二つの原爆の日の狭間で平和について書いてみる

先日は広島に原爆が落とされた日だった。明日は長崎に原爆が落とされた日だ。
教会の暦では、今週は平和週間であり、平和の為に祈ろうというのである。
わが霊的師父である聖フランシスコはペルージアとアシジの都市間の戦争で捕虜となり虜囚生活の中で病を負った。彼の夢は騎士になる事だった。しかしその戦争と虜囚生活が彼の心に影を落とし、結局、彼は修道者として、神にその身を捧げる決意をすることになる。戦争体験が彼の精神にどのような影響を与えたのかは判らないが、戦争とは多くの人の命を奪い精神を傷つけ、そして永遠の憎悪を生み出すということは我々も経験していることである。
「戦争」という非日常的なもののみではなく、様々な「争い」は日常的にもよく見られる。言葉の行き違い、ちょっとした誤解、他者の尊厳への敬意の欠如、エゴの肥大、そうした光景から口論が起きるのはネットなどでもよく見られる。自分が言われたら耐えられぬようなこと、自分が為されたら悲しくなるようなこと、或いは自らの友人に為されたら腹の立つようなこと、そういう事を平気で人はしてしまう。日常からして平和というのは危ういものであったりする。それらは他者への想像力の欠如から来るのだと思う。

アメリカは原爆を早期の戦争終結の為に必要だったと主張する。最近ではどっかのお大尽がその見解を述べた事で叩かれていたが、確かに経緯としては原爆投下が最終的な降伏と戦争終結に向かわせたのだが、そして「負ける」事をしらぬ日本が、そうでもなければずるずると戦争をし続けたかもしれない、もしくはそのように見えたであろうが、しかし終結の為に必要な手段が武器を持たぬ銃後の民の新型兵器による大量虐殺であるなら、それはやはり誤った結論だと思う。

アメリカ軍はこの二つの爆弾投下を実験としても考えていたらしい。使用された時どのような結果を生み出すか?学者達はこの悪魔を悪魔であると知りながら用い、そのもたらす力を知りたかったようだ。以前ここでも紹介したアメリカ在住の被爆者の物語があったが、彼が渡米してすぐに被爆者と知れると医者は様々な実験的な治療?を彼にしたらしい。そこには彼の尊厳はなく、ただ未知なる被爆した生き物として彼を見做しているかのごとき医師達のぞっとする光景が書かれたいた。(言葉の通じぬ世界で最終的に精神病院にぶち込まれてしまうという結末が怖い)
紹介記事↓
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050409/1113495031
胤森貴士氏の体験記↓
http://d.hatena.ne.jp/spi020815/

或いは「南京大虐殺」と呼ばれる日本軍の問題。
南京に於ける日本軍の振舞いがどうであったかは判らぬが、少なくともやはり国際的に批判されても仕方がない残虐さを持ったやり方をしていた事は大叔父の昔話からも伺える。どんな場面であれ、つまり911テロも、原爆も、或いはさまざまな戦争に見られるような一方的な殺戮、虐殺も、それは手段としておおいに間違っているといわねばならない。

そしてそのような大量破壊兵器を尚、持とうとする北朝鮮、武器輸出国である中国や欧米の国々、テロを行い続けるアラブと圧倒的な力で彼らを押さえ込もうとするアメリカ、エンドレスで先の見えぬ聖地の闘争。未だ戦争は同時代的なモノとして存在している。こうしたことを我々は克服する知恵を持たねばならないと思う。

平和運動というのはわが国でも盛んなんだが、どういうわけか過去にばかり目を向ける。現実問題としては日本が直接的に関わったような問題。イラクの派兵やらそんなモノには言及はするが、海の向うで誰かが誰かを圧殺している光景には想像力が及ばぬようだ。せいぜいがアメリカ辺りの振舞いにケチをつける程度。隣の北の国が日本に向けて実験ミサイルを発射しようが、照準を合わせていようが、或いは隣の未だ第三世界でありながらして経済大国になろうとする国の民衆が搾取されていようが、その少数民族が抑圧されていようが、沈黙している。或いは地球の反対側で泥沼化している、あのスーダンの、ダルフールの今世紀最大の悲劇とも言われる虐殺のそれにも、無関心のように見える。それこそ過去に起きたモノではなく現在進行形ゆえに、今動かねばならず、動けばこれ以上の死者が出ないかもしれぬ、なんらの措置をとればこれ以上最悪にならずに済むかも知れぬ、これ以上最悪にならぬことや防ぐことが可能な未来を選択しようと思えば出来る事であるのに。

なぜかメディアも、平和運動家も、それは興味はないらしい。抽象的な「世界平和」という言葉だけが虚しく響く。「平和」という言葉は安っぽくなり果ててしまった。いつも同じ儀式の繰り返し。過去をいじくり回すだけで、なんの解決にもならないつぶやきでしかない。

今、まさに我々は平和を必要としている人々への想像力を持つ必要があると思うのだけど。