教会行ってクリスマスキャンドルを持って聖歌をうたったり、教会的お祭りムードがすこぶる嬉しいのだけどそれを満喫出来ない。ちょいとしょぼんである。それは葵祭三社祭が中止になった状態、或いは「正月のあれこれは今年は無し」な状態といえば判ってもらえると思う。お年玉貰えない正月なんてとかさ、耶蘇教徒としてはそんくらい、しょぼ〜んなのである。

とはいえ、そういう孤独なクリスマスに今年は嬉しい贈り物が二つもあった。

一つは25日のイエスの誕生日に隣の島から神父様が来てくれるという。年の瀬の忙しい頃に正直済まんかった状態だけど、神父様の温情にあり難くて涙が出ますよ。せっかくなので明日は祖母を家に呼び、お隣さんや今年世話になった友人などを呼んでちょいとしたクリスマスパーティにすることにした。ミサとパーティね。島友人をもっと誘ってみたいもんだが今年は準備が足りんので、ささやかにやるです。

もう一つがツリー。
こんなの貰った↓

180センチもあるツリーである。正直、場所塞ぎなくらいの大きさである。
修復しに行ってた教会の主任司祭、師匠濱ちゃんがくれたんだな。

師匠濱ちゃんはクリスマス装飾ヲタである。教会を移動するとそこのクリスマス装飾をやりたがるので、教会のおばさんから煙たがられるほどである。でかいツリーを買ってきては聖堂に飾る。馬小屋(幼子イエスを囲うようにヨゼフとマリアがいるあれね)の装飾に凝って、この時期は教会内にある廃材で大工仕事をしている事も多い。
エスが大工であったことに加え、師匠の修道会の師父フランシスコが馬小屋装飾をはじめたというから伝統に乗っ取った趣味ではあるが、この手の装飾は通常信徒達がやる。しかし師匠は信徒達のささやかな装飾には不満らしくユザワヤなどに通い、自らノコギリを持ち、がしがしと聖堂内を装飾しはじめてしまうのである。東京の母教会にいた頃は聖堂のアプシスはツリーの森と化し、やりすぎです!などと教会のおばさんから怒られたりしていた。
そういう手を出し過ぎる自分の欲望を反省したのか、今年は「信徒達の自主性に任せる」と決め、自分は手を出さないように諌めていたらしい。

で、12月に入る頃、島レストラン「アマン」のお慶さんにクリスマス装飾の事を聞かれた。島の商店街ではクリスマスイルミネーションを飾ろうという取り決めがあるらしい。「どうしたらいいかしらね?」と聞かれ、上品なイルミネーションでもあったら買って来ますね。などと話していた。しかしどういうトコに売ってるもんかよく知らない。クリスマス装飾に関して煩い濱ちゃんに聞いたら判ると思い「何処で何時も買ってるのか」とか聞いたのがいけなかった。師匠の脳内で「装飾を必要としている人がいる!」とインプットされてしまったようだ。

数日後、師匠が授業中に電話してきた。「今ハンズにいるんだけど」どうも禁じていた装飾コーナーに行ってしまったらしい。「ツリーはいらない?」とか電話の向こうで言ってますよ。ツリー??いらないっての。と、おことわりした。ツリーは頼まれていない。「電飾でナチュラルなのでもあれば、それ買ってきて下さい」と話して切った。

後日、教会に行ったら仕事場にしてた部屋にでかい箱が置いてあった。私が入って寝れそうなぐらいでかい箱だった。師匠がニコニコして「どう?これ?180センチもあるんだよ〜」どうやら断ったのに買ってしまったらしい。「神父様、お店にはツリーはいらないって言ったはずですが」師匠は人の話も聞かず、今度は違う箱の中から金やら赤いタマやらでかいベルなどのオーナメントを取り出し、「綺麗でしょ〜」とか言ってますよ。

「こんなでかいの飾ったらお客さんが一組入れなくなります」「店長が困ります」
師匠は見る見るうちにしょぼくれて小さくなってしまいました。

そういうわけで、上記のツリーはうちで引き取ることになりました。
つーか、像の修復代代わりに。と下さったのですよ。まぁ像の修復は奉仕のつもりだったので申し訳ない気がしましたです。
昨日、島友人のEちゃんに手伝ってもらって飾りつけました。こんな時期に飾りはじめる馬鹿もいないとは思うけど。しかし華やかで、なんだかさぶいコンクリ打ちっぱなしの倉庫みたいな我が家が明るくなりましたよ。師匠。有難う。

でも、クリスマス終ったらどうすんだ?これ。